我が愛しき咲人よ
三木桜
序章 暮れ六つ時
◆
ある晩夏の日、血を思わせる真っ赤な夕暮れに
「玄一郎、食事が出来たよ」
洸輔が彼に声をかけると玄一郎は覇気のない目でこちらを見た。黒曜石の瞳は夕暮れの光を浴びているはずなのに、その光すら吸い込んでしまうほど深く濁っている。
今日は昼頃にこの寺に来客があった。玄一郎が応対し、洸輔は何の用か分からず奥に引っ込んでいたけれど、
(パッと見えた感じ
小さな寺に暮らす玄一郎の元にはよく客がやってくる。大抵は法事を頼む近所の
法事の仕事は洸輔も手伝った事があったが、咲人との案件が来ると玄一郎はすぐに洸輔を遠ざけた。故に彼らがどんな理由で玄一郎の元を訪れたか、洸輔はいつもわからずじまいだった。
玄一郎は立ち上がると無言で食堂へと向かった。洸輔もその後についていく。
「なぁ、今日咲人のお客さん来てたけど、何かあったのか?」
大股で歩いている玄一郎の背に向かって尋ねたが、
「お前には関係あらへん」
突き放すような言い方に洸輔はムッと口を歪める。不器用で不愛想な人ではあったが、その言い方はどうにも
「なんでだよ、五帝の依頼だったんだろ? 俺にも関係あるじゃん」
「お前は五帝やない」
玄一郎は取り付く島もなかった。目の前に広がる黒くて大きな背中は頼りなさげで、どうしてそう思うのかと言われれば、単純に年老いたからなのか。
「なんだよ……、まだ『お前は五帝になるな』なんて言うつもりか?」
「……」
「いい加減認めてくれよ。俺はあんたみたいになりたいんだ。そのために修行だってこなしてきたのに」
両親を早くに亡くした洸輔は幼い頃、遠い親戚筋の玄一郎に拾われた。親族の間で危うくたらい回しになりかけた洸輔を救ってくれた恩人の玄一郎。大きくなるにつれて、彼の担う使命も知った。烏羽帝の号を持つ玄一郎に憧れて、幼い頃からずっと彼の元で修行して、少しずつ五帝の役割についても理解してきたつもりだ。
「俺もう十八だよ。そりゃああんたに比べりゃ餓鬼かもしれないけどさ」
もう物事の分別もわかる。それなのに、玄一郎はいつまでも洸輔を子ども扱いする。
ふと、玄一郎が立ち止まった。
「……お前、そんなに五帝になりたいんか?」
振り返った玄一郎の顔がよく見えない。影に沈んで彼が何を
「なりたいんか、って……。当然だろ」
「なんでそんな五帝にこだわる?」
「……っ、こだわってるわけじゃ――」
玄一郎は今や洸輔にとって唯一無二の家族だ。洸輔を救ってくれた唯一の人間。
そんな玄一郎に恩返しがしたい。彼の様に誰かを救える人間になりたい。そう思っているだけなのに、
「お前は五帝にならんでええ、洸輔」
段々夕暮れの空が暗くなっていって、光は儚く消えていく。目の前の玄一郎の姿は益々黒く濁っていった。
「お前はなんもわかってない。五帝がどんな残酷な存在か」
「な、なんだよ……、それ」
「五帝はヒーローやない。誰かを救えるなんてそんな甘い考え、持ったらあかん」
苦しそうに吐き捨てる玄一郎の声が洸輔の身体に突き刺さる。そして彼は悲しそうに告げるのだ。
「洸輔、よう覚えとけ。五帝はな、誰も救えんのや。咲人も、――人間もな」
やめてくれ、そんな事言わないでくれ。
俺はあんたに救われたんだ。あんたに憧れたから、あんたのような人間になりたいと思ったんだ。その想いを否定するような事を言わないでくれ。
だが、洸輔の言葉は玄一郎には届かない。そしていつも最後に、玄一郎はこう言い締めて話を終える。
「洸輔、俺はな。――もう誰も救えへんのや」
黒い影に覆われたその養父の顔を、洸輔はもう思い出すことが出来なかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます