浮かばれなかった物語のための告別式

宮条 優樹

ep.1『第五の馬 あるいはカウントダウン10』

ep.1『第五の馬 あるいはカウントダウン10』➀




「あと十秒だって」


 僕はキッチンに立つママに向かって言った。

 けど、ソーセージを炒める音にまぎれて聞こえなかったらしく、ママはちょっと大きめな声で、


「なあに?」

「あと十秒って言ったの」


 負けじと声を張って言い返しながら、僕は重たい椅子を引く。

 広々としたテーブルの上には、ロールパンこんもりとつまったバスケットとブルーベリージャムの瓶。

 おそろいのマグカップと一緒に並んだコーヒーメーカーが、僕が席に着くタイミングを見計らったかのように、気の抜けた警笛みたいな音でコーヒーのできあがりを知らせる。


「十秒ぉ? ほんとにぃ?」


 間延びした声と一緒に、ママのメイクをしていない顔がキッチンからのぞく。

 カウンター越しに、リビングのテレビに映った交通事故の映像の上、「カウントダウン10テン」の字幕を見て、ママは今ようやく目が覚めたというような表情をした。


 目をぱちぱちさせながら、まとめていない髪を重たそうにかき上げる。


「やだ、ほんとだ。

昨日はまだ六十秒って言ってなかった?」


 僕は席に着いて、ポットから湯気を立てるコーヒーを二つのマグカップに注ぎながら答える。


「カウントダウンは不規則になることもあるって、学校の先生が言ってたよ」

「そうなの?」

「人間のすることだから、何でも順序通りになるわけじゃないんだって」


 僕が言うのに、ママはちょっと唇を曲げてみせて、またキッチンに引っ込んだ。

 油で跳ねるソーセージが、フライパンから皿に移される音がする。

 カンカン、と鳴るのは、ママがフライ返しでフライパンの縁をたたく癖だ。


「おかしいじゃない。

時計の針はちゃんと一秒ずつ進んでるでしょ? 

一気に六分の一に減っちゃうのってあり?」


 不服そうな声だけが聞こえてくる。


 僕はコーヒーのカップを向かいのママの席に押しやった。

 自分のカップには、たっぷりミルクを入れる。

 スプーンで白い渦巻きを作りながら、僕は先生から教えてもらっていることを正確に復唱してみせた。


「終末を目前にして、世界中の秩序性は日々失われつつあります。

終末抑止機関の予測演算も、無秩序な人類の行動のために正確性を欠きます。

皆さんはいつどのような事態に陥ることがあったとしても、平常心を失わず、普段通りに落ち着いて行動するよう心がけてください」


 毎日のように、学校の先生はこのことを僕たちに言って聞かせる。

 淡々としたしつこさで、くり返し同じ言葉を聞かされるものだから、僕ももうすっかり暗記してしまっていた。

 コピー・アンド・ペースト。


 正直なところ、先生の言う平常心がどういうものなのか、普段通りって具体的にはどうすることなのか、僕には説明することはできないけれど。

 けど、それは先生も同じじゃないかとも思う、たぶん。


 冷蔵庫から卵を取り出すついでに、またママはカウンター越しにこちらに顔をのぞかせながら言った。


「なるほどね。

日めくりカレンダーを一日に何十日分も破ってしまう人もいれば、アドヴェントカレンダーの窓を、初日に全部開けてしまう人もいるってことね。

そういう堪え性のない人は、世界中いたるところにいるでしょうとも」


 そう言うママの目は笑っている。

 僕が昔、はじめて買ってもらったアドヴェントカレンダーを、クリスマスまで待ちきれずに、もらったその日に全部の窓を開けてしまって、カウントダウンのサプライズを台なしにしてしまったことを言っているんだ。

 そのときの僕はまだ五歳の子供で、今いる「その日」のことしか知らなかった。

 日々というのは、先があって、続いていくものなんだということを知らなかったんだから、しょうがないじゃないかと思う。

 それに、そんな昔のことをいまだに話題に出すのもひどい。僕だってもうすぐ初等部プライマリーから進級するのに。


 思わずむっとしてしまった僕のことなど他所よそに、さっさとキッチンに引っ込んでしまったママの、あっけらかんとした声だけが僕の耳に飛んでくる。


「けど、本当のところ、しばらく世界の終わりなんて来ないわよ。

このカウントダウン、あなたが生まれる前からやってるのよ。

これがゼロになるとこなんて、ちょっと想像できないわね」

「でも、一分切ったのって、今日がはじめてじゃない?」

「そうねぇ……だけど、ここからまたカウントダウンが止まるんじゃない? 

前にもあったのよ、あと五分ってニュースが言ってから、ずっとカウントダウンが動かなかったこと。

あのときは確か、二年くらいそのままだったんじゃなかったっけ」

「そうなんだ」


 相づちをうちながら、ママは天性の楽天家だ、とパパがよく言っていたのを思い出した。

 でも僕も、今回はママの言うことがもっともだと思う。


 毎朝のニュースで、今日の天気と一緒に世界の終わりまでのカウントダウンが表示されるのは、あんまり当たり前のことだから。

 それこそ僕が物心つく頃から(こういう言い方をすると、ママは何とも言えない目つきをして笑う)、終末カウントダウンを毎朝見てきた。

 天気予報や今日の星占い、外出危険指数とか地域別死亡者数なんかと同じで、目につきすぎて見流してしまう類のものなのだ。


「進みすぎたり進まなかったり、この時計は不良品ね。

クーリングオフしたらいいのに」


 食器の鳴る音にのって、ママのぼやきが聞こえてくる。

 僕は先に、ミルクでほとんど白くなったコーヒーを飲みながら、ママのそのぼやきに切り返した。


「回収先がないんだよ、きっと」

「ふふっ、販売会社はとっくに夜逃げしちゃってるのね……さあ、お待たせしました。朝ごはんのできあがり」


 ママが笑顔でできたての朝食をテーブルに運ぶ。

 真っ白なお皿の上に、熱々のソーセージとチーズオムレツが湯気を立てる。

 バターのいい匂い。

 蜂蜜のかかったヨーグルトの中、昨日はバナナだったけど、今日はなんの果物が隠れているんだろう。


 僕の向かいに腰かけたママが、いただきますもそこそこにさっさとフォークを取り上げる。


「早く食べて支度しないとね。朝の一分は貴重なんだから」




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