126 憎悪の発芽

 



 戦いを終えたメアリーは、隅で意識を失うエリニを介抱した。


 彼女は目を覚ますと、ひどく怯えた様子でメアリーに抱きつく。


 誘拐されたショックは相当なものだったろう。


 しかし、もう犯人はいないと聞くと、目に涙を浮かべながらも安堵した様子で笑みを浮かべた。


 そして村に戻るべく、二人で歩き始めたところで――遠くから、森では聞くことのない、耳鳴りにも似た高い音が近づいてきた。


 彼方で暗闇を照らすのは、翼のように噴き出す二本の炎。


 障害物となる木々を刀で切り捨てながら、猛スピードでやってきた女性は、メアリーたちの数十メートル手前で着地した。




「カラリアさんっ!?」


「うひゃあぁぁっ!?」




 あまりに突然の出来事に、エリニは驚愕しメアリーに抱きつく。


 カラリアはそのまま滑って勢いを殺しながら、目の前で停止した。


 彼女はメアリーの姿を見るなり、その肩を掴んで大きな声をあげる。




「メアリー、無事かっ! はっ、その血はどうした。オックスにやられたのか!?」


「ただの血痕です、傷自体は回復しています」


「そうか、よかった……人質も救出できたんだな」




 胸に手を当て、息を吐き出すカラリア。


 メアリーは相当な心配をかけてしまったようである。




「どうして一人で行くなんて無茶なことをしたんだ!」


「そうしないと、彼は納得しないと思いまして」


「だからってなぁ……それで、オックスはどうなった?」


「倒しましたよ、あそこにある肉片が彼です」




 メアリーが指差す先には、もう動かなくなった二つの肉の塊があった。


 ひと目で見て、それが人間だったと判別するのは困難だろう。




「天使化しているのか……?」


「しょせんは彼も『世界ワールド』の手駒に過ぎなかったのでしょう」




 いつまでも放置しておくのも何なので、メアリーは腕から獣の頭部を伸ばし、それを取り込む。




「『パワー』のアルカナ……強かったろう。よく勝てたな」


「文字通りのパワー勝負でしたから。カラリアさんだって、今の装備なら勝てると思いますよ」


「だといいんだが……後で詳しい話を聞かせてくれ。だが今は脱出を優先しよう」


「村で、何かあったの?」




 カラリアの様子のおかしさに、不安げにエリニがそう尋ねた。


 薄暗いためわかりにくいが、カラリアの表情は優れない。




「村の連中が全員……化物に変わって、襲いかかってきたんだ」


「え、えっ? 化物……みんながっ!?」




 困惑するエリニ。


 だがメアリーには心当たりがあった。




「そちらでも天使が現れたんですか」


「ああ、最初からこの村も『世界』の支配下だったらしいな」


「どういうことなの? 天使ってなんなの!? エリオは無事!?」


「双子の片割れなら無事だ。チッ、もう足音が――」




 カラリアが振り返る。


 メアリーが耳をすますと、遠くからぺたぺたと近づく複数の足音が聞こえた。




「ひっ、な、何あれ……赤い……肉がむき出しの……気持ち悪い。あれが、村のみんななの……?」


「あまり質の高い天使ではないようです。倒しますか?」


「いや、やるだけ無駄だ。どれだけいるかわかったもんじゃない。今は逃げて体力を温存するぞ」




 決戦が明日に控えているのだ。


 ここで戦わずとも、『世界』を打ち倒せば天使も消えるだろう。


 カラリアは両腕でエリニを抱え、メアリーをしがみつかせると、背中の装置から炎を吐き出しながら空に飛び上がり、森から脱出した。




 ◇◇◇




 カラリアが降り立ったのは、山を降りたところだった。




「エリオーっ!」


「エリニぃーっ!」




 金髪と銀髪の双子が抱き合い、互いの無事を喜び合う。


 メアリーのほうにも、アミが猛スピードで駆け寄り抱きついた。




「お姉ちゃんっ、大丈夫だった!?」


「ええ、オックスとの決着はつきました」




 愛おしそうにアミの頭を撫でるメアリー。


 少女は安心した様子で目を細めた。




「無事でなによりだわ、本当に」




 歩み寄ってきたキューシーも、胸に手を当てながら嬉しそうに笑う。


 本気で心配していたことが伝わってくるその表情に、メアリーは少し罪悪感を覚えていた。




「いくら果たし状があるからって、馬鹿正直に一人で行くなんて無謀すぎるわぁ」


「結果的に勝てたんだから良しとしてください。『力』のアルカナも手に入れました」


「あれだけの地位を持った男が、馬鹿げた末路だ……」




 嘆くエドワード。


 メアリーは『ふさわしい末路だと思いますが』といいそうになったが、言葉を飲み込んだ。




「それより現状はどうなってるんですか?」




 さすがに上空で話を聞くわけにもいかず、メアリーはまだ事の詳細を知らない。


 するとエリオが、首を左右に振りながら弱々しい声で言った。




「わ、わからないよぉ。私たちが寝てる間に、お父さんが化物に変わってて……」


「お父さんが……そんなぁ……」




 続けてシャイティとステラが言葉を続ける。




「私は先生の家に泊まっていたので、いきなり襲われたりはしなかったのですが」


「こんなの悪い夢だよ……みんな知ってる人たちだったのに。いきなり、何の前ぶれもなくあんな姿に変わってしまうなんて」




 彼女たちの話から察するに、メアリーたちが村を訪れるよりも前に、すでに血液の投与は完了していたのだろう。


 リュノが暮らしていた場所。


 しかも、村の名前に自分の名前が使われている。


 他の場所に比べれば、『世界』が狙う理由は十分にある。


 もっとも――そこをメアリーたちが訪れたのは、まったくの偶然なのだが。




「他に、村に助かった人はいませんか?」




 もうひとつ、メアリーには気になることがあった。


 なぜ生存者が全員、自分たちの関係者なのだろう、と。




「死体は見かけた。化物に変わってなかったということは、全員ではなかったんだろうが……」


「今から助けに戻っても、生き残ってるとは思えないわね」




 キューシーは顔をしかめた。


 メアリーの想像以上に、村は凄惨な状態だったようだ。




「ま、でもこれではっきりしたわぁ。陛下を殺さない限り、私たちにも王国にも未来は無いって。王子様もわかったわよね?」


「……そうだな。お父様がこんなことをするはずがない。さらなる罪を重ねる前に、一刻も早く終わらせるべきだ」




 さすがのエドワードも、覚悟を決めたようだ。


 満足気にフィリアスはうなずく。


 とはいえ、アルカナ使いに比べれば魔術評価が低いエドワードが、戦闘に参加することはないのだが。




「そろそろ日付が変わります。お父様は時間までは指定しなかったんですよね」


「ええ、明日としか言ってないわぁ」


「動きがあれば軍から連絡が入るだろう」




 カラリアがそう言った途端、メアリーが持っていた通信端末が震えた。




「――来ました」




 あまりの間の良さに、それすら疑いながら――メアリーは端末を耳に当てる。


 まずは相手が正気の副隊長だったことで、一安心だ。


 その後、彼女は何度か相槌をうったあと、自分たちの現状を話し、通話を終えた。




「どうだったの、メアリー」




 真っ先にキューシーが尋ねる。




「お父様は、夜明けと同時に天使を放つと言っているそうです」


「民の避難はどうなっている?」




 エドワードの問いに、メアリーは険しい表情を浮かべた。




「現在およそ六割まで避難が進んでいるそうです。夜明けまでには七割の避難が完了するだろうと」


「じゃあ、三割の人が残っちゃうんだね」


「はい、アミの言う通り、いくらか住民を残したまま戦いを始めることになるでしょう」


「まだ一万人はいるか……」


「この短期間で七割だろう? 驚異的な数字だ」




 カラリアの言う通り、軍は十分に頑張っている。


 だが一万人という数字もまた、大きいのは事実だ。




「私たちはできる限り死なせないように戦うだけよぉ。戦闘が始まったら、エドワード王子も避難を手伝いなさぁい」


「僕が天使とやらに狙われたら一巻の終わりだぞ!?」


「危険だから意味があるんじゃない。次期国王らしいことしてみなさいよぉ。ま、戦闘中は混乱もへったくれもないもの、王子が登場したって問題ないわぁ」


「く……わかった。正直、死ぬほど怖いがやってみよう」




 村から逃げ出すときも、誰よりも一番怯えていたのはエドワードだったらしい。


 ステラやエリオ以上に叫んでいたそうなので、彼にとってはかなり勇気のある決断だったろう。




「ではさっそく、クライヴさんの言っていた隠し通路の場所まで移動しましょう。ステラさんたちは――」


「途中までついて行ってもいいかな。ここだと、いつ化物に襲われるかわからないよ」


「わかりました。では、途中で安全な場所があれば、そこで別れるということで」




 その決定に、抱き合ったエリニとエリオが不安を漏らす。




「そんなものあるのかなぁ」


「わかんないよぉ、私たちだっていつ化物に変わるかわからないし」




 二人の言葉はもっともだ。


 本当なら、護衛の一人ぐらい付けておきたい。


 しかし今のメアリーたちには、そんな余裕はなかった。



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