03話 憧れの人

「月刊 Illuminareイルミネア」という文芸誌だ。高校に入学してすぐの頃、図書室に入り浸っていた時に、司書の先生が教えてくれた。俺はその頃モンスターやドラゴンが出てくるような話を夢中で書いていて、教科書に載るような本をまともに読んでいなかった。だから文芸誌なんてオッサンが読むものだと思って、敬遠していた。


 俺が正直にそう言うと、先生はそんな子にこそおすすめよ、と笑った。彼女は学生の頃から小説を書き、大学の文芸部で同人誌を作っていたのだと教えてくれた。俺は身近に小説を書いている人がいたことに感動して、それ以来、勝手に同志のように思っていた。


 初めて読んだその本は、俺のイメージを覆した。文芸というのは地味でつまらなくて、年寄が書いた年寄りのための話だと決めてかかっていた俺の目からはウロコが落ちた。そこに書かれた小説はどれも強烈に光っていて、どうかしていて、かっこよかった。当然ドラゴンも魔法も出てこなかったが、俺は夢中で読み耽った。


 そしてイルミネアの最大の特徴は、無名の作家の作品がとても多いことと、小説に限らずアートや映画や音楽に関するページが多いことだ。それらの全てが、繋がって、ひとつになって大きな世界観として俺を包み込んだ。それ以来俺は、同級生が漫画の週刊誌を読むのと同じ感覚で、イルミネアを欠かさず読んだ。少しずつ小説の世界を知るようになって、なおさらジャンルの垣根をものともしないイルミネアの独特な存在感に惹かれた。


 だがしばらくして、イルミネアの雰囲気が少し変わったような気がした。どこが、とはハッキリ言えないが、何となく違う、そんな違和感の正体を知りたくて、俺は掲載されている作家の作品を読み漁ったり、あれこれ調べたりした。そしてようやく気がついた。イルミネアの一番最後のページ、そこに書かれた編集人の名前、それが四ヶ月前から変わっていた。俺はそこで初めてその人の名前を知った。


 「都筑和真つづきかずま


 俺はその名前を片っ端から調べた。有名な人らしく、検索すればいくらでも記事が出てきた。「都筑和真」その人は、二八歳の時にイルミネア創刊の中心にいた人で、気鋭の編集長として一躍話題になったらしい。それまでにも、無名の作家を何人も発掘して、ベストセラー作家に押し上げたという。だがそれらの記事は全て過去の日付で、それ以後、都筑和真に関する記事は出て来なかった。


 大学に入ってからも何度か調べて見たものの、都筑和真の情報は三年前でぷつりと途切れ、憧れの神編集長に俺の小説を見てもらうという夢は頓挫した。それで一時は描きたい小説の方向を見失ってスランプにも陥ったが、それでもきっと都筑和真は出版業界にいるはずだ、俺はそう思い直した。


 あんなに素晴らしい功績を残し、面白い小説をいくつも世に送り出した人だ。簡単に離れられるわけがない。そう思った。俺が今でも彼に小説を見てほしいと願い続けるように、夢は簡単に諦められないはずだ。



*****



 午前の講義が終わり、俺と伊織は学食へ向かう。途中で伊織の友達が二人合流して、そのまま四人で学食のテーブルに着く。何度か見かけたことのある伊織の友達だが、俺はあまり話したことがない。黙って自分のうどんといなり寿司を食べつつ、彼らの話を遠くに聞き流していた。不意に、伊織が俺の肩を叩いて言う。


「ならゆーきを連れて行けばいいじゃん」


 俺は何の話か分からず、口の中のうどんを無理やり飲み込んで、俺の顔をまじまじと覗き込む伊織とその友達を見回した。


「まじで? 川瀬、来てくれる?」


「ごめん、何の話だっけ」


 話が見えずにいる俺に、伊織が自分の唐揚げと俺のいなり寿司を交換しながら、だからね、と言う。


「今日の飲み会なんだけど、女の子が六人来るんだって。で、こっちの人数が足りないわけ。だからさ、ゆーきが来てくれたら万事解決って話」


「飲み会? ……いや俺は、」


「ゆーき今日はバイト無いって言ってたじゃん。俺らを助けると思ってさ。ね」


 ほらこれ、もう一個やるよ、と言いながら唐揚げを皿に運ぶ伊織に、俺は観念するしか無いようだ。だが伊織、お前は付き合ってる彼女がいるだろう、と喉まで出かかったが黙っていることにした。


「……一軒だけなら」


 そう答える俺に三人は、よし! と言って何やら慌ただしくスマホをいじり始めた。俺は伊織に小声で確認する。


「お前、彼女いるんだろ。また面倒くさいことになるぞ」


「うーん、なんかねえ。もう別れたっぽいから平気平気」


「ぽいってなんだよ」


 無邪気に笑う伊織に、俺は昔から何故か逆らえない。高校の頃から伊織は女子にモテた。いつも女子の方から寄ってきて、伊織はそれを断らなかった。だが気づくといつの間にか、知らないうちに二人は別れていて、なぜかその女子たちは俺に伊織のことをあれこれと愚痴っていくのだった。今回もまた伊織の元カノは俺からいろいろと聞き出そうとするに違いない。


 俺は、伊織の彼女だという女子の顔を思い出そうとした。一年生で一番可愛い、というのがもっぱらの評判だが俺は女子の髪型や服装の違いが見分けられず、伊織の隣にいる女子がいつも同じなのかどうかさえあやふやだった。とにかく、すぐに泣く子じゃなければいいな、と俺はぼんやり考えた。

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