坂本さんは『人間』である

しらす丼

第一話 『人間』という存在

 同じ職場で働く坂本さんは、『人間』だ。


 鉄製品の加工工場に働く五十代の男性。配偶者あり。見た目は風が吹けば飛ばされてしまいそうなくらいヒョロリとしていて、髪は少しだけ白く、性格は温厚で優しい。


 そしておそらく『人間』じゃなければ、もっと周りからは違う目で見られていたように私は思う。「可愛い!」とか「優しくて頼りになる人だ」とかそういう感じ。



「おはようございます」坂本さんは掃いていた箒の手を止め、穏やかな笑顔で女性作業員に言った。


 しかし女性作業員は「ふんっ」と鼻を鳴らし、坂本さんから離れていく。


 坂本さんは少々悲しそうに笑うと、また箒を動かし始めた。



 そう。坂本さんは『人間』であるということだけで、職場の人たちからはよく思われていないのだ。


 そして。『人間』――今ではその呼び方もすっかり廃れ、みんな『旧人類』と呼んでいる。


 私もみんなの前では同じように『旧人類』と呼ぶものの、なぜかそのことに違和感を抱いていたのだ。


 しかし、そう思うのは私だけみたいで、他のみんなは坂本さんのことを「旧人類さん」だとか「そこの古い人」だとか本人を前になんの疑いもなく口にする。


 社会科の教科書にそう書かれているのだから、私たちの世代にはそれが一般常識として浸透しているのだろう。


 だからこの場合、おかしいのは私であって周囲にいるみんなではないのだ。


 ここで『人間』と、私たち『新人類』の歴史についてハッキリさせておくべきかもしれない。




 遡ること五十年。この地球では恐るべき疫病が蔓延した。その影響で『人間』は滅び――ることはなかったが、IT業界の成長が著しくなったのである。


 次々と電子化、AI化が進み、人々の交流すらもデジタル的なものになっていった。


 そして技術の進歩の過程で、国のお偉方たちはあることを思いつく。


 ――今はもう多様化の時代。『人間』のあり方だって変わっていいのではないかと。


 それからすぐに、AIを導入したヒト型のロボットを開発。新たな人類として、『人間』との共存を目指した。


 しかし新たな人類は優秀過ぎた。管理していた『人間』達はいつの間にか管理される側になり、その立場を失っていったのだ。


 『新人類』達は徐々に自分たちの人種を増やし続け、同人類同士での結婚をし、子を授かり、家族と呼べるものになっていった。


 『人間』たちは管理されながらも今まで通りに人種同士での結婚や、ごく稀に『新人類』と結婚するものもいた。


 そして管理下にある『人間』同士での結婚は、子を授かっても出産できないことがほとんどだった。


 それは水面下で進められている『旧人類減少計画』の影響だと言われている。


 なお『新人類』と『人間』の間に生まれた子供は、公的機関の仕事に就けないなどの多少の差別はありつつも、普通に生きていけるようにはなっている。ちなみに私はその部類だ。


 『人間』という存在は、絶滅危惧種というほど減ってしまったわけではないのだが、そんな『人間』たちを誰も大切にしようとする気は無い。


 そこにいてもまるで存在していないかのように扱うのが、当たり前な行動なのだ。


 坂本さんは今日もいつものように作業場の掃き掃除やゴミのまとめ、使い終えて乱雑に置かれた工具などを元ある場所へと綺麗に整頓している。


 もちろんそれは業務内容とは別のものだ。


「やっぱり、違和感しかない……」


 『旧人類』なのだとしても、同じ時代を生きていることに変わりない。


 それなのに、どうしてこうもおざなりな態度が出来ようか……。


 そして誰が初めに言い出したのか分からないけれど、私が入社するずっと前に坂本さんが全ての雑務を行うべきだということが満場一致で決まったらしい。


 そんな決を取られる場面に私が居合わせたなら、反対に一票――入れられただろうか?


「きっと、無理だっただろうな」



 ***



 数日後。社員食堂へいこうとしたところで、坂本さんがランチバックを持ってどこかへ向かうのをみた。


「坂本さん、いつもお弁当なんだよね」


 やっぱり『人間』だから食堂も使わせてもらえないのだろうか――。


 そんなことを考え、少し胸が痛んだ。


 後を追っていくと、工場を出て少し歩いたところにある薄汚れたベンチに座り、坂本さんは持っていたランチバックの中からガサゴソとお弁当箱を取り出す。


 そして両手を合わせると、箸を持ってその中身を口に運び始めた。


「いつもこんなところで食べているのかな」


 じっと見つめていると急に自分の腹の虫が鳴き出し、まだ昼食を摂っていなかったことを思い出す。


 自分の半分がロボットなのだとしても、残りの半分は『人間』。だから私だってお腹ぐらいは空くのだ。


 それから私は何を思ったのか、社内にあるコンビニエンスストアでお弁当を購入して、そのまま坂本さんの元へと向かった。


「あの、隣いいですか?」


 私の言葉に坂本さんはキョトンとしていたが、すぐに破顔し「どうぞ」と言った。


 私は軽く頭を下げ、ベンチに腰を下ろす。それから買ってきた海苔弁当を開け、海苔の張り付いたご飯を口に入れていった。


 ご飯を咀嚼しながら、私はなぜこんなことをしてしまったのだろうと自分の行いを悔いる。


 隣では黙々と坂本さんがお弁当を食べ進めていた。


 何か言わなきゃ。でも、何を言う?

 今までちゃんと話したこともないのに。


 そんなことを考えていると、つい大きなため息が漏れた。


「お仕事で悩みでも?」唐突に坂本さんが口を開く。


「え?」


「いえ、白川さんがこんなところでお弁当だなんて。珍しいなあと」


「そう、ですね。坂本さんはいつもここで?」


「ええ。妻がお弁当を持たせてくれるので」と坂本さんは笑顔で言った。


「奥様も『人間』なんですか?」


 坂本さんは少し驚いた顔をしてから、「はい」と答えた。


「『人間』――まだそう呼んでくださる若い方もいたんですね」


「私の母も『人間』で。私はハーフなんです」


「そうでしたか」


「あの、生きづらくないですか。ここ、『新人類』しかいないから」


「そうですねぇ。でも、私はここでの仕事が気に入っているんです」


 坂本さんは笑いながら言う。


 前に誰かから聞いた話だったが、坂本さんはどこかの工場の跡取り息子だったんだとか。


 そしてその工場は父親の代で廃業することになって、職を失った坂本さんはもともと父親と親交のあった社長に拾ってもらってここに勤め出したらしい。


 どこまでが本当かどうかはわからなかったけれど、知り合いの伝手で仕方なくここへきたのかなと私は考えていた。


 けれど、そうじゃないらしい。


 坂本さんはこの工場で生産されているものが、実家の工場で生産していたものと同じだからここでの仕事を気に入っているということだ。


「じゃあ、何があってもここを辞める気はないと」


「ええ。拾ってもらった御恩もありますし。私の技術が少しでも役に立てればと考えています」


「そうですね」


 どれだけ悪い扱いをされても、坂本さんは自分の仕事に誇りを持っているのだろう。


 それがとても眩しく、羨ましかった。

 なんとなくで働いている私とは大違いだ。


「それじゃあ私は戻ります。白川さんはごゆっくり」


「はい」と返事をしてゆっくりと立ち去る坂本さんの背中を見送る。


 それから少しだけ肌寒い風が私の首筋をすぅっと撫でるように吹いていった。私は思わず「寒っ」と首をすくめる。


 しかし坂本さんはその風のなか、しっかりとした足取りで進んでいた。


 なんだかその姿が少しだけ、頼もしく見えた。


「私も仕事、頑張らなきゃなあ」




 そして坂本さんと昼食を共にしてから数日後のこと。工場内でとある大きな事件が起こる――。

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