見世物小屋の興行は日暮れまでだ。しかし夜になっても、イロナの気が休まることはない。

「おら、どうだ。邪悪なサキュバスめ。俺のミルクは美味いか。たっぷり味わえ」

「もがっ、もご、もごぉ」イロナは息が苦しくて、必死で男の尻をたたいた。

 夜になると、見世物小屋は娼館に変わる。と言っても、おおっぴらには営業していない。地元の娼館などともめたくないからだ。そこでバートンが日中の公演で観客のなかから、スキモノで口が堅そうな者を選び、個別に招待する。金額は公演の比ではないが、客はよろこんで支払うという話だ。

 サキュバスの設定はどこへやら、イロナはミルクを浴びせた男に犯されていた。拘束された状態で、一方的に凌辱されている。抵抗しようと思えばできるが――何なら殺してやってもいい――そうしたところで、拘束を解く手段がなければ無意味だ。耐えるしかない。

「あーあ、また吐きやがったって。ホントしつけがなってねえな」

「も、申し訳ありません……」

「あ? 聞こえねえよ!」

「ぎゃふっ!」腹を思い切り殴られ、イロナは悶絶した。鍛えているので、本当はこの程度の拳など効かないのだが、男を満足させるための演技だ。

「それにしても何だかここは肌寒いな。催してきちまったぜ」

「でしたら、ここを出て左に――」

「はぁ? なにボサっとしてんだ。さっさと口開けろ」

「……はい」

「へへっ、今度はこぼすんじゃねえぞ」

 客を惚れさせて味方に引き入れ、脱出の手助けをさせるというのも手だ。とはいえ、この男に見込みはないだろう。そもそもこんなところに来る客で、奇特な善人がいるとも思えないが。

 ちなみに、巨人のダスティン以外は全員客を取っている。蛇女のエヴァは関節を外した特殊な体位が得意で、眠り女のルクレツィアは眠ったままいっさい無反応なのを愉しめるのだそうだ。偽人狼のロニー――ただ異常に毛深いだけ――にいたっては、男かつ疑似的な獣姦とマニアックどころの話ではないが、毎晩かならず客がついているらしい。実に汚らわしい。

 そうして務めをはたすと、ようやく遅めの夕食にありつける。食事に関しては、ちゃんと美味しいものを食べさせてもらえる。あのときのカレーでもわかるとおり、まかない担当の腕がいいのだ。

 ただし、その食事にはアヘンが盛られている。イロナを昏倒させたものと比べれば、量はかなりひかえめだ。とはいえ、薬効を発揮するにはじゅうぶんな量だし、くり返し摂取していれば依存症になる。見世物たちを従順にして、あつかいやすくしたいのだろう。

 かと言って、食べないわけにもいかない。いざというとき力が出なくては困る。そういう意味では、脱出の機会をあまり悠長に待っていられない。あと一ヶ月以内、いや出来れば三週間以内に算段をつけたい。

 聖フーベルトゥス女子修道会では、人狼との戦いでひどいケガを負ったときのため、痛み止めにローダナムが支給されている。みながイロナやエーディトのように手練れなわけではない。頻繁に頼らざるをえない者もいる。アヘン中毒者がどういうものか、イロナはよく知っている。

「大丈夫……わたしはまだ大丈夫……」

 イロナは自分に言い聞かせながら、食事に口をつけた。これはしかたなく食べているのであって、断じてまだ依存症になっているわけではない。そのはずだ。

 アヘンによって気分が落ち着いてくる。現状に対する不安が取り除かれる。怒りが鎮まっていく。今のイロナにとって、一日のうちこの時だけが心やすらかになれる。たとえ薬で強制的に与えられる快楽だろうと、つい溺れたくなってしまう。何もかも忘れて、夢心地のままたゆたっていたい。

「――おい、イロナ! 聞こえないのか」

 その呼び声にハッと正気を取り戻す。檻のそばに雑用係のラリーが立っていた。顔を赤らめてイロナの肢体から視線をそらしつつも、チラチラと横目で盗み見ている。

「何ですか?」

「座長が呼んでる。嫌なのはわかるが、さっさと手枷と足枷を着けてくれ。遅れると俺がどやされる」

 檻のなかでは基本的に拘束されないが、外へ出るときはそのかぎりではない。イロナはマーシャルアーツの達人なので特に警戒されている。自分で枷をはめなければ、絶対に檻を開けてもらえない。

「ごめんねイロナ」蛇女のエヴァが、気づかわしげに声をかけてくる。「たまにはアタシが代われればいいんだけど。アンタが来るまでは代わりばんこだったのよ。ラリーも含めてね。まあアンタが新入りだからってだけで、しばらくしたらもとに戻ると思う。それまで辛いだろうけど」

「お気になさらず。こういうことは慣れてますから」

「修道女なのに?」

「女子修道院なんて、貴族や教会関係者のための娼館も同然ですよ」

「何それ。おかしいの」

「では行ってきます」

 イロナは潔く指示に従って檻から連れ出され、バートンの寝所へと移動した。ベッドに手枷をつながれ、股を開くのに邪魔な足枷は外される。

「下がっていいぞラリー。終わったらまた呼ぶ」

「あの」

「なんだ?」

「……いえ、何でもありません」

 出て行く瞬間、ラリーはちらりとイロナのほうを見た。その顔にはあわれみのようなものが浮かんでいた。しかしそれはしょせん、表面的なものにすぎない。なにせ、いつも外から覗き見しているのだから。

「さてイロナ、今日もよく頑張ったな。おまえが一座に加わってから、以前より客の入りがいいぞ」

「恐縮です」

「疲れただろう。今夜もたっぷりねぎらってやるからな。働きに対してご褒美を与えるのは当然だ」

「ありがとうございます。うれしいです」

 バートンは衣服を脱ぎ捨てた。ただでさえきつかった体臭が、とたんに強さを増す。股間のそれはすでに雄々しく屹立している。イロナが見たどの男よりも太く、長く、たくましい。イロナの肉をかつてないほど押し広げ、届いたことのないところまで届いてしまう。しかしそれが苦痛なのかと言えば、そんなことはない。これは飴と鞭で言えば飴だ。

 こんなひとでなしの興行をしているわりに、バートンのやりかたは意外にも普通だ。正統派と言ってもいい。正面から抱きすくめられ、くちづけをかわして舌を絡め、ていねいに愛撫してじゅうぶんに濡らし、中へ突き入れて腰を打ちつけるだけ。まるで愛しい恋人を悦ばせるかのようなやさしさ。あんな規格外の大きさにもかかわらず、痛みをまったく感じさせない。

 ただし、バートンが達するまでには相当な時間がかかり、そのあいだにイロナは何度も絶頂させられてしまう。事前にアヘンを摂取させられているせいもあるだろうが、おどろくほどあっけなく手玉に取られる。

 イロナとて、閨での手練手管には自信があった。マルコ・ポーロがマーシャルアーツとともに東洋から持ち帰った、房中術を会得しているからだ。聖フーベルトゥス女子修道会はその秘術をもって、ハプスブルク家の庇護を勝ち得てきた。それを駆使すれば、バートンを腑抜けにするなどわけない――そう思っていた。

 けれども、自慢の技はバートンに通用しなかった。というより、いっさい発揮させてもらえなかったというべきか。まずあの肥満体でのしかかられると、圧倒的な体重と脂肪に包みこまれて、こちらはまったく主体的に動けなくなる。加えて、あの太さで限界まで押し広げられると、肉壁をたくみに動かすのも困難だ。快感を抑制するのもままならない。

 何よりやっかいなのは、バートンから大量に分泌される脂汗だ。ぬるぬるとした潤滑液で肌と肌を密着させてこすり合わせるのが、これほどまでの快感を催すとは思いもしなかった。まるで全身がとろけてしまいそう。彼我の境界線が失われて、身も心も一体になるの感じる。すると不快でしかなかった体臭も、不思議とクセになってくる。

 このままではきっとバカになる。気をしっかり持たなくては。こんな男に負けてはいけない。自分にはやるべきことがある。あるはずだ。けれど、それは何だったか――そうヤーノシュ、ヤーノシュだ。忘れてはいない。ちゃんと憶えている。まだ自分は大丈夫だ。まだ耐えられる。今はただ、この時間が過ぎ去るのを待てばいい。快感に身をゆだねていればあっという間だ。少し名残惜しいが――いや違う。ダメだダメだ。

 早くここから逃げ出さなければ。早く逃げ出して――

「おほっ、おほぉ、おっ、おっ、おん」


 二時間ほどでイロナはようやく解放された。そのカラダは陸に打ち上げられた魚のようにびくびくとけいれんして、舌は犬のようにだらしなく垂れ下がっている。目は白目をむきかけて虚ろだ。あまりにもぶざまな姿。

「ラリー、イロナの身体を洗ってやれ。間違ってもつまみ食いするなよ。これは私のものだ」

「……了解です」

 ラリーは体液まみれになったイロナを嫌そうに抱え上げて、バートンの寝所から出て行った。

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