第四章 鱗剃り⑤

 さて、話もできたしそろそろ眞白のところに戻ろうかと腰を上げたその時、


「お話し中すみません。藤波蓮司選手、少しよろしいですか?」


 鐵たちの元にテレビ局の報道陣らしき一団が近づいてきた。マイクを持ったアナウンサーの後ろに、カメラや照明を掲げたスタッフが数人張り付いている。


「はい、何でしょうか?」

「この度は選手復帰おめでとうございます。よろしければ少しお話を伺いたいのですが」

「ええ、いいですよ」


 こころよく受け入れた蓮司はアナウンサーの質問にすらすらと答え始めた。周囲には蓮司と同じように競技を終え休憩している選手たちがいたが、彼らはまっすぐに蓮司の元へ向かってきた。


(そういえば、事故前からマスコミにも注目されてたんだっけ)


 マスコミからすれば、蓮司は、『将来有望とうたわれつつも事故で足をなくし、それでもなお這い上がってきた奇跡の選手』と取れ高としては最高に美味しいのだろう。脇によけられた鐵は蓮司の様子をカメラを構えるマスコミ越しに見守った。


(それにしても随分と気合の入った取材陣だな)


 蓮司以外にも他局の取材陣らしき団体はあちこちで選手に声をかけている。そんなに注目される大会だったのか、と自分の世間離れに呆れかえっていると、


「ところであなたは、藤波選手のお知合いですか?」


 蓮司を取材していたアナウンサーが突然話題をこちらに振った。カメラのレンズが急にこちらを向いたので鐵はどきりとした。


「いや、俺はただの――」


 蓮司の知り合いだと誤魔化そうとした時、


「彼は義肢装具士ですよ、藤波選手の義足を作ったんでしょ?」


 望んでもいない助け船が背後から現れた。鐵は反射的に振り返る。そこにいた意外な人物の姿に完全に固まった。


 暑苦しい選手控室には全くもって似つかわしくない、真っ赤なノースリーブのワンピースとハイヒール。背には濡羽ぬれば色のつやのある髪が流れ、派手ながらもどこか気品を漂わせる女がそこにいた。その顔はつい一時間ほど前に見たばかりの顔で、


「かっ、かがみびなほむら⁉」


 驚いたのは鐵だけでなく、報道陣も選手たちも、そこにいた全員が虚を突かれ固まった。


「鏡雛ほむらって女優の?」「マジで、本物?」「おい、ほむら様が来てるって!」


 あちらこちらから動揺の声が響いてくる。騒然とする控室で、一人不敵に笑う渦中の女は鐵の傍に寄り添った。


ほむら……」

「久しぶり、洸輔」


 その女、鏡雛焔は目を細め妖艶に笑った。向けられれば世の男どもは皆とりこになる、と銘打たれたその笑みに対し鐵は背筋に寒いものが通り抜ける。


「なんでお前がここにいる……」

「あら、この大会のメインサポーター、私なんだけど知らなかった?」


 大会自体知らなかったのにそんなこと知るか、と心の中で悪態をつき、鐵は顔を歪めるしかなかった。一方、周囲で戸惑いを浮かべていた記者たちは、


「あの……鏡雛さん、どうしてこちらに? 彼はお知り合いで?」


 傍目はためからは仲睦まじく話しているように見えたのだろう鐵たちに声をかける。すると焔が待ってましたと言わんばかりに目を輝かせ、


「ええ。彼は鐵洸輔。私の古い知り合いで、同じ使命を共にする仲間で、」


 焔は鐵の腕を取り身体を絡ませ、


「私の命の恩人で、――私の最愛の人です」


 一瞬室内の空気が凍り付き、――そして爆発した。


「最愛の人⁉ ってことは恋人ですか⁉」


 突然沸いた特ダネにアナウンサーの目の色が変わった。他局の報道陣も選手そっちのけでこちらに群がってくる。


「ほむら様に恋人⁉」「嘘! どんな人⁉」「おい! カメラまわせ!」


 にわかに騒がしくなる控室はもはや収集が付かなくなりつつあり、その渦中にいる鐵は悲鳴を上げた。


「っ⁉ ち、違う! こいつとはただの顔見知りだ!」

「顔見知り? それにしては親し気に見えますが?」

「どこで知り合われたんですか?」

「命の恩人と仰っていましたが⁉」


 立て続けに降り注ぐ質問の雨霰、答える間もなく鐵たちにカメラのレンズが向けられ、シャッターが切られる。すると、


「彼は二年前、私がストーカー被害に遭って犯人に殺されそうになった時に身をていして守ってくれたんです」


 おおっ、とギャラリーから感嘆の声が漏れた。焔は目を潤ませ情感深く恋の馴れ初めを語る。


「私をかばって大怪我をして……、でもその時私は気づいてしまったんです。この人こそ私の運命の人だって……!」

「馬鹿言うな、こら!」


 叱咤してももう手遅れだ。観衆はすでに焔の言葉しか耳に届いていない。完全に彼女の独壇場だった。


「あら、嘘は言ってないでしょ? 事実よ、事実」

「そうだが俺はそういうつもりで助けたんじゃない!」


 確かに二年前、駆け出しの女優であった焔に悪質なストーカーが付き纏っていた。逆上したその男を偶々たまたま居合わせた鐵が捕まえ、その際にナイフで腹を刺されたというのは事実だ。だが、鐵が焔を庇ったのは彼女が同じ五帝だからだという事と、男として今にも殺されそうになっていた女を放っておけなかったという善意だけだ。

 決して、恋愛感情あっての事じゃない。


「そもそも俺には妻がいる。お前とどうこうなる気なんかない!」

「でも内縁でしょ? なら私にだってチャンスはあるわ」

「万に一つもない!」

「……ぐすっ、酷いわ。そんないい方しなくていいじゃない、私こんなにもあなたの事を愛してるのに……っ!」


 自信に満ち溢れた態度から一転、まるで手折られた花の様に弱弱しく肩を震わせしおらしく泣く焔。周囲の者は彼女に同情の視線を送るが、


(この女……! 嘘泣きしやがって……)


 面と向かっている鐵は彼女の口角がわずかに上向いているのが見えた。だが、今や芸能界の頂点を極めた女優だ。彼女の演技に絆されない者などいない。


 その時、鐵と詰め寄るアナウンサーの鼻先を黒いものが通り過ぎた。


「ぎゃ! 蜂だ!」


 頭上をぶんぶんと飛び回る一匹の蜂に慌てふためく報道陣、軽くパニックになって鐵への注意が逸れた時、


「鐵さん、行きましょう!」


 蓮司に腕を掴まれて鐵はその場から駆けだした。


「あ、逃げた」「ちょっと! まだ話終わってないですよ!」


 追ってくるマスコミを振り切って二人は控室を飛び出した。


「おい、今の蜂――」

「へへっ、一匹位なら大丈夫でしょ?」


 不敵に笑う青年にこいつも強くなったな、と感心した。しかも前を走る蓮司は義足だというのに速い、流石陸上選手だ。


「とにかくどこか隠れられる場所を――」

「洸輔! 蓮司君!」


 一階のエントランスホールの死角で葵が手招きをしているのを発見し思わず飛び込んだ。二人は階段下の倉庫らしき空間に身体を滑り込ませると、一気に脱力してへなへなと崩れ落ちる。


「助かったよ藤波。足は大丈夫か?」

「大丈夫ですよ。鍛えてますから」


 蓮司は笑って答えた。その横で葵が苦笑いを浮かべていて、思わず彼の胸倉を掴む。


「お前! なんで焔がいるって教えてくれなかったんだよ⁉」

「いや俺だって、メインサポーターとか知らなかったんだって。さっき表彰台で見かけて初めて気づいてさ」


 どうやら焔との邂逅は本当の偶然で葵が仕組んだ事ではないらしい。やりきれない怒りに盛大にため息をついて、葵を解放すると、


「どうすんだよ、あれ……。顔も撮られたし絶対記事にされる……」

「ははっ、洸輔もついにワイドショーデビューか。よかったな、貴重な経験だぞ」

「いいわけあるか!」


 人事だと思ってへらへら笑いやがって、と葵を睨みつけたところで、ふと、葵の様子がおかしい事に気が付いた。

 鐵をからかっている様に見えるが、顔は真っ青で顔じゅうから汗が噴き出している。目も右往左往し焦点があっていない。明らかに何かに動揺している。


 ――あれ?


 そこで鐵は何か大事な事を忘れている事に気づいた。何故、葵がこんなところに一人でいるのか。

 そう、一人で。


「おい、葵。眞白どこ行った?」


 その瞬間、葵の顔が凍り付いた。尋常じゃない汗が吹き出し、見ているこちらまで不安にさせる。

 数秒の沈黙、そして、


「――っ、ごめん洸輔!」


 葵が床に額を擦り付けんばかりに頭を下げた。


「なんか控室で騒ぎになってるから俺たちも気になって……、眞白ちゃんと一緒に覗いていてさ、その……聞いちゃって」

「まさか――」


 あの焔の最愛の人宣言を。聞いたのか。


「眞白ちゃん突然逃げ出しちゃって、追いかけようとしたらとんでもない反撃喰らっちゃって……。いやあ、眞白ちゃん、結構腕っぷし強いね……油断した」


 葵は腹を抑えて苦しそうに呻いた。鐵は事の重大さにようやく気付き、今度こそ血の気が引いた。


「どっちに逃げた⁉」

「競技場の外に行ったのは見えたけど、それ以上は――あ、おい洸輔!」


 葵の制止を振り切って、鐵は駆けだしていた。

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