第五章 戴冠式②

 ◆

 芥は咲人の子供がよく陥る境遇に漏れず、親に捨てられたところを例によってあの強欲な男、黄檗帝に買われた。この身から生み出されるのは有毒ガス。人間はもちろん、大型動物ですら一瞬で死にいたらしめる、いうなれば芥自身が生物兵器だった。

 この危険な能力に恐れをなして芥の両親は芥を捨てた。泣いているところをあやす度に中毒症状にさいなまれたら、それはさもありなんと言えるだろう。

 そんな人間兵器の芥に黄檗帝は特別な役割をよこした。


『俺の店に咲人専門の風俗店がある。お前はそこで咲人を監視しろ』


 芥はまだ幼く、風俗店がどういう事をする場所なのかを知らなかった。けれどもその店に足を踏み入れた時、そこに暮らす咲人たちの姿を見て、ここが地獄だという事に気づいてしまった。牢獄と変わりのない部屋に閉じ込められた咲人たち、うつろな目をしてただうずくまり、指名を受けると鎖に繋がれ客の元に引きずり出される。彼らが逃げ出さないように監視し、抵抗する者があれば拘束し必要とあらば息の根を止める事が芥の役割だった。


 ――こんなの、間違っている。


 自分の役目を棚に上げて、芥は劣悪な環境を非難した。

 このきだめでは咲人に人権はない。人間扱いどころか、生き物としてすら扱われていない。でも彼らは外の世界よりましだと口々に言う。外の世界では歩くだけでなじられ暴力を振るわれる。ここにいればそういう事もないし、良い客に出会えれば可愛がってもらえる。

 搾取され、物扱いされても、彼らはここにいる事を望んでいた。


 芥は戦慄した。この非現代的な悪夢のような世界が自分の目の前にある事に恐怖し、そして図らずもその世界の形成に加担している自分を呪った。

 その地獄の中で芥は彼女に出会った。


『初めまして、芥。貴方の事は黄檗様から聞いているわ』


 その人は暗い牢獄の中でも一際輝いて見えた。透明で瑞々しい宝石の輝きを持った人だった。


『私は琥珀というの。あなた私の弟に似てるわ、……もう随分前に死んじゃったけど。仲良くしてね』


 一瞬で心を奪われた。自分に課せられた使命も忘れた。あの笑顔を守るために、芥はこの人の側で生きていこうと誓った。




 翌日『女郎花』に帰ると店内は騒然としていた。どうやら黄檗が刺されたという連絡が彼の店に伝わったらしい。従業員が蒼白になって辺りを駆けていく、その横をぬって芥は目的の部屋に向かった。

『女郎花』は以前と比べて随分と様変わりしていた。咲人たちの部屋は牢獄ではなく、きちんとした寄宿舎になり、一人一人に部屋があてがわれている。鎖で繋がれることもなく、多少の外出なら許可を貰えば許してもらえる。そこに暮らす咲人たちも、流石に今はそわそわと浮ついていた。彼らの部屋が続く廊下の最奥の扉をノックすると、返事を待たずに部屋に滑り込んだ。


「芥⁉」


 部屋にいた琥珀もまた顔を青くしてなにやら書類整理やら電話対応に追われていた。琥珀は今やこの店のオーナー代理となり、この店の咲人たちの管理を任されている。咲人の従業員たちの環境改善が進んだのも、古株である彼女が手を入れてくれたおかげだ。


「あんたどこ行っていたの⁉ こんな大変な時に!」


 こちらも黄檗の事件で対応に追われていたらしい。琥珀は芥の肩を掴むと力強く抱きしめた。


「黄檗様が刺されたって……、今社内中で大パニックになってるの」

「そうだね、姉さん」

「そうだね、……って」

「大丈夫だよ、わかってる、姉さん」


 わかった上で、芥は冷静さを失わなかった。むしろどうして琥珀たちはこんなに慌てているのか不思議なくらいだ。


「病院に運ばれたんだってね。意識不明の重体らしいけど、……惜しかったな」

「惜しかった……? あんた何言って――」

「ちゃんと死ぬところを見届ければよかった。止めを刺せなかったのは僕の落ち度だね」


 その瞬間、琥珀は強張り抱きしめていた芥を突き放して、ノロノロと後退した。


「あんた……、まさか、黄檗様を襲ったのは――」

「そうだよ、僕だ」


 芥は包み隠すことなく自供した。琥珀が声にならない悲鳴を上げる。


「馬鹿! なんてことを……! 自分が何をしたかわかってるの⁉」

「わかってるよ。僕は正気だ。今日この日のために計画を練って実行したんだ」


 咲人を縛り続ける悪鬼、黄檗帝。奴さえいなければ、自由になれる咲人は大勢いる。だから芥は黄檗を亡き者にする事に決めたのだ。そのために仲間を集め、時期をうかがっていた。観音寺家での任務を終えて琥珀と共に帝都に帰ってきて、そして新たな五帝の戴冠式が開かれると知った時、それを実行すると決めた。

 琥珀はふらふらと足をふらつかせ、机に寄りかかった。芥を信じられない化け物の様な目で見ている事に何故だが胸が苦しくなる。


「芥、黄檗様を殺したって咲人が救われるわけじゃないわ。確かにやっている事は非人道的な事かもしれない……。でも、」

「そうだよ、そうしなければとうに死んでいた咲人たちもいる」


 現に自分は黄檗に拾われなければ、今頃路頭に迷って死んでいた。そういう恩は確かにある。でも、


「あいつがいる限りいつまでたっても自由は訪れない。……姉さん、貴女を自由にできない」

「私を……」

「そうだよ、姉さん。またあいつの利益のために、誰かと結婚させられたいの?」


 琥珀は観音寺家のスパイとして実際にとつがされ、一時的にでも妻にさせられた事を芥は許していない。黄檗帝にとってはただの戦略だったのかもしれないけれど、


 ――あれは身売りと何も変わらない。立場が改善されたって、あいつがいる限り琥珀は奴隷だ。


 だが、当の琥珀はそれに対する苦痛も恨みも一切見せない。それが余計に芥を苛立たせるのだ。


「芥、聞きなさい。咲人がしいたげられているのは黄檗様がすべて悪いのではない。この世の中が今、そうなってしまっている。わかるでしょう? 黄檗様一人を亡き者にしたところで変わらないの」


 だからお願い、正気に戻って。と泣き顔ですがりつく琥珀。そんな琥珀に芥はますます自身の決意を固めていく。


「……そうだよ、姉さん。悪いのはこの世の中だ」


 芥の声が初めて揺らいだ。


「人口のたった一パーセントに満たない僕たちが、特異体質を持っているというだけで虐げられる。でも考えてみてよ。僕らと普通の人間、優れているのはどちらだと思う?」


 琥珀はショックのあまり声が出せないようだった。構わず、芥は話を続ける。


「人間は腕から汚い汗しか出せない。目からは涙、口からは唾液、下半身から糞尿を垂れ流して、それの何が偉いと言うんだ?」

「芥……」

「僕らみたいに有意義なものを生成できない。植物を咲かせ緑を増やす事も、姉さんみたいに美しいものを生み出して人々を喜ばせることも出来ない。――じゃあ僕らは一体何故虐げられなきゃいけないのか?」

「芥、止めて――」

「答えは簡単だよ、奴らは恐れているからだ。少数派の優れた僕たちが、この世界を牛耳る事を恐れている。だから数の暴力で抑えつけるんだ。そして、僕らに対する抑止力を生み出したんだ。五帝という、忌々しい存在を――他でもない神様自身が」


 敵は世界、五帝、そして何よりその全てを創造した諸悪の根源。


「力で僕たちを支配するというのなら、僕も力を行使するまでだ。僕には何もない。でも、奴らをほうむり去るすべはいくらでもあるよ」

「止めなさい、芥……っ!」

「今日、五帝の戴冠式が行われる。神宮には三皇五帝以外誰も立ち入れなくなる。一網打尽にする千載一遇のチャンスだ。五帝を皆殺しにすれば神だってあやまちに気づく。そして世間も知るはずだ。今まで自分たちが虐げてきた者たちの脅威を――」

「芥ぁ!」


 強烈な突風が室内に吹き荒れた。次の瞬間、脚元に衝撃が走り芥はよろめく。その喉元を鋭く冷たい鋭利な刃物がかすめて芥は喉を鳴らした。

 部屋中に琥珀色の美しい鉱石が突き出していた。それは琥珀の足元から放射状に放たれ、天井に壁に張り付き芥を包囲する。ギラギラと光る琥珀の鉱石が燃えるように光を発した。


「……やっぱり姉さんは反対なんだね」


 琥珀が反対する事は想定済みだ。彼女はとても優しい人だから、こういう荒事は嫌うだろうという事は分かっていた。


「芥、貴方が愚行を働くというのなら私が止めます」


 琥珀の目も周囲の宝石と同様に燃えていた。彼女の覚悟が見て取れる。芥は少し躊躇ったけど、やっぱり意思は揺らがない。


「無駄だよ」


 芥は自分を抑えつけようとする鉱石を掴んだ。手に力を込めた瞬間、鉱石は破裂し砕け散る。

 驚いた琥珀に隙が生まれ、芥は強引に彼女の懐に飛び込んだ。その口を掌で塞ぎ、毒素を直接注ぎ込んだ。

 琥珀が苦しそうに身体をくの字に曲げ膝から崩れ落ちた。その身体を支えつつ芥は彼女の耳元で優しく囁く。


「心配しないで、姉さん。ゆっくり寝ていて」

「……っ、あ、くた……」

「大丈夫だよ、起きたら全て終わっているから。――さよなら、姉さん」


 ああできる事なら、最後に見る彼女の顔は笑顔が良かったな、なんて思いながら、芥は眠りにつく琥珀を静かに抱きしめた。

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