第8話 魔王に混沌と絶望あれ

 目の前には、二つになった青年の屍体。


 今の今まで、扉を開けようとしていた彼。


 それが、ほんの数秒で息を止めた。


 中央に走る赤い絨毯。


 その上を、より濃い真紅が染みとして広がっていく。


 ……あり得ない。


 頭が真っ白になる。










 ポタリ



 その音は、確かに聞こえた。


 俺のすぐ横で。


 それは、ただ簡単な事実を表していた。


 見るまでもなく。


 けれども、俺は見なければならなかった。


 だってそれは、起こる筈のないことだったから。





 ポタリ





 その音は静寂に響いた。

 雫の垂れる音。

 銀色の刃から緩やかに赤色が落ちる音。





 ポタリ






 立ち尽くす勇者の、その剣は




 真っ赤に染まっていた。




 ………





 ……ああ、死にすぎたからだろうか。この光景を見たにも関わらず、俺の思考はすぐに回り出した。



 動かなきゃいけない。





 そう思った瞬間、身体は動いていた。

 俺の身体は、勇者から飛び退き、大きく距離を取る。

 握られていた筈のロープは、勇者の手からスルリと抜け落ちた。


 他の二人も気を取り戻したようで、すぐに扉と勇者から距離を取った。

 だが、勇者は動かない。


 虚ろな目をしており、身じろぎ一つすらしない。



 金髪の少女は、弓を構え彼を睨む。

 その矢先は白く輝き始め、菱形(ひしがた)から細く螺旋状に変わっていく。

 賢者と呼ばれた少女は、その後ろで杖を構える。

 杖にはめ込まれた宝石は虹色に変わり、模様が浮か び上がる。



 そして、


 誰も動かない。



 今の状況。

 誰も何も言わないが、感じていた。


 戦士を勇者が殺したということ。


 もちろん、どう考えたって、不自然な点がありすぎる。

 だからこそ話し合うべきなのだ。


 けれど、最も何かを言うべき筈の勇者は、沈黙している。


 そうなると、例え1パーセントの疑問があろうとも、経過するしかない。


 そうして、誰も動かない。



 ただ血の落ちる音だけが、時を刻んでいる。



 その沈黙を突然に破ったのは、勇者の雄叫びだった。



 息を吸い込む事すらなく、突然だった。









『ヴヴアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッ…………!!!!!!』








 一体何なんだ!?


 喉を削り出したような咆哮。

 意思のある声ではなく、限りなく狂った音響。

 こちらの意識を持っていかれそうになる。

 叫びと同時に、彼の口と鼻、そして耳から血が噴き出した。

 目はカッと見開き、顎は壊れるほどに広がっている。

 身体のあちこちが痙攣し、瞳孔が乱れた動きで泳ぎ始める。

 眉間は強すぎる力のせいか、破れて血を流す。


 それは、化け物と呼んだ方が近かった。


 俺の残っていた理性も、彼の姿を前に吹き飛んだ。


 壊れた音は部屋の空気を砕き、そして小さくなっていった。

 掠れ、擦り切れ、そして音は止まる。



 誰も動かない。




 動けない。


 けれども、勇者はギョロッと目を動かした。



 その先は俺と反対方向。二人の少女。


 勇者の口は、ゆっくりと、ゆっくりと閉じられる。




 そして、彼の脚が伸びたかと思うと、次の瞬間、身体は宙に浮かんでいた。剣を握りしめ、大きく振り被っている。



 勇者は、仲間たちに飛び掛った。






 俺はといえば、ただ立ち尽くしていた。


 訳の分からないことが起き過ぎたせいだろうか。

 先ほどは素早く回った思考も、停止していた。


 けれども、体感だけは。

 そのときだけは、俺の感覚は誰よりも、


 その瞬間をよく見ていた。



 それは、

 少女が勇者に向かって弓を引いた時からだった。


 一秒にもならない僅かな時間だった。

 けれども、その瞬間、全てのものがスローモーションになる。



 勇者の、燃えるような額に、輝く矢が垂直に触れる。


 鋭利な先端からプッツリとした鮮血の玉が生まれた。


 その玉は、矢じりの螺旋(らせん)に巻き取られ、赤い筋となる。


 矢は回転しながら、眉間を裂き、頭蓋にのめり込む。


 そこから流れ出す血は、あたりにに放射状に飛び散っていった。







 時間の流れが俺の身体に戻ってくる。



 そして、ほんの一瞬。








 勇者の頭が木っ端微塵に吹き飛んだ。






 星にも似た矢の閃光は、奥の壁に突き刺さる。

 目が間に合わないほどにそれは速く、背後で巨大な音がする。

 振り向くと、そこには直径1メートル程の穴が空いていた。

 そして後から、ジェット機が空気を劈(つんざ)いたような音が響き渡る。

 耳を塞げない俺は、思わず目を強くつぶった。


 俺はすぐ、勇者の方を向き直す。



 そこには頭を失った勇者が、足元から崩れ落ちていた。

 周囲には赤色と、彼の髪である銀色が飛散し、見るも無惨な血だまりが出来ていた。


 死んだ、と思った。



 けれども、

 その身体は動いた。

 脳のないままで立ち上がった。動くたびに血を溢(こぼ)しながら、真っ直ぐと立った。

 それでも、足を動かし、進み出そうとする。


 それでも、

 二発目の矢が、彼の心臓を

 三発目の矢が、彼の胴体を打ち抜いたとき、




 彼の四肢のみが、地面に散らばっていた………










 ……二つの屍体が、扉の前に横たわっている。

 正確にはバラバラとなって散らばっている。けれど、そんな言い方はしたくない。

 さっきまで一緒にいた彼ら。

 一人は剣で、

 一人は弓で殺され、その近くに槍と剣が転がっている。

 その周りを、俺を含め三人が無言で囲っている。


 この謎の事件の中、弓を射った彼女の行動は、正しかったと思う。

 そうしなければ、屍体が三つ増えていた。

 もし、狙われたのが俺だったら、間違いなく死んでいた。

 ロープで縛られ抵抗することのできない俺は、非常の幸運だったと言えるだろう。

 だけれど、

 俺は、哀しみのような……憂いのような……そんな気持ちに襲われていた。




 今まで何回も死ぬような目にあった。そして実際に死んだ。

 それを辛いとは思ったが、悲しいとは思わなかった。

 けれども、目の前で誰かが死ぬこと。俺は、それを初めて実感した。してしまった。

 自分ではない、誰かが殺される瞬間を見てしまったこと。

 死なれることの怖さ、

 殺されることの恐ろしさ。

 彼らが、それを俺に残していった。

 それは……心を痛めつけた。

 胸の奥をギュッと締め付けた。




 一連の事件の流れ。


 何故、急に死んだのか。

 何故、急に狂ったのか。

 何故、魔方陣があるのか。


 何故、なのか。



 疑問は浮かんでいる。

 この謎を解明しなくてはいけない。

 そうしないと、先に進めない。


 けれども、今は考えることができない。



 この部屋から脱出する。

 それが、さっきまでの俺の目標だった。

 両手を塞がれてるとはいえ、頑張れば出れるだろう。


 けれども、今はどうだって良かった。




 理解しなくちゃいけないのは分かっている。

 立ち止まってちゃいけないことも知っている。



 それでも、この感情は俺にとって

 前に進むためには、余りにも重かった。


 初めて感じた他人の死は、俺に傷を残していった。


 未だに、現実を受け止めきれない。

 そして感情の整理も、事件の整理もつかなかった。




「…………何よ」


 射手の少女の呟きが耳に届く。

 俯いたままの彼女は、声を震わせながら呟く。


「何で…………、勇者が………二人が………」



「………」


 俺は、何も言えない。




「……アンタのせいよね」


 少女は、ゆっくりと俺を見た。

 その瞳は大きく揺れて、けれども俺をハッキリと捉えていた。


 気持ちは分かる。

 全ての責任を誰かに押し付けられたら、この気持ちはどれだけ楽になるだろう。

 悪いのは全てコイツだと決めつけられたら、怒りの矛先を定められたら、この気持ちは怒りに変わり、ソイツを倒せば晴れるのだから。


 俺には。彼女がそう思っていることが分かっている。


 だからこそ、俺は何も言えない。


 何も。


 言うことができない。


 言えない。


 何も。


 できない。



 俺は………













「ハァ、また駄目ね」











 それは、この場においてあり得ない声。


 余りにも、軽い言い方。

 まるで、子供がゲームに負けた時のような、そんな感想。


 その声の主は当然、




 虹色の少女だった。




「今回の勇者の暴走は、やっぱり少しが残っていたせいかしら。戦士を殺すタイミングに、気をつけないと。それに魔方陣も、認識されないように二重掛けしといたのに、少し甘かったようね。掛け直しさないといけないわ。それから……」





 ……何を言ってるんだ?


 この暗い空気を読まずに、彼女の口はブツブツと動いている。

 まるで、自分には関係ないかのように。

 二人の仲間が死んだことを忘れたように。


 それは、人としてあり得ない行為だった。

 俺は、彼女を理解できない。

 彼女が何を言ってるのか分からない。




 ……いや、違う。



 俺は既に予想していた。

 そして、やはりそれが、合っていたのだ。



 憂鬱という感情で固まっていた俺の脳は、大きくうねり始めた。

 証拠と論理が整理されていく。


 今回の二人の死、そして前回の3人の死

 そして、彼女の今の言葉


 答えは驚きそうになるほど簡単で、たった一つだけだ。


 一体、彼女は何を考えているのか分からない。

 けれども、出てしまった結論はもう、変えられない。


 つまり……



 その瞬間、感情が180度回転した。

 哀しみは薄くなり、俺の中に、消えていた激しい思いがこみ上げる。



「賢者っ!!」


 俺は力の限り叫ぶ。

 少女は呟くのを止めて、俺を見た。

 美しいと思った翡翠色の瞳。その眼の奥は暗く、俺を映している。

 怒りが、俺の中から湧き出してくる。

 この感情を俺は抑えきれずに、大声で叫んだ。







「お前が、俺たちを殺し続けたんだな!!」






 射手の少女が、眉を潜めて俺を見ている。

 そんなことに構ってられず、

 俺はまた叫んだ。






「お前は、ッ!!!」




 狂った勇者の咆哮よりも大きく、

 何も言わぬまま死んだ戦士の声を代弁するように、

 俺は叫んだ。






『お前は…………ッ!!!!』





「ええ、そうよ」


 虹色の少女はあっさりと答え、杖を掲げる。




「ッ!?」


 瞬間、俺の視界が暗転した。意識が急速に遠のいていく。

 これは、あの時と、前回の時と同じ感覚。

 いやそれだけじゃない。今まで何回も味わっている。


 死んでいく感覚。


 身体は崩れ落ち、呼吸が止まっていく。

 何だよ、今、やっと手掛かりを掴んだのに……


 俺の意識は高ぶり、抗おうとするもどんどん弱っていく……


 どこからか、あの射手の少女の声が聞こえる……


 そんな聴覚も、ある言葉を聞聞きながら失われていった……



「貴方、まだ駄目よ」



 まだ、こんな所で終われない……


 俺は、全ての力を集中し、目蓋を持ち上げる……


 視界に入ったのは……元凶の女……


 彼女は俺を……驚いたらしい……


 ……そして……虹色の髪……揺らし……



 …少女は……






 可愛らしい笑みを浮かべた








 ……それが……俺の……




 ……最後の………




 ………

 ……



 …












 アア、オワレナイノカナア



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