120 足音はすぐそこに

 



 一通り話を終えたところで、フィリアスは外の空気を吸うと言って部屋を出た。


 メアリーはそんな彼女を追う。


 フィリアスは壁に背を預け、暗くなった空を見上げて憂鬱な表情を見せていた。




「釘を刺そうと思ったんですが、思っているより堪えてるんですね」




 メアリーがそう言うと、フィリアスはいつもの表情を作る。




「無理しないでいいんですよ」


「人と向き合うと勝手に作っちゃうのよ。職業病ってやつ」


「近衛騎士ってそんな職業でしたっけ」


「そんな職業なのよ、これが。それで、釘を刺すって? お兄さんのこと?」


「ええ、お兄様を見ながら実に悪い表情をしていたので」




 言いながら、フィリアスの隣に陣取るメアリー。


 思いの外近い距離に、フィリアスは少し驚いた様子だった。




「変わったわね、あなた」


「今はフィリアスさんの話です」


「そういうとこ。以前はもっとおどおどしてたわ。今はまるでヘンリー様の娘みたい」


「皮肉ですか」


「本音よ。少し安心したわ。あなたにそういう影響を与える程度には、陛下も父親だったのね」


「……ええ、父親らしくあろうとしていたんでしょうね」




 自分の娘との間に生まれた子供。


 妻が死んだ原因。


 それでも娘として扱おうとしたのは、ワールド・デストラクションの発案者としての責任を取ろうとしたのか。


 はたまた、純粋にメアリーを娘として認識していたからなのか。


 メアリーは地面に視線を落とす。


 考えても、死体同然のヘンリーから答えを知ることはできないだろう。




「あーあ、こんなことならメアリー王女のほうに付いておくべきだったわね」


「良かったじゃないですか、お兄様が適度に情けなくて」


「あら酷い、そんなこと言ってないわよ、私」


「そういう表情をしてたんです。操りやすいとでも言うべきでしょうか」


「ああ、あの顔のこと? それはね、ゾクゾクしてたのよ」


「ゾクゾク?」


「エドワード王子って、いまいち思い切りが足りないし、政治能力も高いようには思えない。カリスマも微妙なところで、未だに平民気分だって抜けてないわ。この人を一人前の王に成長させるまでに、どれだけの困難が襲いかかってくるのかしら……って」


「……本気で言ってます?」


「もちろん。困難を悦ぶような性分じゃないと、この地位まで上り詰めることはできないのよぉ?」




 ふざけ半分に言っているようにしか見えない。


 どこまでが本音なのか、メアリーにはさっぱりわからなかった。




「でしたら残念でしたね」


「あら、どういうこと?」


「私、お兄様は割といい国王になると思ってます」


「理由を聞かせてもらってもいいかしら」


「だってお兄様、平民を経験してるじゃないですか。平民気分が抜けないのって、そう悪いことじゃないと思いますよ」


「どうなのかしらねぇ、それって長所なのかしら」


「ええ、きっと。少なくとも、私みたいな箱入り娘よりは」


「ふーん……」




 フィリアスはなぜかメアリーの前に立つと、その顔をまじまじと見つめた。




「な、なんですか……?」




 急な距離の近さに、メアリーはほんのり顔を染めて戸惑う。


 するとフィリアスは、またあの冷たい笑みを浮かべて言った。




「箱入り娘のする目じゃないわ。一度でいいからやりあってみたいわぁ」


「縁起でもないこと言わないでください」




 ふいっと視線をそらすメアリーに、フィリアスは思わず苦笑した。




「あらごめんなさい。これも性分なのよ、何だかんだで騎士だって戦士だもの。相手がアルカナ使いなら、自分の力を試してみたいって思ってしまうものなの」


「……では、オックス将軍とも戦ったことはあるんですか?」


「彼と? ああ、何度か模擬戦はやったことあるわねぇ……でも一度戦えばそれでいいかなぁ」


「単純だからですか?」


「よくわかったわねぇ。そうよ、『パワー』の能力って、とにかく力押しじゃない。確かにオックスの剣の腕は確かだけど、どれだけ技を磨いても、最後は力で押し切ったほうが強いのよねぇ」


「では、あれ以外に能力は無いんですね」


「私が知る限りはね。何、戦うつもり?」


「さあ、私にはわかりません。ですが、彼はそのつもりなのではないかと」




 今度はメアリーが物憂げにため息をつく番だった。


 それから、二人はぽつぽつと、軽く会話を交わして宿に戻った。


 腹の中を暴くには、フィリアスはガードが硬い。


 だが少なくとも、この戦いが終わるまでは協力してくれそうだ――メアリーはそんな気がしていた。




◇◇◇




 ミーティスは田舎である。


 ゆえに、宿にもあまり部屋がない。


 その夜、一部屋をフィリアスとエドワードに譲ったメアリーたちは、強引に一つのベッドで眠りにつくことになった。


 カラリアは「ソファで寝るからいいぞ」と遠慮したが、なぜか楽しそうなアミに押し切られた。


 案の定、ベッドは死ぬほど狭く、端っこのカラリアは落ちそうになっていたが――ふざけてじゃれあっていると、子供心を思い出す。


 無邪気に遊べる時間というのは、それだけで貴重だ。


 誰もがボロボロの心を抱えている。


 それを少しでも癒せるのなら――無駄な時間ではなかったはず。


 そんなことを思いながら、暖かさに包まれ眠りにつく。




 ◇◇◇




 翌日、メアリーは一人で村に出た。


 決戦を明日に控えて、気になることを片付けるためだ。


 もっとも、この村の地理にはあまり詳しくないため、さまようことになり――結果として、例の双子に掴まってしまう。




「きゃー! 王女様ー!」


「素敵ー! こっち見てー!」




 寝起きの頭にキンキンと響くハイテンションさに、思わず苦笑するメアリー。


 そして彼女は早速、双子に挟まれ、腕を絡められてしまう。




「王女様王女様、私たちの名前、覚えてくれてます?」


「こーんなに可愛いんだから覚えてますよね?」


「えーっと……金髪のほうが姉のエリニで、銀髪のほうがのエリオ……でしたっけ」


「せいかーい!」


「さすが王女様ー!」


「私たちの名前を覚えてくれてる素敵な王女様には!」


「私たちが特別に観光案内しちゃいまーす!」


「さあさあ!」


「こっちに!」




 強引にメアリーを引っ張ろうとする双子。


 メアリーはそれに抵抗しながら、二人に尋ねた。




「私、リュノさんの家を見てみたいんです。村の外れにあるんですよね?」


「リュノ様の」


「家?」


「もう残っていないんですか?」


「確かにあるけど」


「見たって楽しいものじゃないよ?」


「構いません、見せていただいてもよろしいですか」




 双子は「つまんない場所だけどなー」「なー」と言いながらも、メアリーを村外れの家まで連れて行く。


 そこは森に入る目の前にあった。


 外装こそ新しいように見えるが、飾りっ気はなく、ただの木で作られた“小屋”だ。


 前を通り過ぎただけでは、倉庫と勘違いしてしまいそうなその建物。


 扉には特に鍵もかかっておらず、簡単に中に入ることができた。


 最も、入ったところで、中にあるのは殺風景な部屋――


 ありふれた台所、最低限の家具、そして油の切れたランプ。


 観光地にするにはみすぼらしすぎる光景がそこにはあった。




「だから言ったのに」


「ねー?」




 メアリーは『死神』――リュノをその身に宿している。


 彼女が暮らした場所を訪れれば、何か記憶を手に入れられるのではないかと思ったのだが。


 まあ、ヘンリーが操られていることも、『世界ワールド』の動機もわかった今、その情報を得る必要があるのか、という疑問はあるが――ユーリィやディジー、キャサリンのことなど、まだわかっていないことも多い。




「私たちはもっとこの家に力を入れるべきだと思うんだけど」


「みんなお金が無いからって放置してるんだよ」




 金を使って整備したところで、その作り物に小説のファンが価値を感じるかは微妙なところだ。


 結局、何も得ることなく外に出たメアリー。


 彼女はそのあとも、リュノにゆかりのある場所を案内してもらったが、特に何も思い出すことはなかった。


 村を一通り回ると、昼食の時間が迫っている。


 さすがに一人で行動を続けると、アミやキューシーあたりに文句を言われそうなので、メアリーは宿に戻ろうとした。


 すると道の向こうから、ステラと見知らぬ女性が並んで歩いてくる。


 ステラはメアリーに気づくと、小走りで近づいてきた。




「あ、いたいた。メアリーちゃーん!」




 まるでメアリーがこの村にいることを知っているかのような口ぶりだ。




「あれってステラさんじゃない?」


「そうだよ、村一番の有名人のステラさんだよぉっ」




 双子たちはにわかに盛り上がる。


 ステラがぎこちない動きでそんな二人に手を振ると、双子は『きゃーっ!』と黄色い声をあげて喜んだ。




「よく会いますね、ステラさん」


「それはこっちのセリフだよ、メアリーちゃん」


「ところで、そちらの方は……」




 遅れてメアリーの前にやってきた女性は、名刺を取り出した。




「私、イナニス出版社のシャイティ・エネミナスと申します」


「ああ、あなたが。キューシーさんとアミから話は聞きました。ステラさんの担当編集者なんですよね」


「ええ、いつもお世話させていただいております」




 笑顔で皮肉を言うシャイティ。


 だがステラには意味が伝わらなかったらしく、彼女は照れくさそうにはにかんでいた。




「実はメアリーちゃんたちがミーティスに来てるって村の人から聞いてね、慌てて戻ってきたんだ」


「そうだったんですか……私たち、ステラさんの故郷とは知らなくて」


「すごい偶然だよね。先に宿に行って、他の人には会ったんだけど……ちょうどメアリーちゃんだけいなかったから、外に出てきたの」


「間が悪くて申し訳ないです。気になることがあって、調べてたんです」


「謝ることなんてありませんのよ。王女様がいない間に、しっかり先生の著作をアピールさせていただきましたから」




 シャイティは得意げに眼鏡をくいっと持ち上げた。


 いかにも敏腕編集、といった言動である。




「カラリア様もお気に召した様子でした、王女様もよろしければどうぞ」


「あはは、ありがとうございます」




 スーツの中から出てきた本を受け取るメアリー。


 言われてみれば、お世話になった知人の本なのにまだ読んだこともなかった。




「もう、メアリーちゃんは旅の途中だから荷物は少ないほうがいいのに……」


「そんな弱腰では売上は伸びません!」


「色んな国で売れてるんだし、もう伸ばさなくても……」


「王国内にすらまだ読んでない方がいるんですよ? 志は高く! さあ先生、さっそく家に戻って執筆を! お仕事を!」


「えー、まだメアリーちゃんと会ったばっかりなのにぃ。メアリーちゃんだって話したいことあるよね?」


「へ? ああ……そうですね。リュノさんのこととか、聞いてみたかったんですけど」


「リュノ……」




 その名前を出した途端、ステラの表情が一瞬だけ凍った。


 だがすぐに、元の穏やかな顔に戻る。




「女神様だね。小説が少し売れたからって、観光の目玉として売り出そうとしてるみたいだけど」


「ステラさんは知ってるんですよね、リュノさんのこと」


「もちろん。けど、物静かな人だったから、あまり話したことはないかな」


「そうですか……でしたら、他に関わりのあった人とかいませんでしたか?」


「人との付き合いはあまり好きじゃないみたいで、滅多に声も聞けないって言われてたかな。だからみんな、私の本が出るまで、彼女がこの村に住んでいたことを忘れてたぐらいだよ」




 ステラの言葉は――どこか寂しげだった。


 今はもう村に住んでいないからだろうか。


 他の村人たちと比べると、かなりの温度差が感じられる。




「さあ先生、リュノさんの話も終わったところで、今度こそお仕事の時間ですよぉ。締め切りがたっぷり待ってますからねぇ」


「待ってシャイティさん、私はまだメアリーちゃんと話したいことが……あああっ、引きずらないでぇーっ、連れて行かないでーっ、あーれー!」




 恨めしそうにメアリーに手を伸ばしながら、ステラはシャイティに連行された。


 エリニとエリオは、そんな二人について行ってきゃっきゃと騒いでいる。


 笑いながらそんな彼女たちを見送ったメアリーは、踵を返すと、宿に向かって歩きだした。


 だが数歩進んだところで、ふいに足を止める。


 風が吹く。


 ざわざわと木々が揺れる。




「やっぱりそう来ますよね。あなたにとっても、これが最後のチャンスですから」




 メアリーは冷めた表情でそうつぶやくと、再び歩き始める。


 そんな彼女の後ろ姿を、遠く離れた物陰から、何者かがじっと見つめていた。




 ◇◇◇




 その夜、眠ったふりをしていたメアリーは、密かにベッドを抜け出した。


 そして部屋から出ると、床に落ちていた紙を拾う。




『金髪の女を人質として預かっている。返してほしくば一人で北の森まで来い。小屋の近くでお前を待つ』




 メアリーはうんざりした様子で、その紙をくしゃりと握りつぶした。


 誰の仕業か、見当はついている。




「はぁ、本当に懲りない男です……オックス将軍」




 昼間から後をつけていたのも彼だ。


 あれほどまでむき出しの殺意を向けられていたら、嫌でも気づく。


 金髪の女というのは、双子の姉エリニだろう。




「顔見知りですから、もう少し冷静な人だと思いたかったんですが」




 ヘンリーとの決戦が始まれば、戦いへの介入は難しくなる。


 つまり今こそが、メアリーへの憎しみを晴らすラストチャンスなのだ。


 とはいえ、彼女としてもオックスとの決着は、ヘンリーより先につけておきたいと思っていた。


 人質など取らずとも、果たし状でも送りつけてくれれば、一人で向かったものを。


 メアリーは廊下を歩き、宿の出口を目指す。


 だが背後で、ギィ、と扉が開く音が聞こえた。


 振り向くと、暗い部屋からキューシーとアミが顔を出す。


 二人はふくれっ面でメアリーに言った。




「……勝手に出ていかれると寂しいんだけど」


「お姉ちゃんに抱きしめられないと眠れなーい」




 すっかり癖になった苦笑いを浮かべ、頭をかくメアリー。


 どうやらカラリアだけは、直接メアリーに触れていないので気づかなかったようだ。




「というか、一人で行くなんてありえないわ。危ないでしょう」


「そうだよ、私たちだって戦えるよ?」


「いえ、今回は一人で十分です。そうしないと、彼の心をへし折ることはできないでしょうから」


「その言い方……相手はオックスなのね。わたくしだってリベンジマッチしたいのだけれど」


「ごめんなさい」


「こっちこそごめん、ちょっと意地悪言っちゃった。メアリーの言う通り、因縁のある相手が決着をつけるのが一番でしょうね」


「朝までには帰ってきますから」


「お姉ちゃん、ほんとに大丈夫? 本当の本当に大丈夫っ?」


「心配ありません。こんな時に戦いを挑む、死ぬほど空気の読めない男ぐらい簡単に叩き潰せないと、お父様には勝てませんから」




 少し怒気を孕んだ声でそう言うと、メアリーは二人に背中を向ける。


 キューシーとアミは、心配そうにそれを見送った。



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