第29話 七週目①
七週目
目が覚めると、胸元に猫が乗っていた。
体は起こさず目を見開くと、猫は、おはようございます、と呟いた。
なぜ重みを感じないのだ? そうか、猫は、タミさんは幽霊だから、と次第に目が覚め、頭がはっきりしてくる。しかし猫は、今までこんなことはしなかったはずだ。もしや「お坊ちゃまのかたき」などと言って、私の喉笛をかみ切るつもりなのでは……と思っていると、ご挨拶くらいなさい、と注意された。
「おはようございます……、なんでこんなところにいるのですか?」
――あなたに、タミがよく見えるようにです。
まさか、そうこうしているうちに「それはあなたを食べるためです」という答えに繋がる質問をするよう誘導されるのではないか、そう思って身構えていると、猫はさっと後ずさった。途端に姿が消える。はっとしていると、また猫が現れる。
――タミは、また一つこちらの世界から遠ざかりました。これくらい近くにいないと、もう、あなたにタミを見ていただくことができないのです。
いつだって、こうして一つ一つ現実に直面させられていくのだ。
――昨日休養したので、また少し元気を取り戻せました。最後の質問はいつされますか? 今でもいいですし、後でもいいですけど。後にするのであれば、日程を決めて下さい。そのときに備えて、余力を残しておきますので。
「では、木曜日の夜でお願いします」
――承知いたしました。
「タミさん、本当にいなくなってしまうんですか?」
――あと一週間はいます。
そう言い残すと、猫はすーっと消えていった。
休日になにもしないでいるのは、こういう場合大そう歯がゆい。
私がすべきことはなにか。それは、どの扉に町田君が隠れているのか見つけ出すことである。しかし、扉は大きさも模様も多様すぎるし、彼が好きな絵柄の扉に隠れているのか、もしくはあえて嫌いな絵柄の扉に隠れているのか、そんなことも日ごろの性格から簡単に推測できるものでもない。それに、昨日のNo2との会話も気になる。
「出て来られなかったらどうなるの」
「どうなるんでしょうね」
いよいよ芳しくない状況になりつつあるようだ。ここはもう、手段を選ばず加奈子さんに聞いてみるべきなのかもしれない。
思い立ったが吉日だ。用件だけ記すと、迷う隙を作らぬよう、えいやとばかりにメールを送信した。
――突然申し訳ないけど、訊きたいことがあります。よかったら今日か明日会えませんか。
すると、私の様子が見えているかのごとく、すぐに返信があった。
――わかりました。今日の三時ごろ、お茶でもどうですか。
待ち合わせた場所は、駅の人通りの少ない出口付近の喫茶店だった。店に入り、しきりが設けてある、半個室の席に座る。加奈子さんはかなり早めに来たけど、私のほうがもう少し早く着いていたので、驚いたようだった。すぐに涼やかな笑顔を見せると「お待たせしてすみません」と言った。
「全然。まだ時間になってないし」
彼女が席に着くのを待って、
「これ、昼下がりのお礼。どうもありがとうね」
と、クッキーの詰め合わせを手渡した。
しばらく取り留めもない話を続けていたが、一瞬の隙を突いて、加奈子さんが切り込んできた。
「訊きたいことってなんですか?」
できるかぎりさらっと聞こえますようにと願う。
「なにか、私が怒らないといけないようなことってあったかな?」
彼女は、一瞬警戒したようだった。
「いいんです。私の勘違いだったかもしれないので」
「ええ? なんだか気になるなあ。なんだったんだろう」
お互い、いいですよぉ、気になるぅ、と何度かぶりっこを続けてみたが、飽きてきたので、今度は私から切り込む。
「町田君のこと?」
加奈子さんが、ほんの一瞬、口元だけでにっと笑ったのをとらえると、できるだけなんとも思っていない口調で続ける。
「非難しようというわけじゃないんだ。ただ、今すごく困っていることがあって」
困っていることがあるのは事実だけど、こんなに急に会うことになるとは思っていなかったので、どう説明するか考えていなかった。
「町田先輩のことが、今でも好きなんですか?」
何を言い出すのだろうという思いと、やはりこう来たかという思いが同時に湧いてきて、そしてどういうわけか、否定の言葉が出てこない。
懸命に言葉を探していると、加奈子さんはふっと微笑んだ。
「先輩、町田先輩がどんな人かって、わかってます?」
「わかってることはわかってるし、わからないことはわかんないけど」
「それはそうですけど。でも、あの人は、けっこう特殊だと思いますよ」
「どう特殊なの? 猫とお話できるとか」
「ふざけないでもらえます?」
少なくともこの様子では、この子はタミさんと話したわけではないようだ。
「あの人は、いつまでたっても距離が遠いままの人なんです。笑ってるのも、ちょっと寂しそうにしてるのも、機嫌悪そうにしてるのも、なんだかそういうの、全部振りしてるみたいに見えちゃうんです。面白いから笑うんじゃなくて、こういう場面で人は笑うものだからとりあえず笑っておこう、というような。すべてがそんな感じなんですよ。
だから私は、あの人が本当はなにを考えてるのか、ずっとわからないままでした。失礼な言い方かもしれないけど、人を相手にしてるって感じが薄かったんですよね」
「じゃあ、なにを相手にしている感じなの?」
「ホテルのフロントの人とか、駅員さんとか……まあ、人ですけど。でも、そういう人たちって、人っていうより、役割じゃないですか。本来どういう人であるかは別として、仕事中はとりあえずお客さんには適度に人あたりのいい態度で接しますよね。町田先輩の場合には、プライベートでもそうなんです。だから結局、あの人がどういう人かっていうのが、見えなかったんです。常になにかの業務中っ感じで、私には、けっこうストレスでした」
「そうなんだ。私は、そこまで深く関わってなかったから、わからなかったな」
加奈子さんが、ふと真顔になる。綺麗な顔立ちがちょっと怖く見える。
「涼子先輩といたときの町田先輩は、まあ、自然なほうだったと思いますよ。少なくとも、私といたときよりは」
「それは、加奈子さんが相手だったら誰だって緊張しちゃうんじゃないの?」
笑って誤魔化そうとしたが、加奈子さんは無言のままだ。
二人して、しばらく静かにコーヒーを啜っていた。
「なんて言ったらいいんですかね……、本当の顏は隠したまま、みんなに『町田晋はこういう人だ』と見せてるっていうか。」
「誰だって、本当の顏と人に見せてる顔なんて、多かれ少なかれ違うもんじゃないの?」
これはNo2のセリフっぽい。まさか毎週会ううちに影響を受けてしまっているのか。思わず首をぶるぶると横に振る。
「ううん、そう理詰めで返されても困るんですけどね。わからないんなら、もういいです」
やだ、加奈子さんの反応も私に似てきていないか?
「ごめんごめん、そうだよね、言葉にするのが難しいことってあるよね」
加奈子さんが意外そうな表情を見せる。
「涼子先輩、そんなこと言うようになったんですね」
一応は上級生だった私にこんなことを言うなんて、彼女らしくない。よほど意表を突かれたのだろうか。しかし、どういう意味なんだろうと考えていると、
「昔からそうだったら、今とは違う結果になっていたかもしれませんね」
そんなことを言いつつ、視線をずらされる。煙に巻こうとしているのか。
「涼子先輩って本当にわかりやすい人ですよね、昔から。
覚えてます? 以前、私と町田先輩が一緒に歩いてて、道の向こうから涼子先輩が歩いてきたことがありましたよね、涼子先輩、なにも知らなかったのか、びっくりした顔で私たちを見て。そして堂々と無視して去っていきましたよね」
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