2
重厚な門を通り抜けて、コリンダはいよいよ修道院の敷地内へと足を踏み入れた。
「それじゃあ、私はまた書庫に篭もるから。シスター・イロナ、報告書は早めに提出してくれたまえ。君はいつも遅いからね。せめて次の任務へ出るまでには間に合わせてくれよ」
「……善処します」
「コリンダ。何か困ったことがあったら、いつでも私を頼ってくれていいぞ」
「あのね……今、頼っていい?」
「残念ながらそれはムリだ」
塀のなかでくり広げられている光景を目にして、コリンダは唖然となった。全員の肌が青いのも壮観だが、問題はそこではない。
井戸から水を汲んで運んでいる少女がいた。桶を両腕に一杯ずつ、横に持ち上げている。上半身裸で、二の腕にそれぞれナイフが取りつけられており、腕を下げれば脇の下に刃が刺さってしまうだろう。
砂利で満たされた鉢に、手刀を延々と突き入れている少女がいた。手首まで深く沈めている。顔は脂汗まみれで、苦悶の表情にゆがんでいる。
仰向けに寝転がって、腹の上にスイカを落とされている少女がいた。何度もくり返し腹に落とされ、そのたびにカエルの鳴き声じみたうめき声を上げている。
ほかにもさまざまな鍛錬が行われており、どれも不可解かつ過酷で筆舌に尽くしがたい。
コリンダはまわれ右して、来た道を戻ろうとした。
門はすでに閉まっていた。
「もうイヤ……おうち帰る……」
「心配しなくても大丈夫ですよコリンダ。ああいう鍛練は、ある程度身体が仕上がってからの話ですから」
「シスター・イロナ、それじゃあ何のなぐさめにもなっていないよ」
「……イロナもアレ、全部やったの?」
「もちろんです。アレら以外もふくめて全三十五の課程を修了し、ようやく修道女を名乗れるのですから。それまでは見習いの修練女です」
「帰りたい……」
「まあ、その、がんばりたまえ」ユディカはコリンダを見捨て、今度こそ立ち去った。
「ほら、行きますよ。まずは院長にあいさつします」
なかばイロナにひきずられるような形で、コリンダは鍛練を続ける者たちのあいだを通り抜けていく。どうやら修道女と修練女の違いは尼僧服の色らしい。修道女がイロナと同じ灰色で、修練女は白色のようだ。何人かの修練女が好奇心もあらわにコリンダへ視線を向け、指導する修道女によそ見を叱られている。
建物に近づいたところで、それまでとは雰囲気の異なる一団を見かけた。全員白服の修練女だが、年齢が比較的高めだ。二人組になって向かい合い、右半身に構えてたがいの右腕を交差させている。
腕を押し合っていたかと思うと、片方が瞬時に相手の腕をつかんで引き寄せ、左拳を顔面に打ち込もうとする。すると相手は左手でさばきつつ、つかまれていた右腕を振り払って反撃しようとし、さらに相手はそれに応じ――そういうやり取りが徐々に速度を上げながら延々と続いていく。やがて勝負がついたかと思えば、ふたたびもとの姿勢に戻って同じことのくりかえし。つかんだり殴ったりばかりではなく、蹴ったり転ばせたり、変幻自在だ。素人目に見ても、非常に高度な攻防だとわかる。
「あれは接触法です」
「接触法?」
「皮膚感覚を利用して、相手の動きを読む技法です。今は鍛練なので、たがいの腕が触れた状態から始めていますが、実戦ではこちらの攻撃を敵が受けたり、逆にこちらが敵の攻撃を受けた瞬間に、敵が力を掛けている方向や、次の動作のタイミングなどを感じ取り、それを利用して攻めへ転じます。熟達者であれば、目をつぶった状態でも敵の動きが読めるようになりますよ」
「えー、ウソだぁ」
「ウソではありませ――」
突如、接触法の修練をしていた修道女のうち三名が、イロナに襲いかかって来た。
イロナはコリンダを安全な場所へ突き飛ばし、右ステップで一人目の右ジャブをかわすと同時にジャブ、ストレート。二人目のサイドキックをライン外しでかわしつつ前へ踏み込み、右フックで相手の意識を引きつけ、時間差で右の爪先をみぞおちに突き刺す。そして三人目がくり出した怒涛の連打を、なんと目を閉じたまま片腕だけですべてさばき切り、右拳を相手の胸に押し当てた瞬間、相手はうしろへ吹っ飛んで建物の壁に激突した。
この間、わずか数秒に過ぎない。
「ほら、ウソじゃなかったでしょう?」
「――す、すごぉい! 目をつぶってたのもそうだけど、最後のどうやったの? ただ拳を当てただけなのに」
「浸透勁で体内に炸裂させる力を、相手を押すことに使えばこうなります。ところで今の一瞬で、わたしが目を閉じていたことによく気がつきましたね」
「エッ? ……いや、えっと、たまたまだよ! そう、たまたま」
危ないところだった。うかつなことを言おうものなら、マーシャルアーツの才能があると思われかねない。非戦闘員への道が着実に遠のいてしまう。
「……まあいいでしょう。それよりも」イロナは地面に倒れている三人を一瞥した。「やはり知らない顔ですね。ガブリエラ、彼女らは何者ですか?」
三人に交ざって接触法の鍛錬をしていた修練女に問いかけたが、彼女はしどろもどろになって要領を得ない。何か口止めされているように見える。
「そいつらはアタシが連れて来たんだ」
その声に振り向くと、建物のなかから一人の修道女が姿を現した。これまで見た者たちと比べ、明らかに年かさだ。かなり若々しく見えるものの、顔にはしわが刻まれている。
「げえっ、シスター・エーディト!」そう叫んだイロナの顔は、もともと青かったのがさらに蒼白になっていた。
「おいおい、敬愛する師匠に対してげえはないだろう、げえは」
「ななな、なんでこここにっ? アーヘンにいるはず――ま、まさか左遷?」
「失礼な。修道会全体のマーシャルアーツ熟練度底上げのために、総長の指示で各支部を巡回することになったんだよ。ついでに修練女同士の交流も兼ねてな」
「そ、そうだったんですかぁ。……コリンダ、こちらはシスターエーディト。マーシャルアーツ・マイスターで、わたしの先生です。現在はプロイセンにある聖フーベルトゥス女子修道会の総本山、アーヘン女子修道院で修練長を務めておられます」
「はじめまして、コリンダです」
「ああ、よろしく。これから二週間、アタシがビシバシ鍛えてやるからな。覚悟しとけ」
コリンダは震えあがった。先ほどの地獄のような鍛練を平然と眺めていたイロナが、これほどまでにおびえているのだ。いったいどんな目に遭わされるのか、想像するだにおそろしい。
「さて、それじゃあイロナ、ひさしぶりに稽古をつけてやろう」
「けっこうです」イロナは即答した。「貴重な二週間は、どうぞ未熟な修練女たちに使ってあげてください」
「そう遠慮するな。おまえにけしかけた三人は、アーヘンの修練女でも特に優秀なヤツらだ。戦闘力にかぎって言えば、並みの修道女にも引け取らん。それが相手にならないってことは、スパーリング相手にも事欠いてるだろう。腕がなまっちまうぞ」
「いえ、本当にけっこうですので。さあコリンダ、早く院長にあいさつを済ませましょう。ほかにも今日じゅうに済ませておきたいことがたくさんあります。早くしないと夕食の時間に間に合いませんよ」
イロナは心底嫌がっている様子だ。コリンダの手を引いて、強引にエーディトの脇を通り過ぎようとする。
「アラニュ・ヤーノシュの足取りをつかんだ」
だがその言葉を聞いたとたん、イロナは歩みを止めた。
「ヤーノシュはどこに?」
「知りたきゃかかって来い」
「……しかたありませんね。コリンダ、危ないから離れていてください」
「えっ? なに、どういうこと? ヤーノシュって誰?」
「あなたには関係ありません」
両者は向かい合い、奇妙な動きをした。まず身体の前で手のひらを重ねた状態でお辞儀、次に右手を握り拳に、左手を開いたまま胸の前で合わせる。そのまま両手を右脇にひねりながら移動させ、爪先を上げたまま右足を一歩前に出す。両手を正面に戻しながら左足を前に一歩、右かかとを下ろしつつ左足は爪先立ち。左拳を握りながら両手を手前に伸ばして手の甲をつける。左足で一歩下がり、両拳を手前にぐるりと返して指側を上に。右足を下げて左足とそろえながら、同時に両肘をうしろへを引いて、脇の下に腕をつけた。まるでダンスを踊っているかのように息の合った動き。
「よろしくお願いします」
そうして最終的に右半身の構えへ移行し、戦いの火ぶたが切って落とされた。
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