第5話

「カルナヴァーンって知ってる?」

 森を抜けるように示された道を走りながら、十兵衛は首を横に振った。十兵衛が分かるのはここが日本ではないことぐらいで、その他に関しては全てが未知である。

「悪いがアレン、俺はわけあってこの世の常識というものが抜け落ちている。詳しく説明を頼めるか」

 十兵衛の答えに、アレンは素直に頷いた。そもそも十兵衛の有り様も名前も、アレンの常識には無いものだ。何か理由があるのだろうとは思いつつ、しかし今聞くべき事ではないと自身を律したアレンは先の話を続けて語った。

「【蟲道こどうのカルナヴァーン】。魔族の国ヨルムンガンドで、魔王に直接仕える七閃将ななせんしょうの一人。体内に虫を巣食わせてるとんでもない奴で、そいつが放つ寄生虫が人に宿ると……魔物に、なるんだ」

「あのスコットとやらも、その寄生虫に侵されたというわけか」

 側を飛んでいたハーデスの言葉に、アレンは固く目を瞑って頷く。

「今回みたいなことは、ここよりも海側の方では時々あるんだ。ヨルムンガンドと唯一陸続きになってる所は、この国……レヴィアルディア王国の騎士達が戦って侵攻を止めてくれてるんだけど、カルナヴァーンの寄生虫を持ったまま広大な海を飛んでやってくる奴がいて……」

「それが此度お前の村を襲った、と」

「うん」

 震える声と共に首肯したアレンを、励ますように十兵衛が背負いなおした。

 日本における鬼のような存在――魔物。ここはそんな者が蔓延はびこる世界なのかと、ハーデスが連れてきた惑星マーレという星の厳しさに思わず眉根を寄せる。

「いつどこで寄生されたかは、誰も分からなかったんだ。でも、カルド村では十人近くの人達が徐々に魔物に変じ始めた」

 寄生されたと思われる村人達は、まず手から変化した。異様な程に爪が伸び、つるりとしていたはずの手から獣のような毛が生え巨大化していく。その時点でカルナヴァーンの寄生虫だと判じた村人は、腕利きの神官がいる交易都市リンドブルムに早馬を走らせた。

「神官……というと、神に仕える者のことか」

「そうだよ。十兵衛はは見た事ない?」

「無いな」

「そっか」

 神官の奇跡は魔物に非常に効果的で、カルナヴァーンの寄生虫も祓えるという。それを知っていたカルド村の村人は、一縷の望みをかけて助けを求めに走った。

 だが、寄生虫の進行は彼らの想像を超えた。誰もが予想だにしなかった速さで、寄生された村人が魔物に変じていく。全身が黒々とした毛で覆われ額から角が伸び、顔面がまるで狼のように変わっていく様を、アレン達は呆然と見守ることしか出来なかった。

「その時に、言われたんだ」

「……何を」

「殺してくれって」

 十兵衛が息を呑み、ハーデスが目をすがめる。

「精神まで魔物に変わる前に、どうか殺してくれって。でも、俺達は出来なかった。だって、神官が今向かってくれてるかもしれない。もしかしたら間に合うかもしれない。何よりほんの少し前まで一緒に笑いあってた人を殺すなんて、誰にも出来なかったんだ」

「アレン……」

「もしもの時を考えて、寄生された人達は拘束を頼んでた。父ちゃん達はその思いを汲んで生半なまなかなことじゃ動けないようにはしてたけど……駄目だった。今朝、寄生された人達が完全な魔物に変じて縄を引きちぎり、村を襲ったんだ」

 恐慌状態に陥ったカルド村で、アレンは一人隣村に助けを求めるために走った。それを目敏く見つけた魔物が後を追い、森を逃げ回る内に十兵衛達のいた湖に来たのだという。

 アレンの身に起こった凄惨な出来事に言葉を失った十兵衛の隣で、「ふむ……」と顎に手をあて考え込んでいたハーデスが軽い調子で口を開いた。

「魔物に変じるのは、駄目なことなのか?」

「……っ! ハーデス!」

 アレンを背負っていなければ殴りかかっていたであろう勢いで怒鳴りつけた十兵衛に、ハーデスは「うるさい」と顔をしかめる。

「お前っ! よくもそんな事が言えるな!」

「分からんから問うている。何故魔物の生が駄目なんだ」

「はぁ!?」

 十兵衛もアレンも、信じられないとばかりに目を丸くした。そんな二人の動揺が一層理解出来ないのか、ハーデスは首を傾げて再度問う。

「人の生がそんなに良いのか」

「あ、あたりま」

「以降、魔物として生きれば肉体も魂もそのままに生きる事が出来るのに、何故自ら死を選ぶ。はじめの生き方というのは、身を変じても変えられない程に良いものなのか?」

「……ハーデス……!」

 分からないのは、それはお前が超越者だからだと十兵衛は内心で呟いた。

 人として生まれたなら人として生き、人として死ぬことが十兵衛の常識だった。そういう風に生まれたからには、その生しか選べない事も。

 ハーデスは何を血迷ったか「自ら死を選ぶ者の心」をやたらと知りたがっているが、これではそもそも土台無理だろうと、そんな事を考えた時だ。

 口を噤んでいたアレンが、ハーデスにやおら目を向けた。

「……俺は、分かんない」

「おいアレン、ハーデスに構わずとも」

「違うよ十兵衛。だって俺は、魔物の生を知らない。知らないから選べない」

 思わぬ言葉に、十兵衛が目を丸くする。

 必死に言葉を選びながら紡ぐアレンを、ハーデスは辛抱強く見守った。

「俺も、魔物に変じた人達も知らないんだ。俺達が人の生を良いものだと思っているように、もしかしたら魔物は魔物としての生を良いものと思ってるのかもしれない。でも、俺達はそれを知らないから選べない。だから自分の意志で唯一選ぶことの出来る道を選んだ」

「……故に、自ら死を望んだ、か」

「うん。少なくとも俺は、そう思ったよ」

「ありがとう、アレン」

 それまでしかつめらしい顔だったハーデスの表情が、ほどけるように緩んだ。柔らかく目を細め薄い唇に笑みをのせ、優しくアレンの頭を撫でる。

 その様子を息を呑んで見つめ、十兵衛は思わず足元へ視線を落とした。

 ――知らないから、選べない。そんな風に考えたことは、今まで一度もなかった。

 侍として育ち、侍として死ぬことを望まれ、それが当たり前だと思って生きてきた。いつだって何かを決める時は今ある道を当然だと思っていて、そこに迷いなどあるはずもなかったのだ。

 己の生い立ちを辿り、思いを馳せたその時だ。人々の叫び声と共に魔物の雄叫びが聞こえた。

 はっと顔を上げれば前方で濛々と土煙が上がるのが見え、大きな破壊音が辺り一帯に響き渡った。

「アレン」

 恐怖に身を強張らせたアレンに、十兵衛が落ち着いた声色で声をかける。

「お前の言う通り、俺達は知らないから道を選べない。だから、助けに入るとはいえ、彼らの尊厳は守れても人としては救えないかもしれないことを覚えていてくれ」

「……うん」

「ただ、スコット殿にお前が向けた思いやりを、俺は忘れない」

 十兵衛の真摯な言葉に、アレンの瞳が瞬く間に潤む。背負ったまま戦うことは出来ないため、ハーデスにアレンを頼んだ十兵衛は、目線を合わせて優しく微笑んだ。

「なるべく苦しませることなく逝かせると、約束しよう」

「……うん、うん……! お願い十兵衛、カルド村の皆を助けて!」

「委細承知した。その願い、八剣十兵衛が請け負った!」



 ***



「私の後方へ!」

 神官の少女の大声にアイルーク・ナイルは頷き、怪我人に肩を貸して大急ぎで向かった。

 カルド村に戦える人間はそう多くいない。自然豊かなマルー大森林は狼などの獣は生息していれど、強大な魔獣や魔物は殆ど見られなかった。この地を収める大魔法使いである領主の威光が、余りにも強かったからだ。

 冒険者達に依頼をし、取り寄せた魔獣の内臓や糞を使って偽の縄張りを広く保つことでカルド村は守られていた。平たく言えば、それだけで十分な程に平和な土地だったのだ。

 カルナヴァーンの寄生虫は、そんなカルド村の平和をあっけなく打ち砕いた。レムリア海側ならまだしも、内陸であるここにまで至るかとアイルークは歯噛みする。そんな最中でも唯一幸運だったことは、リンドブルムに向けて走らせた早馬が間に合ったことだ。

 つい先ほど郵便大鷲ポスグルに乗ってやってきた少女が「ルナマリア神殿所属の高位神官だ」と告げた時、魔物と相対していたアイルーク達は驚き、希望が見えたことに喜んだ。

 魔物に対して、神官の力は覿面てきめんに効く。技だけではない、存在自体もだ。

 魔物は神の力を賜った神官や、星の力を賜った魔法使いの力量を目で見る事が出来る。神官の、並びに魔法使いのの基礎となるエネルギーの通称を、【エーテル】という。そんなエーテルを視覚で見る事が出来る魔物達は、彼我ひがの実力差を感じ、滅多なことでは神官や魔法使いの前に姿を現さないのが常識であった。

 空からやってきたその少女は、己の事を高位神官だと称していた。首から下がった血晶石けっしょうせきのタリスマンの大きさからしても、彼女の肩書きが嘘ではない事が分かる。

「うわっ!」

「トレイル!」

 神官の後ろに怪我人を連れてきた所で、村人を守るべく魔物と相対していた門番のトレイルから悲鳴が上がった。近くに立てかけられていたくわを持ち、アイルークは転んだトレイルに襲い掛かる魔物の脇腹を刃の背で突いた。

「グゥっ!」

「っごめん、ネア婆さん、ごめん……!」

 雑貨屋を営んでいたネアは、息子のアレンが幼い頃から懐いていた老婆だった。皺を刻んだ彼女の優しい笑顔を、アイルークは覚えている。例えそれが、怖ろしい形相の魔物に変わった今であってもだ。

 カルド村は小さな村だ。互いに助けあって暮らしている内に、必然的に全員の顔も名前も覚えていく。魔物へ変じてしまっても、容易に嫌悪できるはずもない。アイルークにとって、彼らは親しく愛おしい、優しい隣人達なのだ。

 トレイルの手を引き肩を貸して立たせたアイルークは、ネアが怯んでいる内に断腸の思いで神官の側へと向かった。

「これで全員ですか!」

「そ、外にいるのはそうです! あとは家の中に……!」

 村長のオルドアがしゃがれた声をあげる。神官はその答えに頷き、続けて「患者の総数は何人ですか!」と問う。

「十一です! 一人はまだ、魔物に変じきっておらずそのまま拘束されて……!」

「では、ここにいるのは十ということですね?」

 その言葉に、アイルークが頷きかけた時だ。視界の範囲に魔物が八人しかいないことに、はた、と気が付く。

 まさか森に逃げた魔物がいるのかと咄嗟に視線を巡らせたアイルークは、死角になっていた家屋の影から命知らずの魔物が飛び出したのを見つけた。

「神官様! 危ない!」

「なっ……!」

 神官を死なせるわけにはいかない。多くの怪我人と、魔物と変じてしまった者達を助けるには、彼女の力が必要だった。それを痛いほどに分かっていたアイルークは、己が身を盾にするべく少女の前に躍り出る。

 容易に身体を貫けそうな程鋭い爪が、眼前に迫った。神官の奇跡があれば多少の怪我は治せようが、さすがに脳を抉られるような即死級の傷は難しいだろうなと、アイルークは思う。それでも、己の命一つで多くの命を救えるならば安い物だと感じた。

 時が、ゆっくりと進んでいるように見えた。どこか遠い所で「父ちゃん!」と叫ぶアレンの声と、「お前も自ら死を選ぶ者か」と場にそぐわない冷静な男の声が響く。その最中、それらの全てをかき消すような足音が、間近にまで迫っていた。


 魔物の爪は――アイルークに届かなかった。


 ほんの切っ先が、鼻の頭を掠りかけた寸前で消えたのだ。

 死を覚悟していたアイルークの目と鼻の先で、魔物の身体が大きく宙に浮き、轟音を立てて大地に叩きつけられた。

 余りの事態に、しん、と辺りが静まり返る。突如として襲った危機が時を同じくして去ったため、頭の理解が追い付かない。

「背負い、投げ……」

 呆然としたように、トレイルが呟いた。言葉を忘れたようにぽかんと口を開けたアイルークは、トレイルが呟いた通り魔物を投げ飛ばした総髪の男を、まじまじと見つめる。

 その視線を受けた男が、すっくと立ちあがり振り返った。

「アレン・ナイルの願いに応えるべく参じた。八神家やがみけ家臣、八剣家やつるぎけが末子、八剣十兵衛」


「義によって、助太刀致す!」

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