第五章 戴冠式⑪

 ◆

 昼間の病院は随分とざわついている。走り回る医師や看護師たちに、元気そうな患者や見舞みまい客たち。病院が盛況である事は喜ばしい事ではないのかもしれないけれど、活気のある空気に懐かしさを感じて鐵は笑みを浮かべた。

 外科病棟に辿り着いた鐵は目的の部屋を探す。入口のプレートに目当ての名前を見つけるとノックも無しに乗り込んだ。


「……おいおい、これはまた随分な客だな」

「あんたこそ死に損なって覇気が薄れてるんじゃないか? ――櫨染はじぞめりんさん」


 早々に悪態をつくその男に対し、鐵は皮肉気に笑ってやった。


「その名で呼ぶんじゃねぇ」

「なんでだよ、いい名前じゃないか、麟って」

「うるせぇ、誰がこんな女みたいな名前――」


 ぶつくさと文句を言うその男は、五十代の肥満体にくたびれた顔をしていた。確かに『麟』という名には少々似つかわしくない気がする。仕方なく鐵はいつも通り黄檗と声をかけた。


「目が覚めたところ悪いが、先週の戴冠式の件は聞いてるな?」

「……ああ、浅葱の坊主から聞いてるよ」


 黄檗はバツが悪そうに口をすぼめた。


 事件の後、鐵たちは救助隊に救助され全員病院に搬送された。山火事は何者かの火の不始末が原因だったとして片付けられ、御橋神宮も全焼をまぬかれた。この一件に関しては、宮内省を経由して警察とマスコミに強い規制をかけてもらっている。芥が各報道局に送り付けた遺書を隠滅するため、そして火事の際山の麓で目撃された、変化した眞白の姿を明るみに出さないためだ。

 幸いそれも鮮明な映像は残っておらず最悪の事態は避けられた。しかしながら、あの事件で芥がそそのかした咲人数名が亡くなっており、霊山も当然立ち入り禁止となってしまった。被害は決して小さくない。首謀者の芥は勿論、そもそもの種をいたのは他でもない黄檗だ。彼にはしっかり反省してもらわねばならない。


「芥は警察に突き出したよ。然るべき刑罰を受けて帰ってくるはずだ」

「……」

「これに懲りたら商売の手口を改めるんだな」


 黄檗は鼻を鳴らしてそっぽを向いた。本当に餓鬼みたいな大人だなと呆れかえる。


「そんで、それ言うためだけにわざわざ見舞いに来たんじゃねぇだろ?」


 ズバリ指摘された鐵は、深呼吸をするとその本題を告げた。


「事後報告が一つと頼みたい事が一つ」

「へぇ、なんだよ?」

「一つはあんたんとこの公城琥珀に会わせてもらった」

「琥珀? あいつと話す事なんてあったか?」

「俺じゃなくて、眞白がな」


 先日、彼女を琥珀のいる『女郎花』に連れて行った。当初は黄檗に許可を取るつもりでいたが、状況が状況なのと、眞白は騒ぎの中で既に琥珀と再会したと聞いて、それならもう躊躇う必要もないと思ったのだ。

 そもそも琥珀を縛っている事自体おかしい。今回の事にりたらその辺も少し改めろと釘を刺すと、黄檗は不貞腐ふてくされてそっぽを向いた。


「で、頼み事の方は?」

「……眞白の父親の居場所を教えてくれ」


 予想外だったのか、黄檗が眉を吊り上げた。


「父親ぁ? なんで?」

「……正式に入籍するのに戸籍がいるんだよ。あんたあいつの父親からあいつを買ったのなら知ってるだろ」


 眞白の戸籍の所属がわからなかった鐵は、眞白との関係を内縁で通してきた。二人で過ごせるのに支障がなければそれでもいいと思っていたが、今回の一件含め思い直して決心した。

 眞白との関係にもちゃんとけじめをつけるべきだと思ったのだ。

 すると、一転して黄檗はゲラゲラと笑い出した。が、腹の刺し傷にさわったのかすぐに激痛に顔を歪めたので心の中で「ざまあみろ」と呟いてやった。


「教えてもいいが話の通じる奴じゃないぞ。なんせ娘の事相当憎んでたからな」

「戸籍さえ都合付けばあとはどうにかするよ」

「はいはい、後で名簿送っとくよ」


 あっさりと話が通ってなんだか拍子抜けした。二人の間に一瞬気まずい沈黙が下りて、


「……じゃ、そういう事で」

「……おう、またな」


 話す事が無くなった途端居づらくなって早々に部屋を後にする。

 結局逃げるように出てきてしまって、やはりあの男は苦手だと苦笑した。多分あの男とは一生このままだろうな、と部屋の前でため息をついていると、


「あれ、面会もう終わったの?」


 そこにサングラスで顔を隠したいかにも怪しげな女がやってきた。顔を隠しているのは周囲に正体をばれないようにするため、なにせこの女は今やテレビで顔を見ない日がないくらい引っ張りだこの売れっ子女優なのだから。


「なんだ、折角あんたが黄檗に会うって言うから来たのに」

「誰に聞いたんだよ、っていうか俺がいなくても見舞いに来れるだろ」

「やーよ、あのおっさんに一人で会うなんて」


 焔は口を歪めて心底嫌そうな顔をした。彼女にとっても黄檗は面と向かいたくない筆頭なのだ。そう思うと黄檗も少し不憫な気がした。

 焔は気を取り直すと、鐵に近づいてサングラスの向こうからウインクした。


「ね、折角鉢合わせたんだし、これから食事でもどう?」

「無理、玄関で眞白待たせてるから」

「えー、つれないなぁ」


 ナチュラルに腕を絡めてくるので、鐵は思わず後ずさった。


「……お前、諦めるって言ってたよな?」

「諦める? 何の事?」


 とぼけた風に焔は満面の笑みを浮かべる。そのちっともりてない様子に鐵は愕然がくぜんとした。


「あたし諦めるなんて一言も言ってないわよ」

「はぁ⁉」

「あんたがあの子と結婚したって、あたしはあたしの気のすむまであんたを追い回すから」

「お前っ、……ふざけんなよ!」


 いい加減堪忍袋の緒が切れた。ここが病院だという事も忘れて怒鳴り声をあげようとした時、焔の形の良い指先が鐵の唇に押し当てられ、鐵は固まった。

 目の前の焔の顔はこれまでに見た事もないほど真剣で、


「……五帝は可哀想な奴らなんだって、神様が言ってたの」


 脈絡のない言葉に鐵は呆然とする。


「……それって、儀式の時お前が聞いたって神の言葉か?」

「そ、あの神様想像以上に酷いわよ。こっちがあんなに真面目に五帝の式典参列してるってのに、『俺の言う事なんて聞かなくていいのに』とか『こんなとこに来なくていいのに』とかぼやいてるんだもの」


 鐵も儀式中に神の声を聴いた。あの理解できない声でそんな事を言っていたのかと思うと、神様が何だか憐れに思える。彼の記憶の垣間見た鐵は、彼の苦悩が理解できた。


「神様にも思うとこがあるんだよ」

「思うとこって何よ、神様のくせに。正直『じゃあ辞めてやるわよ!』って冠叩きつけて帰りたくなっちゃった」


 憤慨する焔はそれでも少し悲しそうに目を伏せる。


「あたしは正直五帝の使命なんてどうでもいい。葵みたいに咲人に興味関心があるわけでも、菫みたいに使命感に駆られているわけでも、桔梗さんみたいに度胸があるわけでも、黄檗のおっさんみたいに金儲けに熱心なわけでもない。――あんたみたいに、咲人のために身体張るまで必死になる事も出来ない。――でもね、私あんたが……あんたたちの事大好きなのよ」


 それは初めて見る焔の素のままの笑顔だった。


「二年前、私が五帝に就任したばかりで不安で、おまけにストーカー被害で悩まされてた時、一番親身になってくれたのは五帝の皆だったんだよ。庇ってくれたあんただけじゃなくて、皆私を守ってくれた。黄檗のおっさんだって裏で手をまわして警察動かしてくれたって」


 黄檗の件は初耳だったので驚いた。そして焔は堂々と宣言する。


「あたし両親とも折り合い悪いし、こんな性格だから友達もいなくてさ、ストーカーの件、誰にも相談できなかったから嬉しかったんだ。だから……、何て言うんだろうね。『家族』みたいなものなのよ、私にとって。だから私五帝の皆のために頑張るわ。それで次に神様に言ってやるの、『あんたがくれた縁で私救われたんだから、可哀想だなんて言わないで』って」


 再び凛とした焔らしい笑顔に戻る。鐵はなんだかんだで彼女の事も仲間として認めている。彼女がそういう顔で世界を振り回している姿はやっぱり見ていて爽快だ。


「――ん、待て。それと俺を追い回す事と何の関係があるんだ?」


 ふと話をはぐらかされそうになっている事に気づいて眉をひそめると、


「ふふっ、知らない! ――じゃあね」


 悪戯いたずらな笑みを浮かべて焔は去って行った。数十秒考えて、また振り回された事に気づいてがっくりと脱力する。そして、


「――戻るか」


 鐵は病院を後にした。入口の植え込みの所で、待ち遠しそうに鐵の戻りを待ってくれる彼女の姿を見つける。白い肌は少し七色に屈折していて、お気に入りの白い帽子の端から同じように綺麗な髪が覗いている。少女の様な、でも少しずつ大人の女性の姿に近づきつつある、鐵の愛しい人。


「――眞白」


 名前を呼ぶと嬉しそうに目を輝かせて駆けてくる。


「お、かえ、り、こうすけくん」

「ただいま」


 鐵にしか聞こえない小さな声で名前を呼ぶ。その声が聴こえる事が嬉しくて、嬉しくて、自然と表情がほころんだ。


「待たせてごめんな」

「ううん、だいじょうぶ、これ、みてた、から、たのしかった」


 すると眞白は一枚の写真を掲げて笑った。何だろうと思って覗き込むと、鐵は呼吸が止まりそうになる。


「お、まえ。これ――」

「あおい、さん、くれた。ちゅうしゃの、ごほうび」


 写真には七年前の初々ういういしい姿の洸輔が映っていた。初めて五帝の礼服を着させられ、石のように硬い表情をした、見るも無残な昔の自分。

 鐵はすかさず眞白から写真を奪い取ろうとしたが、眞白はちょこまかと小さな身体で機敏きびんに避ける。


「……こっちに寄越よこせ、眞白」

「や、だ。これ、たから、もの、にする」

「眞白!」


 逃げようとする眞白を必死に追いかけると、彼女の腕を掴んで思い切り引き寄せた。抱きしめると柔らかい肌と硬い髪が同時に頬をくすぐった。その感触に怒りは一瞬で収まって心の中に生まれた愛しさに酔いしれる。


「帰ろうか、――佳賀里に」


 二人で暮らすあの何もない村に。

 眞白は鐵の腕の中で頷くと、鐵の背に腕を回した。

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