50:太陽を失ったら

「――魔と生命を隔てるさかいは壊れよ。りつは狂え。天秤は砕けよ。我は自壊と破滅を望む者――」


「ばっ――馬鹿!! 止めなさい!!」


 リュオンの呪文を聞いた途端、ドロシーは血相を変えた。


「魔力の環はまわれ。あかく/あかく/あかく染まり、混沌にせ」


 リュオンを囲うように通常の金とは異なる赤い魔法の光が次々と生まれた。数は五。


 五つの赤い光はそれぞれが独自に動いて彼の足元に魔法陣を描き出す。


 風が湧き起こり、彼の金髪が踊る。


 魔法陣の赤い輝きに呼応するように、彼の瞳の中の《魔力環》が金から赤へと色を変えて苛烈に輝き始めた。


 ――これは何。彼は一体何をしようとしているの?


 およそ見たことのない異変に身体が芯から冷える。

 赤――暴走。危険。警告。

 嫌な連想は恐怖となって私の心身を食い破るように蝕んでいく。


「止めなさいってば!! 死んじゃうわよあんた!! なんでそんな魔法知ってるのよ!? それは魔女の禁じ手、絶対やっちゃダメなやつでしょうが!!」

 すっかり余裕を失くしたドロシーが慌てふためいている。


「試すような真似をして悪かったわ、謝る!! あたしはただあんたの覚悟を確かめたかっただけなのよ!! 適当に一発食らったらセラを返すつもりだったんだって!! ほら、みんな解放するから!!」


 ドロシーが私を一瞥した途端に、光の膜と全身にかかっていた重圧が消え去った。


 ノエル様もユリウス様も同様に呪縛を解かれて動き出す。


 瞬間移動したとしか思えない速さでドロシーに迫ったノエル様は容赦なく彼女を蹴倒し、その首筋に刃を突きつけた。


「これだけのことをしてくれたんだ。覚悟はできてるんだろうな」


 普段とは違う口調で告げるノエル様の声は、視線は、凍えるほどに冷たい。


 次に魔法を使うそぶりを見せれば殺す。それは噴き出すほどの怒気が雄弁に語っていた。


「あーもうごめんってばぁ!! どーせ死なないから刺してもいいけどさぁ!! 報復とかお説教は後にして、いまはあっち、あの子をどうにかして!! このままじゃ本当に死んじゃうって!! セラ、止めてお願い!!」


 頼まれるまでもなく、私は地面を蹴って駆け出した。


「リュオン、止めろ!! セラは無事だ!!」

 ユリウス様が叫ぶ。


「リュオン、待って、止めて!!」

 私も走りながら叫んだけれど、彼の耳には届いていないようだった。


「一の贄/二の狂気/三の潰滅/四の災厄……十三の環は巡り廻りて自律せよ」


 リュオンの周囲にいくつもいくつも赤い魔法陣が生まれて回転を始める。

 彼の呪文通り、生まれた魔法陣の数は十三――出鱈目な数だった。


 戦慄が全身を駆け抜け、皮膚が粟立つ。目に映る光景が信じられない。これは戦略級魔法――ラスファルの街を一撃で壊滅させられるほどの威力を持つ魔法――に匹敵する大魔法だ。通常ならば卓越した魔法の使い手である宮廷魔女が十人以上で使う大魔法を、リュオンはたった一人で使おうとしている。


 回転する十三の魔法陣のうち、一つとして同じ種類の魔法陣はない。

 五芒星が描かれているもの、複雑な幾何学模様が描かれているもの、謎の文字が描かれているもの。


 これまで色んな魔法書を読んできたけれど、それぞれがどんな効果を持っているかなんて見当もつかない。


 でも、リュオンの呪文の内容からして、とんでもなく危険なものだということはわかる。早く止めなければ。一刻も早く。


「止めろと言ってるだろう!! 本当に死ぬ気なのか!? お前がいなくなったら誰がセラを守るんだ!? 馬鹿な真似はよせ!!」

 ユリウス様の叫びは焦燥に満ちているが、やはりリュオンは反応せず、ひたすら呪文を唱え続けている。


「――っ」

 近づきたいのに、彼を中心として荒れ狂う風のせいで近づけない。大地に深く根付いてるはずの草が風に煽られていくつもいくつもちぎれ飛んでいく。


 私が移動したことでドロシーからリュオンに増幅魔法の効果対象が移り、もとより大きな彼の魔力量がさらに跳ね上がっているのだろう。魔法陣の輝きと暴風は勢いを増す一方だった。お仕着せのスカートはバタバタと揺れ、長い髪が頭皮ごと引っ張られて痛い。


 近づくどころか立っているだけで精一杯。気を抜けば吹き飛ばされそうだ。


 リュオンが放出する膨大な魔力に大気がびりびりと震えている。


 リュオンは全ての魔力を費やしてドロシーを倒そうとしている。ドロシーが私を害する素振りを見せたから。私のために、私を守るために、本来勝てるはずもない相手を命懸けで倒そうとしている。


「リュオン、もう止めて、もういいの!! 一緒に星を見るって約束したでしょう!? 私の声が聞こえないの!? ねえ、お願いだから――」

 

「冥暗より昏き怨嗟/生者の慟哭/死者の叫號/唱えるは業報の呪詛。連なりし十三の環を以て共鳴せよ同調せよ蹂躙せよ――」 


 忘我の境地をさまよっているリュオンの瞳は虚ろで、どんなに叫んでも私の声は届かない。


 私を守る。その一心で全てを捨ててしまっている。

 彼は命をなげうつほど強く私を想ってくれている。それが堪らなく嬉しくて、泣きたくなるほどに悲しい。


 もし彼が死んでしまったら。

 太陽を失った世界で、私はどうやって生きればいいというのか――

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