117 宣戦布告

 



 メアリーとキューシーが、ミーティスを発って数時間後。


 王城にある自室にいたエドワードは、ドアをノックする音に反応し、そちらを向いた。


 返事を待たずにドアノブをひねり、フィリアスが入ってくる。


 まるで自分の部屋かのような振る舞いであった。




「ノックぐらいしてくれないか」


「手間じゃない」


「それが王子に対して近衛騎士が取る態度か?」


「そんな間柄でもないでしょう、共犯なんだからぁ」


「共犯だろうと最低限の礼儀というものがな……はぁ、まあいい。それで何の用だ」




 フィリアスは一瞬、鋭い目つきで部屋の様子を観察すると、すぐに元の胡散臭い笑みを浮かべ、答えた。




「近況報告を」


「あいつとはマメに連絡を取り合ってるみたいだな」


「状況が状況だもの」


「そうだな……お父様は何を考えているんだ。グリム教団と手を組むなどと」




 エドワードは机に置いた拳を強く握りしめた。


 さすがの彼も、今のヘンリーの動きは異常だと感じているらしい。




「おかげで城からも出られない有様だ」




 窓はカーテンが閉じられ、外の様子は見えない。


 向こうから見られないための処置だ。


 おそらく今ごろ、王城前には大勢の民衆が押しかけ、王に罵声を浴びせていることだろう。


 残った数少ない兵士が必死で止めているが、誰もが『貧乏くじを引いた』とでも言いたげな表情をしていた。




「メアリー王女曰く、陛下はアルカナに操られているそうよ」


「では、お父様の意思ではないということかっ!?」




 エドワードは思わず立ち上がると、フィリアスは噴き出すように笑った。




「ふふっ、嬉しそうな顔してるわねぇ」


「う……あ、当たり前だろう。お父様のことは尊敬している!」


「殺すための大義名分もできて万々歳、ですものねぇ」


「フィリアスッ!」


「そんなに怖い顔しないでよぉ、王子様。大義名分って大事よぉ? 陛下が自滅してくれたおかげで、今のところうまくいってるけどぉ」




 フィリアスはエドワードのデスクにもたれかかる。


 人の机に――と言おうとしたエドワードだが、話の腰を折ることになりそうなので、ぐっとこらえた。




「ただちょーっと困ったことになってるのよねぇ」


「うまくいってるんじゃないのか」


「メアリー王女の予想では、陛下が例の部隊を使って、王都で虐殺を行おうとしてるっていうのよ」


「馬鹿な……そんなこと許されるはずがないだろう! 何よりお父様がやる意味がない!」


「だから操られてるって言ってるじゃない。陛下を貶めたい誰かにね」


「そ、そうか……なら今すぐに民に知らせよう! 避難させるべきだ!」


「あのデモ隊に?」




 小馬鹿にするように口元を歪めるフィリアス。


 エドワードは、外からかすかに聞こえてくるシュプレヒコールを再認識し、言葉に詰まる。


 今から国王による虐殺が行われる――などと彼らに伝えれば、大混乱に陥ることは間違いない。


 最悪、デモ隊が国王の目の前に殺到し、その場でアルカナによる虐殺、なんてことにもなりかねなかった。




「で、では、軍に助けを求めるのはどうかな?」


「それをメアリー王女がやってるのよ」


「良かった……彼らならうまく避難誘導してくれるだろう」


「何を喜んでるのよぉ」


「問題でもあるのか?」


「大ありのありありよ。いい? このままメアリー王女が軍に民の避難誘導を指示したとするとしましょう。そして彼女はその後、勇敢にも、かの悪逆の王に立ち向かい、仲間とともに打ち倒すかもしれないわ」


「立派じゃないか」


「さて問題。こうなった場合、陛下の跡を継ぐのは誰だと思う?」


「……メアリー、だな」


「でしょう? それじゃあ困るのよ、私が!」




 フィリアスは胸を叩きながら強く主張する。


 あまりにメアリーに民衆の支持が集まりすぎた場合、彼女が望む望まないに関係なく、そういう機運が高まる。


 ここでエドワードが王を継ぐと表明しても、不満を持つ者が現れるだろう。


 フィリアスとしては、話をこじれさせたくないのだ。


 スムーズな王位継承に必要なのは、メアリーに負けない、エドワードの英雄的エピソードなのである。




「わかった、それなら今から僕が軍に話を――」


「二度手間じゃない」


「しかしだな……」


「最優先は勝利よ。王位継承はその次。履き違えちゃいけないわぁ、命あっての物種なんだから」


「……すまない」




 しょんぼりと縮こまるエドワード。


 フィリアスはそんな彼を気に留める様子もなく、唇に人差し指で触れながら考え込む。




「仮に王女様が軍に助けを求めたとしても、表面上は陛下に忠誠を誓っている彼らはおおっぴらには動けない。何より“避難している”という事実が大きく広まれば、結局は王都が大混乱に陥るわ。そして仮に陛下が本当に虐殺を企てているとすれば――そのための部隊が結成されたのはつい昨日。見たところバタバタしてるから、彼らの準備が整うのにはどのみち数日はかかる。私たちの予定は変わらないわ。衝突するのは早くて二日後、遅くても四日後ってところね……それまでに軍だけで王都数万の民を逃がすのは不可能。それを手助けする方法があるはずよ、王都の内側にいる私にしかできないことが……」


「噂を流す、というのはどうだろう?」




 エドワードは緊張した様子で口を開く。


 彼も一応は王子だというのに、すっかり立場は逆転していた。




「どんな噂を流すのぉ?」


「それは……お父様が毒ガスを撒く、とか……」


「んー……悪くないわね」


「本当か!?」




 目をキラキラと輝かせて喜ぶエドワード。


 まるで飼い犬が主に褒められたかのような表情だ。




「い、いやでも、やっぱりダメだ。王都が混乱してしまう!」


「いいのよ、噂なんだから。いっそのこと『陛下が虐殺を計画してる』って本当の情報を流しちゃいましょうよ」


「さっきそれを止めたのはお前だろう」


「王子本人が発表するならともかく、噂だけなら誰も信じやしないわ。自分の国の民を殺そうとする王なんて、普通ありえないんだから」


「言われてみればそう……なのか?」


「馬鹿げた話なのよ。ええ、完全にゴシップだわ。誰も信じないけど、不安だけが広まる――今の陛下ならやるかもしれない、と思わせるぐらいがちょうどいいわね。そして戦いが終わった後でそれとなくバラすのよ。実はエドワード王子の案でした、ってね」


「おお……まるで参謀だな! 頭が良さそうに見える!」


「実際はそうでもないけどねぇ」


「おい」


「ふふっ、怖い顔しないの。事実なんだから」


「くっ……それで、どうやって広めるんだ? 新聞を使うのか?」


「それだと強度が高すぎる。テロリストさんたちに頼んでみるわ、早急にね」




 話を終えると、フィリアスは部屋を出た。


 すると、廊下に立つ彼女に、白い制服を着た、小柄な女性が駆け寄ってくる。


 制服はフィリアスと同じもの――つまり彼女も近衛騎士である。




「団長、またエドワード王子と密会されてたんですね」


「あら密会だなんて、人聞きが悪いわ」


「噂になってますよ、王子とそういう関係なんじゃないかって」


「恐れ多いわね。ちょっとした相談に乗っていただけよ。ところで、何か用事があったんじゃないのぉ?」


「陛下がお呼びです」


「そう……久しぶりね」




 フィリアスは口元にかすかに笑みを浮かべる。


 近衛騎士として、王の身を守るのは最重要任務だ。


 ヘンリーの近くには、常に数人の騎士が待機している。


 他にもキャサリン王妃や、もちろんエドワード王子だって警護の対象である。


 だがそれとは別に、単純に話がしたいとか、お茶を飲みたいとか――そういう要件で呼ばれることがたまにあるのだ。


 フィリアスも定期的に王からご指名を受けることがあったが、最近はすっかりご無沙汰だった。


 もっとも――今回の呼び出しがそういうものだとは思えないが。




「陛下の様子はどうだった?」


「落ち着いた様子でしたよ。落ち着きすぎているぐらいに」


「ご健康ならそれでいいのよ。伝言ありがと」





 軽く手を振って、ヘンリーのいる玉座の間へと向かうフィリアス。


 部下はそんな彼女の背中を、不安そうに見送った。




 ◇◇◇




「フィリアス・トゥロープ、ただいま参りました」




 玉座に腰掛けるヘンリーの前に、フィリアスはひざまずいた。


 彼は頬杖をついて彼女を見下ろす。


 白髪交じりの茶色い短髪に、鋭い目つき。


 どちらも娘には遺伝しなかったものだ。


 いや――目つきだけは、少しフランシスに似ているだろうか。


 メアリーにはどこも似ていない。


 “似ている場所を探そうとすれば”、少しは見つかるかもしれないが。


 輪郭はスマートだが、生やしたヒゲと骨格のたくましさが風格を演出する。


 体には金細工が施された赤と白の服を纏い、宝石の装飾が施された玉座と共に、差し込む陽の光が反射し輝いていた。




おもてを上げよ」


「はっ」


「久しいな、余とお前がこうして向き合いって話すのは何ヶ月ぶりか」


「最近はあまりに呼ばれないので、嫌われてしまったのかと心配しておりましたわぁ」


「お前は妙に勘がいいからな。悪巧みをしているときは近くに置きたくないのだよ」


「ふふふ、悪巧みだなんて。陛下の行いならば全て正義ですわ」


「娘を殺したとしてもか?」




 声のトーンが一気に低くなる。


 部屋の温度までもが下がった錯覚に陥り、近くに立っていた騎士がわずかだが体を震わせた。


 だがフィリアスの表情は不動。


 やはりあの胡散臭い笑みを浮かべたままだ。




「何か考えがあってのことだと信じておりますから」


「はははっ、買いかぶりすぎだ。不要だから捨てたまでのことだ」


「不要、ですか」


「知ってのとおりだ、あれは役に立たん。むしろよく我慢した、と自分を褒めてやりたいぐらいだ。フランシスに先回りされたのは想定外だったがな。どのみち――二人とも殺すつもりだった」


「そうでしたのね」


「これを聞かされてもなお、余に忠誠を誓うか?」


「無論でございます」


「感情のこもっていない言葉だな」


「騎士に感情など不要。いついかなるときでも、無条件で陛下に付き従う存在なのです」


「ははははっ、中々どうして、尻尾を出さないものだな。まあよい。今日はお前に教えてやろうと思ってな」




 ヘンリーは悪魔のように口角を吊り上げ笑う。


 知性を感じさせない、いかにも・・・・な悪役の表情だ。




「明後日、王都を滅ぼす」




 そして、彼は言った。


 与えられた役のままに、まるで物語に出てくる悪人のように。


 フィリアスは硬直する。


 そして困惑しながらも――




(何よそれ。そんなに堂々としてたんじゃ、エドワードと話し合った意味がないじゃない……!)




 そう毒づいた。



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