第53話 賢者は星見る魔王を見る

 例えば、君の望みが何一つ叶わないとしよう。


 当然、そんな現実を受け入れられる人はいない。

 だからこそ虚構でも夢を持って、絶望しても希望を持って生きようとする。

 自分を偽ってでも、そう思い込もうとする。

 いのちは尊いもので、この世に産まれたことは最高だと、信じようとする。


 けれど、もし君の最も叶えたいことが、自分の死を以って達成できるとすれば。


 君は絶望的な生を選ぶか、それとも希望のある死を選ぶか。



 ……まあ、難しく考えなくていいよ。


 こんな選択が立ちはだかる機会なんて、普通の人生では、ほとんどないからさ。


 うん?


 お前はどちらかだって?


 そんなの、決まってるさ。俺は……








「貴方は……これが最善だと思うのね……」



「……ああ、そうだ」


「他の選択もある中で……貴方はそれを選ぶのね」



 確かに、策は他にもある。

 勇者や賢者という人類最強クラスの仲間もいる。

 再び戦うことも、封印することもできるかもしれない。


「けど、それじゃあ終わりは来ない。奴という魔力が完全に消滅しない限り、何度も蘇るのは分かりきった事実だ」


 そして、その機会は今しかない。

 意志を持った魔王の魔力は、外界へ溢れ出した瞬間に次々と憑依を始めるだろう。


「未だ覚醒していない奴を、扉を開けて拡散させる……それもかなり危険だ。もう既に、俺たちの身体には魔王の魔力が染み付いているからな」


 そもそも俺が生きている時点で、魔王の魔力がなくなることはない。

 ならばどうすれば、奴を倒せるのか。


「答えは簡単。全魔力を俺の中に戻せば良い、それで終わりだ」


「貴方、何言ってるの!?」


 射手が声を上げる。


「それってつまり、貴方が犠牲になるってことでしょ?邪悪な力を封印して、それで終わりって……貴方が全ての呪いを受けてたら、何も解決していないじゃない!?」


「いいや、違うよ。俺は元々呪いを持っていた。それを、もう一度受け入れるだけさ」


 そうしなければ、いつか別の誰かが同じように苦しむことになる。

 俺にできる唯一のことといえば……



「……それで……自分はが暴走することになったら殺してほしい……とでも言うつもりかしら」



 賢者が俺の言葉を代弁した。

 だから口をつぐんだまま、俺は笑ってみせ、それを見た全員の顔が強張った。

 けれどもちろん、魔王の魔力に負けてくたばろうなんて、少しも思っちゃいない。


「大丈夫だ。今まで魔王……未来の俺だった奴も、完璧とはいかないまでも、魔力の暴走を防いでいた。だったらソイツと同じ身体で、同じ魂を持った俺にできないことはないはずだ。……俺が折れない限りはな」


 ならば俺はその役目を受け継ぎ、死の瞬間まで手放さないだけだ。

 そうして魔力は俺の心身という依り代を失い、邪悪な力も消え去る。

 実際、俺の魂を半分共有していた魔王が昇天したことで、いくらか魔力の邪気も晴れている。

 説明しろと言われれば、あくまで感覚的にはなってしまう。

 けれど、魔王復活の兆しの象徴であった俺の肉体強化が、段々と薄まってきているのだ。

 未だに魔王が体内で暴れ出そうとしていれば、今頃は戦士と互角以上の闘いができたかもしれない。

 でも今握り拳を作ってみても、彼に擦り傷をつけれるかどうか。

 明らかに魔力と俺の精神は連動している。

 そして俺が理性を保ったまま息絶えるのなら、魔力も共に消滅するだろう。

 だからこそ、魔王の魔力は俺を生かしておいたのだ。

 ……それが仇となることも知らずに。


「だけど君たちには、俺が暴走する可能性もあることを憶えておいてほしい。それだけだよ」


「貴方はそれで良いの!?私たちに殺されることを、何もせずに受け入れるの!?」


「だって俺が生きていたところで、勇者パーティーは魔王の首を持ち帰らなくちゃいけないんだろ?」


「……!!」


 威勢のあった射手も、今度ばかりは絶句する。

 そう、彼女たちの任務は、魔王を倒すこと。その証明に俺の首が必要だと、自分たちで告げていた。

 つまり魔王の魔力を封じ込めた俺を殺してしまえば、勇者たちが悩む必要なんてないのだ。

 俺は墓場までこの狂気を持っていく、魔王の魔力は意志を持つ前に消失する、彼らは目的を達成するという完全勝利の達成だ。

 逆に俺を生かしていたところで、任務放棄と言われるのが関の山。

 今のややこしい状況を説明したとして、信じられる人も少ないだろうし。

 むしろ魔王の疑いがある俺を処刑した方が世のためだ、なんて批判がでるだろう。

 いつの日にか俺が殺される、というのは明確なのだ。


 ……それを勇者たちが受け入れるかどうかは知らないが。

 彼らの立場からすれば、受け入れざるを得ないだろう。


 だから俺は、勇者を肯定する。


「俺は生きたいよ。できる限り長く幸せに。だからこそ、幸せな内に命を絶ちたい。気が狂う前に、後悔が残る前にね。それが世界で一番正しいことなんだ」


「……それで、満足なのですか」


 戦士は静かに呟き、俺は首を縦に振る。

 そんな俺の答えを最後に、場を静寂が包んだ。

 冷えきった空気が重くのしかかる。

 息を吸うのも辛くなるほど、暗い感情で溢れている。

 たった一秒ですら、無限に続く悲痛の時間に思えてくる。

 目の前に佇む賢者の沈んだ顔が、俺の視界に入るたび胸が締め付けられる。

 普段の無表情に、少しだけ憂いを帯びたような、切なくなる顔。

 声をかけようとするも言葉に詰まり、肩を叩くことすらためらってしまう。


 ……このままではラチがあかない。

 本当なら皆が納得してから作戦を進めたかったけど、制限時間だってある。

 俺は無理やりこの雰囲気をぶち壊そうと、一つ大きく手を叩いた。



 パンッ



「……まあ、今は先のことを語ってもしょうがない!まずは魔王の魔力を、俺の身体に吸収してからだ!」


 口角をぎこちなくも吊り上がらせ、陽気に振舞ってみる。

 そして賢者の目をしっかりと捉える。少し震えて見えるのは、俺と彼女のどちらのせいだろう。


「賢者、頼む。協力してくれ」


「……私が頷くとでも、思っているのかしら」


 彼女は強張った顔つきのまま、俺を睨んだ。

 しかしここで言い負ける訳にはいかない。

 例え後悔することになったとしても、俺の覚悟は変わらない。

 最期まで真っ直ぐに生きていくという意志を曲げることはないのだ。


「俺たちのやるべきことは魔王を倒す、それだけのはずだ。それで俺が奴と決着をつけられるなら、これ以上始末のいいことはないだろ?……これが俺の選んだ道なんだ。分かってくれ」


 彼女から返答はない。

 それでも、魔王の魔力を吸収する準備を始めなければならない。

 もうこれ以上時間の余裕はない。


 俺の顔をジッと見つめる賢者に、俺は背を向けた。

 心の中に残る不快感、それが一層高まっていく。

 俺はその感情を押し殺し、改めて部屋の中央に向かって歩いた。

 そして天井を、それよりも遠くを眺めながら、俺はその両手を頭上へ掲げる。


 魔王の記憶から、俺は該当する呪文を唱え始める。

 彼の頭脳明晰ぶりなおかげで、俺は言葉を間違えることなくスラスラと唱えられた。


『……天の仰せのままに、全ては原初に返り咲き、今再びぞ煌めきたる……」


 脳内にあるのは、かつて魔王が学んだ魔法の一つ。

 彼が放出した魔力を、自身の体内へ戻すために考えられた詠唱だ。


『……あまねく夜にも光あり、流星来りて我を射る。此方より、力は渦巻き絡み出す……』


 口は自ら慣れきったように魔法を唱え、俺は無駄に考える必要がない。

 ただ身体を流れる魔力を直感的に支配しようとするだけだ。

 そうして俺の両手の間に、グニャリと空間の歪みが生まれる。

 この僅かな捩れは隙間を生み出し、中からは黄金の光が漏れ出す。

 先ほどの魔法と違い異次元の裂け目を生み出すのではない。


 この魔法の出口は、この魂の奥深くだ。


「……湧き出し溢れた魔の霧よ、愚人ヴォミットの回廊へ、一塵残すことなく我が身へ戻り給えッ!!』




 ビュンッ



 詠唱を終えた瞬間、空間を切り裂くような音が聞こえた。

 その正体は俺の頭上にあった。

 歪みは空中で形を変え、10センチほどの円が床と平行に出現した。

 ここから漏れ出す光線は自然の法則を無視し、360度の全天を覆うかの如く拡散する。

 同時に、今ここに巨大な魔力が俺の中から流入していく、

 段々と光が増えるその姿は、プラネタリウムを思い出させた。

 眩くも、どこか神秘的なこの輝き。

 その一つ一つが高密度の魔力であり、色も形も様々な光が浮かんでいる、

 そして光は視界を埋め尽くしたかと思うと、ゆっくりと円を中心に回転し始めた。



 ゴオオオオオ……



 見ると光線は、綿アメの機械のように、靄のような何かを絡め取りながら回っている。

 それは何回転もすることで、段々といろが濃くなり、黒くなる。


 魔王の魔力だ。


 光線に絡め取られたその魔力は、螺旋を描きながら線を伝い、最後には俺の手元にある円の中へと吸い込まれていく。


「よし……成功だ!!」


 そう呟き、俺は後ろに立つ賢者の方を向いた。

 これで完全に俺の策を受け入れてくれる、そう思ったからだ。

 だが予想と反し、この光景を見てもなお、彼女は不安そうな顔をしている。


(そんな顔をされたって、俺はもう覚悟を決めたんだ。もう迷うことはないって、分かってくれよ……)


 彼女を見続けるのは辛くて、俺はすぐに意識を両手へ移し、魔法の維持に努める。

 嫌な感覚を拭い去ろうと、俺は目の前の現象に集中する。



 この魔法を一言で表すならば……「夜空」


 吸い込まれる魔力は増えていき、天井は段々と黒が濃くなっていく。

 薄く淡いグレイだった空も、今では深い闇に覆われている。

 けれども、ただ暗いだけではない。

 俺の作り出した光が、その暗幕に点々とした灯を映し出しているからだ。

 もしそれを星と見るならば、数千、数万もの輝きが純黒の中に散りばめられ、まるで満天の星空だ。

 何故だか、命が懸かった勝負のはずなのに、俺はその綺麗さに見惚れていた。


 あれ?……うねる世界と中心に立つ自分、その光景をどこかで見たような気がするな。


 一体いつのことだったか、何だか思い出せない。

 けれどそれは、とても大切な思い出に思……


「……まおううぅぅぅ……」


 微かに聞こえた声。

 それを、俺は聞き逃さなかった。

 小さくはあったけれど、確かに俺はその声を聞いてしまった。




「…………まおうぅぅぅぅ…………まぁだぁぁぁぁぁ、終わらぁせなああいいいいいいッッ!!!!!!!!!」



「な!?」



 部屋に鳴り響いた気味の悪い声。

 野太く耳障りで、けれど不気味なほどに俺とソックリな声。

 何度も何度も聞いたはずの、世界で一番最悪な声。



 ……どうやら少し、作戦を実行するのが遅かったようだ。



 奴はもう一度、大きく鳴き叫んだ。




「…………オレガアアアアアアアッッッッッッ!!!!!魔王ダアアアアアアアアアアッッッ!!」

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