08話 バーベキュー
それ以来、伊織は図書館にいる俺のところに来ては、毎日のようにあそこに行きたい、あれが食べたいと喋って行くようになった。当然俺は一人のほうが集中できるが、思えば高校の時もこんな調子で休みの日には俺の部屋に来て勝手に漫画を読んだりゲームをしたり、新しい彼女の話をしたりと好き勝手に過ごしていた。
俺は適当なところでへえ、だのああ、だの相槌を打っているだけだったが、伊織はそれで満足らしかった。だから今日もいつも通りに聞き流していたら、どうやらうっかりどこかに出かけるのに同意していたらしい。
「よし、じゃあ決まり。今度の日曜、駅前に九時な!」
「んー…………えっ? ちょっと待て伊織!」
思わず大きな声を出したあとにハッとして周りを見回す。もう一度伊織を呼び止めようとしたときには、あいつはスマホ片手に図書館の階段を降りていくところだった。俺は腰を浮かせた中途半端な体勢で、行き場の無くなった抗議の声をため息に変換して吐き出した。
日曜の朝、カーテンの隙間から差し込む光は、裸足で床に投げ出した俺の脚にくっきりと鮮やかな影を作り、もう春が終わったことを告げていた。浴室の鏡の前に立つと相変わらず力強い寝癖が後頭部を変な形にしている。
俺は歯ブラシを咥えたまま服を脱いで洗濯機に放り込み、頭からシャワーを浴びた。一昨日の朝に剃ったきりの髭もまあまあ伸びているが、どうせ伊織は見慣れているしそのままでいいか。
濡れた髪をタオルで雑に拭いて、Tシャツに袖を通す。どこで何をするのか聞き忘れたが伊織のことだ、きっとカラオケかゲームセンターあたりだろう。俺は履きつぶしてペラペラになったビーチサンダルを引っ掛けて駅に向かった。のんびり歩いてちょうど九時。俺がいつも伊織と待ち合わせる改札の下の花壇のそばで待っているとすぐに伊織が現れた。
「ゆーき、こっちこっち」
十メートルほど向こうで伊織が手を振っている。改札とは反対の方を示す伊織に、俺は怪訝に思いながらもついていく。すると脇道に停めた車のそばで伊織が呼んでいる。車で出かけるとは思っていなかった。一体どこに行くつもりなのか。
「えっ、車? 伊織コレどこ行くの」
「ゆーきまた俺の話聞いてなかっただろ。バーベキューしに行くって言ったじゃん」
「は? え、バーベキューってお前……」
「ほら早く乗って」
俺は伊織に背中を押されて後部座席に押し込まれる。頭を引っ込めて車に乗り込むと、座席にはもうすでに二人が座っていて、危うく俺は一人にのしかかるところだった。
「あっ、ごめ……」
そう言って踏み潰しそうになった相手をみると、この前の飲み会であった彩夏ちゃんだった。その向こうには彩夏ちゃんの友達の女子がいる。
「ひさしぶり」
そう言って彼女は手を振る。彩夏ちゃんも小さく笑って頷く。前の席を見ると運転手は伊織の友達だった。伊織は助手席に乗り込むや否やこちらを振り向いて、あともう一台は現地集合だから!と満面の笑顔で言った。
「ほんじゃ、出発しんこーう!」
能天気な伊織の掛け声とともに、車は動き出す。
「川瀬くんって休みの日はこんな感じなんだ」
彩夏ちゃんの友人女子が俺の方を見ながらニコニコしている。こんな感じとは、と考えた俺は、すぐに思い当たる。――髭剃ってない。しかも汚いビーサン履いてきた。
「ああ、うん。髭剃るの忘れて」
「なんかかっこいい」
「そう、かな」
隣の彩夏ちゃんも俺の方を見ているが、何しろ距離が近すぎてまともにそちらを見ることが出来ない。
「ゆーきは昔っからこんな感じなんだよね。テキトーっていうか無頓着っていうか」
「なんか分かる気がする。モテたいオーラが出てないのがいいんだよ」
彩夏ちゃんの友人がそう言うと、前の席の伊織とその友達が異議を唱える。
「それって俺らへのダメ出し?」
「伊織くんとシンちゃんはそのままでいいよ。君らは癒やしキャラだから」
車内は和やかな雰囲気で晴天の高速道路を一時間ほど走り、周囲に緑の山が見えてきたところで高速を降りた。途中のスーパーで食材の買い出しをして、再び車に乗り込みしばらく山道を走る。高速道路と打って変わって急なカーブが続く道だ。俺は隣の彩夏ちゃんに体重が掛からないように踏ん張りつつドアの上のハンドルを掴む。そうやって三十分ほどクネクネと走ると、気温が一気に下がるのが分かった。車の窓から崖の下に渓流があるのが見える。
辿り着いたのは静かな山の中のキャンプ場で、日帰りバーベキューも楽しめるというところだった。きれいな設備にアスレチックや渓流釣りも楽しめるという。まだ連休も始まる前で、それほど混んでいないようだった。俺は車のドアから這い出るように降りると、縮こまっていた体を伸ばした。
もう一台の車は先に到着して、すでにバーベキューグリルの準備に取り掛かっていた。三十分近くかかってようやく炭に火が着き、女子が手際よく準備した肉や野菜がグリルに並べられていく。男どもはノンアルコールドリンクを片手に肉が焼けるのを待った。
ようやく焼けた肉を頬張る。うまい。フライパンで適当に炒める薄切り肉とは比べ物にならない。さらに、石窯で焼いたという手作りピザも登場して、一段と盛り上がる。そうして、三キロ近く買ってきた肉は八人の胃袋に全て収まった。腹一杯になった俺たちは、グリルの網や鉄板が冷めるまでの時間、すぐ近くを流れる川へ行った。
木陰の浅瀬に足を浸けると、ひんやりと冷たい水が足を洗っていく。みんなそれぞれ裸足になって恐る恐る川に入った。草臥れたビーチサンダルを履いてきた俺は正解だった。川の流れから少し外れた場所に、プールのように静かな水溜りがあった。俺はそこの岩に腰を下ろしてぼーっと水を眺める。岩の影には小さな魚が隠れているのがチラッと見えた。
流れのある場所では伊織たちが水飛沫を被りながらキャアキャア言っている。そんな様子を眺めていると、彩夏ちゃんがこちらに向かって浅瀬を歩いてくる。膝丈のショートパンツで、手に脱いだサンダルを持って、川底の石に足を取られながらヨロヨロと歩いてくる彼女に俺は手を伸ばした。
ようやく手の届く場所に来ると彼女は俺の手を掴んで、岩を一つまたぐ。その岩のこちら側は流れもなく穏やかな水溜りだ。
俺の隣に腰を下ろした彼女は、小さく笑ってそのまま静かに水溜りで遊ぶ魚を眺める。俺も彼女も饒舌なタイプではなかった。
俺は本を読むのが好きなこと、彼女は映画を見るのが好きなこと、そんなことをポツリポツリと話しては会話が途切れてまた水を眺める。それでも居心地は悪くなかった。
しばらくそうして二人で涼んでいると、遠くから呼ばれる。そろそろバーベキューの後片付けらしい。俺は立ち上がり、彼女の様子を確認しながら浅瀬を歩く。後ろをついてくる彩夏ちゃんが、あ、と小さな声を上げて俺は振り向いた。
不安定な石を踏んでバランスを崩した彼女が顔をしかめる。足を挫いたのだろうか、俺は彼女の手を取って支えたが、違和感のある足で川を渡るのは難しいかもしれない。俺は流れの穏やかな場所で彼女の前にしゃがんだ。
「乗って。おぶってくから」
「えっ、いいよ。大丈夫、歩ける……」
「捻挫は無理すると治りが悪くなる。この後のアスレチックもやめた方がいい。早く乗って」
背後で彼女がためらうのが分かる。やがて俺の肩に恐る恐る触る彼女の左手と、背中には遠慮がちな体重がじわりと乗る。
「あの、ごめんね重くて」
小声でそう囁く彼女が、体に力を入れているのが分かる。俺の背中にもたれないように一生懸命体を起こしているらしい。俺は思わず小さく吹き出した。彼女の体がぴくりと強張る。俺は内心、頑張っても重さは変わらないんだけど、と思いながら彼女に言う。
「伊織とか散々おぶってるから、彩夏ちゃんなんか全然軽いよ」
河原から近くのベンチまで歩いて彼女を下ろすと、彩夏ちゃんの友達が駆け寄ってくる。
「アヤ、どうした?」
「足、挫いちゃった」
「あんまり歩かせない方がいいと思う」
俺がそう言うと友達も頷く。彩夏ちゃんをベンチに座らせて、七人でバーベキューの片付けを済ませる。この後アスレチックや迷路などのアクティビティを計画していたが、彩夏ちゃんの足を考えて早めに切り上げる案が出た。だが彩夏ちゃん本人がそれはどうしても嫌だと言うので、彼女は見学して残りのメンツで遊ぶことになった。
背負う係に丁度いいということで俺が付き添うことになり、彩夏ちゃんの友人は満足げに頷いた。彩夏ちゃんが申し訳なさそうに俯き、伊織は心配そうな表情でこちらを見ていた。
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