第47話 ニ丁拳銃弾け飛ぶ2
さいたまスーパーアリーナでの演奏は、直前までの緊張とは裏腹に冷静にギターを弾けた。客席が遠く、人も多すぎて顔もほとんど見えなかったから、文化祭の初日同様、僕は驚くほど落ち着いていた。これだけ大勢の前で音を鳴らすのは最初で最後になることは分かっていたから、この光景を忘れないよう、噛みしめるように演奏した。
6才児の持ち時間は15分。2曲演奏し、最後に『そうだ埼玉』。
身体がほぐれてきたクマは、1番を歌い終えたあたりでとうとう所定の位置から外れ、新成人がいるスタンド席目掛けて走って行った。
始まった。
「おい!聞いてないぞ!」「なんであいつ動くんだよ!」
スタッフの怒号が飛び交った。カメラマンが動けるスペースに限界があるため、演者に動かれると捉えきれなくなるし、照明の問題もある。「絶対所定の位置から出ないでください」と念を押されていたのは、そのためだった。
文化祭ライブでブルーハーツを歌い、スターとなった17歳のクマ。正月明け早々子どもが高熱を出し、このタイミングで伝染ったらどうしようと不安の中、子どもの介抱でここ最近ほとんど寝れていなかった37歳のクマ。
あれからちょうど20年。そうか、この会場にいる子たちは、僕が長渕をやり、クマがブルーハーツをやっているとき、そう遠くないところで生まれた子たちだ。
そんな感傷的な僕の思いに反し、新成人たちはドン引きだった。埼玉ポーズは聞いたことあるけれど、このバンド誰? さっさと終われ。
20年前ならもう少し届いただろうか。時代は変わり、もう君はロックなんか聴かない。
それでもクマは、お構いなしに会場を練り歩き、叫ぶように歌い続けた。僕はギターを弾きながら遠く離れたクマを見て、笑いが止まらなかった。高校の文化祭で、高円寺のライブハウスで、オガサカの結婚式で見た彼と同じ。よくやるわ。
クマの歌声にはオリジナリティがあった。こうして冷静に見てみると、いろんなことがよく分かる。僕の歌声は、カラオケ上手な器用さしかなかった。専門学校に入学したとき、「やつらは所詮ただのカラオケ上手で、俺は表現者」と僕より歌が上手い同級生を見て居直ったが、僕もただのカラオケ上手だった。なりたいものと、なれるものは違う。それを認めず背けることはできても、現実は変えられない。ならば自分が変わるしかない。なれるものに。
ノリの良さそうなギャルっぽい新成人の女の子二人が、一階スタンド席から手を差し出しているのを見つけたクマは、すぐに歩み寄ってハイタッチした。そのまま大物ミュージシャン気取りで、会場全体を広く使いながら戻ってきた無名会社員のクマは、カメラに近づいて行って舌を出した。
全ての演奏を終えたあと、新成人代表の司会者たちに、クマは一言求められた。
「素敵な演奏をありがとうございました。新成人へなにか一言、メッセージをお願いします」
「えー…まあ自分もこの年でこんななんで、偉そうなことは言えませんけど…」
そしてクマは会場を見回しながら、こう言った。
「大きな夢なんて持たなくてもいいと思います。ただ、今日、回りにいる友達を、悲しませるような生き方だけはしないでください」
控室で僕は言った。
「なにちょっと良いこと言ってんだよ。あそこは猪木ビンタでしょ」
「やるわけないじゃない」
「マイク奪い取って。張り手で」
「出禁になるわ」
そのあと僕らにオファーが来ることはなく、本当に出禁になったかもしれなかった。やるなと言われたことを丁寧に全部やってしまったのだから、出禁になっても仕方がない。
しかしその後、そうだ埼玉.comのお問い合わせフォームから、たくさんの感想が届いた。
「今日スーパーアリーナにいたものです。とても勇気をもらいました」
同伴していた親御さんからも感想が届き、ドン引きされたかのように思えた会場も、何人かには喜んでもらえたようだった。全力でやれば、何人かには届く。どこかに必ずいる。ロック好きが。エンタメ好きが。
『そうだ埼玉』は、6才児の2ndアルバム制作中に作った歌だった。1stは20代の頃作った曲をメインに収録したが、今度は新たに、30代になった僕らが作った曲を2ndとしてレコーディングしているときだった。
僕は6才児を召集した頃から、20代の頃のように曲を書き続けていた。その中に、『すごろく~すごいろくでなしの息子~』という、ナガちゃんが書いてきた詞があった。親への感情をストレートに歌ったこの詞に曲をつけたとき、もうこれ以上のものは作れないと
14歳でミュージシャンを志し、そこから23年間、様々な形で音楽に携わりながら、最後の最後で6才児のギタリストとして表舞台に出たりもしたけど、音楽人生とはこの曲を最後に、きっぱり決別した。
シンガーソングライターになるという僕の夢は、それくらい大きなものだった。いつなんどき、なにをしているときも、常に体内のどこかで消えることなく眠っていた、ささくれのような感情。
子どもの頃から
なりたかったものに
なれなかったんなら
大人のフリすんな
ハイロウズの歌にそんな一節がある。僕はとうとう大人になれなかった。いまいちパッとしなかった僕の音楽人生の最後が6才児というのは、よくできた偶然だ。
寝た子を起こされた6才児は、そこから2度目の活動休止に入り、僕もそれ以降曲を書くことはなくなった。
6才児の2ndアルバムはiTunesで配信限定でリリースした。さほど売れることも話題になることもなく、静かに埋もれていった。
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