17:お酒には気を付けて

「? アマンダさん、でいいんですか?」

「うんうん。アマンダさんでいいや、それでいきましょう。セラはあの立派なお屋敷で働いてるの?」


 アマンダさんは丘の上に立つ伯爵邸を見上げた。


「はい」

「それじゃ、あの猫はお屋敷のペット?」

 アマンダさんは右手にある植え込みを指差した。


 植え込みの陰からこちらを見ていた黒猫は、アマンダさんに急に指さされて驚いたのか、さっと植え込みの後ろに引っ込んだ。


 あれ、ユリウス様?

 ついてきてたのか。


 女性が苦手なのに、私のことを心配して、おっかなびっくりついてきてくれたのかもしれない。


 そう思うと胸の奥が温かくなり、知らないうちに微笑が浮かぶ。


「いえ、ペットではありません。あの猫は伯爵家の家族の一員です。伯爵家にとっても私にとっても大事な猫です」

「ふうん、そう。本当に大事なのね。表情を見てればわかるわ」

 アマンダさんは艶やかな唇の端を上げた。


 不意に吹き付けてきた風に、燃え上がる炎のような彼女の赤髪がふわふわ踊っている。


「愛されてるみたいであの猫も幸せね。そうだ、セラ。介抱してもらったお礼にこれあげる」


 アマンダさんはポケットに手を入れてごそごそと動かし、護符のようなものを私に手渡した。


 赤い紙には何やら複雑な図形と文字が書かれている。


 魔法陣のようにも見えるが、こんな複雑な形の魔法陣など見たことがなかった。


「もしこの先、セラがどうしようもなく困ったときはこれを破いて、何もない空間に向かって適当に放り投げて。大抵の問題は解決してあげる」


「……? なんですかこれは?」

「内緒。それ、作るの超大変な貴重品だから大事にしてよね。機会があればまた会いましょう。じゃあねー」


 アマンダさんは手を振り、赤い髪を風になびかせながら去っていった。


 私と話しているうちに酔いは覚めたのか、足取りはしっかりしていて、もう心配はなさそうだ。


「……なんだったんだ、あの女は」

 アマンダさんが十分に離れるのを待ってから、ユリウス様が近づいてきた。


「さあ。でも、陽気で面白い人でしたね。お酒の飲みすぎには注意して欲しいですが……お屋敷に戻りましょう、ユリウス様。スコップを取ってこないと」


 私は赤い護符をポケットに入れて歩き始めた。


「待て、後片付けまでしてやるつもりなのか? 身内の不始末ならともかく、あの女は出会ったばかりの赤の他人だろう? それに、ここは公道であって自分の家の庭でもない。放っといてもお前には関係ないだろう。なんでそこまでするんだ?」

 ユリウス様が隣にやってきて私を見上げる。


 ここまで彼が近くに来てくれたのは初めてだったので、地味に嬉しかった。


「他人の吐瀉物を好き好んで見たいと思う人はいません。誰かが後始末をするべきだというなら、その『誰か』が自分でも良いではありませんか」


「………」

「自分から関わった以上、最後まできっちり面倒を見たいんです。知らん顔して逃げるのは簡単ですが、それではモヤモヤすると言いますか、やっぱり気持ち悪いじゃないですか。アマンダさんは私を良い人間だと言ってくれました。だから私はその言葉に相応しい人間でいたいと思うんです。お礼も貰いましたし」

 私はポケットを叩いてみせた。


「……。お前が根っからの善人だということがよくわかった。そういうお前だからリュオンを助けられたんだな」


 ユリウス様は猫の姿だけれど、笑っているような気がした。

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