照りつける太陽の下、シスター・イロナはロバの背に乗って進んでいた。

 イロナはまぶしそうに目を細めながら、上を見上げた。そこには枯れ木が一本生えている。太い枝に縄が結びつけられており、一人の男が吊り下げられていた。縛り首にされているのだ。

 すでに死んでいるのは間違いないようだが、まだ吊るされてからさほど時が経っていないらしく、股間から脚を伝って小便が渇いた地面を潤している。背後にまわれば、きっと尻がふくらんでいるのも確認できるだろう。イロナは鼻をつまんで顔をしかめた。

 吊るされた死体の首には、木の板で作られた札がかけられている。そこにはこの男の罪状と、勝手に下ろしてはならない旨が記されている。

 イロナはふところからピストルを抜き、発砲。放たれた弾丸は縄に命中し、死体は落下した。

 地面へ激突した際に骨が折れたのか、手足があらぬ方向へねじ曲がった。イロナはそばへ近寄ると、さらにピストルを連射して、死体を穴だらけにした。銃創から血液が流れ出し、周囲に血生臭さが充満する――排せつ物の悪臭をかき消して。

「これで少しはマシになった」

 そう言って満足げにほほ笑むと、イロナはロバで立ち去った。


 ウィリアム・リーマンは町はずれで小さな牧場を営んでいる。妻を早くに亡くし、一人娘を男手ひとつで育てて来た。そろそろ娘のフレデリカに結婚相手を探してやらねばと思う反面、娘がいなくなったらさびしくなるし、一人になったら牛の世話もむずかしくなるので二の足を踏んでいる。いっそ誰か婿に来てくれればいいのだが。町の友人に紹介を頼むべきか。

 などと物思いにふけっていると、道の向こうからロバにまたがって誰かやって来るのに気づいた。見たところ修道女だ。

 青い。あまりにも青い修道女だった。顔立ちが非常に美しく、野暮ったい尼僧服が逆にそれを引き立てていた。たとえ肉体的に瑕疵があろうと、その美はそこなわれるものではない。亡き妻に操を立てているリーマンが、思わず見惚れかけてしまったほどだ。

 それでも何とか平静を保てたのは、彼女の顔色があまりにひどかったからだ。まともな人間なら心配のほうが先に立つ。

「ちょっとアンタ、大丈夫ですかい? 顔がずいぶん青いですぜ」

 すると彼女は、聞く者をうっとりさせるような声で告げた。「お気づかいなく。単に月のものなだけですので」

「おっと、こいつはとんだ失礼を。無神経でした」

「いえ。こちらこそ見苦しい姿をさらしてしまって……。なにぶん体質的に重くて」

「いや、しかし本当につらそうですな。もう日も暮れますし、よければうちに泊まっていきませんか? 娘がいますので、多少のお世話はできるかと。ああ、私はウィリアム・リーマンと言います。ここの牧場主です」

「シスター・イロナと申します。ありがたい申し出ですが、ご遠慮させていただきます。月のもので汚れるといけません」

「べつにうちは気にしませんが」

 さらにしつこく誘おうとして、リーマンは自重した。きっと彼女は警戒しているのだろう。実際に娘がこの場にいるならともかく、男からそんな申し出を受けて、うかつに信用するのは危険だ。だいたい修道女というのは、男子禁制の女子修道院で集団生活するものだという。たった一晩だろうと、男と一つ屋根の下などもってのほか。ましてやそんな身体ではなおさらだ。

 かと言って、町の宿を勧めるのも気が引ける。酒場と娼館を兼ねているような場所しかない。そもそも世のなか女の一人旅など想定されていないのだ。

「……そうだ。ここから一マイル先に教会がありますよ。つい先日、牧師が急死しちまったんで無人ですが、アンタには逆に都合がいいかもしれませんな。何なら体調が戻るまで、数日滞在しても全然かまわないでしょう」

「そうですか。ありがとうございます。さっそく行ってみます」

 そうして彼は、去っていくシスターの背を見送った。


 フレデリカ・リーマンが夕食を準備していると、帰って来た父から教会へ食事を持っていくように言われた。シスター・イロナという修道女が滞在しているのだという。

「ほら、教会に残ってた食料、傷んじまうから処分しちまったんだよな。まあたぶん、手持ちの保存食くらいはあると思うが、温かいもん食ったほうが旅の疲れも取れるだろ。それにあの身体じゃ、食事ひとつ取っても一苦労だろうし」

「あのさ、そういうことはもっと早く教えてよ。もう夕飯出来ちゃったんだけど」

「牛を囲いに戻さないで離れられるわけないだろ。ついこのあいだも盗まれたばっかなのに」

「そんなのジミーにやらせればいいじゃない」

「アイツはバカだからムリだろ。もっとカンタンな作業じゃないと」

「だったら普通に人を雇えば? あたしだっていつまでもいるわけじゃないんだから」

「なんだ? 嫁に行くアテでもあるのか?」

「……ないけど」

「トミー・マクダネルはどうだ? あの野郎、絶対おまえに気がある」

「冗談でもやめてよ。あんな腰抜け」

「よし、それを聞いて安心したぞ。もしアイツと結婚したいなんて言い出したら、アイツを殺さなきゃならなかった」

「はいはい。……で、どうするの? 何度も言うけど、夕食三人分もないんだけど」

「今夜は町へ飲みに行ってくる。俺の分をシスターに食わせてやってくれ」

「自分が飲みたいだけでしょ。ハメを外しすぎないでよ」

「わかってるわかってる」

 そう言って父が約束を守ったことは一度もない。たぶんまた朝帰りだろう。ギャンブルと娼婦に手を出さないだけでもよしとすべきか。

 それに、旅のシスターにはフレデリカも少なからず興味がある。あわよくばいっしょに夕食を摂って、いろいろおもしろい話を聞かせてもらいたい。よその人間から聞く話は、退屈な日常をまぎらわせてくれる。

「ああ、そうそう、シスターすっごい美人だからな。おどろいて腰抜かすなよ」

「さすがにおおげさでしょ。あたしが男ならともかく」

「それと、見たとき顔に出さないようにな。失礼に当たる。本人も好きでああなったわけじゃないだろうし」

「わかってるって。しつこい」

 フレデリカはパンとベーコンとバスケットに入れ、豆のスープはべつの鍋に分けた。食器は教会にもあるので必要ない。荷物はすべてジミーに持たせる。

「やっぱり教会までいっしょに行くか?」

「大丈夫よ。子供じゃないんだから」

「しかしな、おまえは女なんだ。教会までの道はひとけがないし」

「心配しすぎ。目と鼻の先じゃない。ジミーだっているし」

「それは、まあ……」

 町の周辺はかなり治安がいい。自警団がにらみを利かせているおかげだ。少なくとも日が暮れるまでは問題ない。渋る父を酒場へ送り出し、フレデリカは教会へ向かった。

 しばらく行くと道の反対方向から、トミー・マクダネルが歩いてきた。彼は町に駐在している保安官だ。胸元にはその証であるバッジが、これみよがしに装着されている。

「フレデリカ、こんな時間にどこへ行くんだ?」

「教会よ。今夜は旅のシスター様が滞在していらっしゃるの。彼女に食事を持って行ってあげるところ」

「そいつなら今ちょうど会って来た。パトロールしてたらたまたまな。無人のはずなのに、人の気配がしたからおどろいたぜ」

「幽霊とでも思った? あんたってホント臆病なんだね」

「違う違う。無法者が勝手に入り込んでたら危ないだろ」

「もし無法者だったら、今ごろあんたは殺されてたでしょうね。危ないからパトロールなんてやめたら? あんたが何もしなくたって、この町は自警団が守ってくれるわ」

「そういうわけにいくか。この町の保安官は俺だ。それに……自分たちで町を築き上げて来たプライドがあるのはわかるが、連中のやり方には賛同できない。いくらなんでもやりすぎだ」

「だからあんたは臆病者だっていうのよ。あんたが守りたいのは法であって、この町じゃない。法を破らないと悪党を止められなってなったら、あんたはきっと逃げ出すんだわ」

「フレデリカ……きみは町を出るべきだ」トミーはフレデリカに詰め寄って両肩をつかみ、「こんな町に居続けるべきじゃない。もしきみが望むなら、俺が――」

 するとフレデリカは彼の腕を不快そうに振り払い、「やめて。もしかして、町に来たばっかのころやたら絡んだから、勘違いさせちゃった? だから童貞って嫌なんだよね」

 フレデリカは生まれてから一度も町を出たことがない。外の世界に興味がないと言えばウソになる。そのため、トミーからよその話を聞き出そうとした。

 けれども、どこかほかの土地へ行きたいとは思わない。ここで生きて、ここで死ぬ。

「あたしのこと好き? わたしは嫌いよ、あんたみたいな腰抜け」

「フレデリカ……」

「ほら、パトロールの途中なんでしょ。さっさとどっか行って。いいえ、あたしがいなくなるわ。さようなら」

 そう吐き捨ててトミーに背を向け、フレデリカはふたたび歩き出した。

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