第02話 地虫
道行きは予想以上に困難を極めた。
手と膝とを使って少しずつ、少しずつ岩の上を前に進んだ。指先をカタツムリのアンテナのように前に突き出し、障害物がないかを探った。
一センチ刻みの移動だったので、私は自分がナメクジかミミズにでもなったような気分だった。
岩肌は滑らかではあったが、表面に水分を含んでいて、ぬめぬめして気持ちが悪い。途中、切れ込みのような窪みが空いていて、手や膝が沈み込んだ。
進むごとに呼吸は荒くなってくる。ごく小さな歩みではあるが、想像以上にこちらの体力を奪っていた。両手、両足の筋肉も疲労して痙攣してきた。
体は水分を求めている。浴びるように水が飲みたい。いつの日か飲んだコントレックスのくびれたペットボトルのイメージが脳裏に浮かんだ。口に含みたい。干からびた口内を、食道を潤いで満たしたい。
「ゲッごぉッ――」
突然、潰されたカエルの断末魔のような声が響き渡った。声はどこから発されたのだろう――他ならぬ私の声帯からだ。
突如凄まじい痛みが指先に走ったのである。千本の針を指したような痛みは脳を揺さぶり、私の全身を岩の地面へと押し付けた。
「がァァァァッ――」
声の限りに叫んだ。乾いた喉からは汚らしい声が迸しり続けた。
おそるおそる指先に触れると、生暖かい血の感覚があり、またもジワリと痛みが広がった。
痛みの波が引いていくに連れて、痛みの実相のようなものがイメージとして頭の中に現れた。
なにか硬いものにぶち当たったのだ。爪が根本から剥ぎ取られ、先日サロンで施してもらった、オフホワイトのつけ爪とともに闇の深い中に沈んでいった。
負傷した指先を口にくわえながら、無事な方の手をゆっくり目の前に差し向けて、濃密な闇の向こうに何があったのかを探る。ゴツゴツした表面が指先に当たった。
壁だ。眼の前は行き止まりだったのだ。そこに不用意に指を突っ込ませたものだから、ひどい目にあったのだ。
それからなんとかして壁に寄りかかった。肌から体温を奪う岩の地面に寝転がっているよりも、そうしたほうがいくらか楽だった。
力を抜くと、寒さと疲れとが一気に押し寄せた。それらは私の思考を眠りと覚醒のあわいの中に置いた。
――どうして私はここにいるのだろう。
地虫のように岩肌を這いながら幾度となく発した疑問。
半覚醒の意識の中で、記憶の扉がそっと開かれ、その答えを指し示した。
その時、私は薄暗いホテルの一室にいた。
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