111 それでも世界は待ってくれない




 灰色の雲が、薄く空を覆っている。


 いつもより薄暗い一本道の道路を、四人は並んで歩いていた。


 王都は遠く、マジョラームの施設ももう見えない。


 向かう先には山があるだけ。


 そんな道を、ひたすらに歩き続ける。


 目的地など無かった。


 ただ今は、マジョラームと関係のない場所に行くべきだと――そうキューシーが提案したのだ。




「この辺、なーんにもないねー」


「道路は整備されている。徒歩での移動を想定した道では無いんだろう」




 彼女たちは歩くうち、自然と前後で二人づつに別れていた。


 後ろはアミと、カバンを手に持ったカラリア。


 そして前にはキューシーとメアリーが歩いている。


 その身は、マジョラームの施設に来たときよりも軽い。


 携帯端末を捨てたからだ。


 ノーテッドが言っていたように、社長を引き継いだ幹部も信用できるか怪しいものだ。


 マジョラームも敵――そう考えて行動するのなら、通信を傍受される可能性のある端末を使うのは危険だろう。


 しかし、体は軽くなった一方で、足取りは重かった。




「川もないし、土地も乾いてる。雑草すら生えてないから作物も育たないのかなぁ」


「アミの家は農家だったな。農業の知識はあるのか?」


「知識っていうか、経験? お父さんやお母さんを手伝ったときに覚えたことだけ。でもそれだって、勉強して、本を読めるようになったら、畑が狭くてもたくさん収穫できるのかなって思う」


「賢いことを言ってるな」


「キューシーの受け売りだもん」


「勉強なんて全部受け売りだ」


「んふふ、だねー。私ね、カラリアたちと話してると自分が賢くなってく気がする」


「あまり私を参考にするなよ。勉強は自信がない」


「そうかな? カラリアっていつも冷静ですごく頭が良さそうだよ」


「良さそうなだけだ。知識も冷静さもまだまだだよ」




 黙り込んだメアリーたちと対照的に、アミとカラリアは頻繁に言葉を交わす。


 沈黙は息苦しい。


 少しでもそれを和らげようと、気を使っているのかもしれない。




「……キューシーさん、そろそろ休みますか?」




 メアリーは、勇気を出してキューシーに声をかけた。


 彼女は虚ろな瞳で、ただただ前に進み続けている。


 その表情から感情を読み取ることは難しかった。


 あの電話からおよそ一時間――到底、持ち直しているとは思えない。




「必要ないわ、気にしないで」




 キューシーは小さめの声でそう返す。


 メアリーは、それ以上何も言えなかった。


 ただただ寄り添って、一人にしないように一緒に歩くだけ。


 すると今度は、キューシーのほうから話しかけてくる。




「みんなすごいわね。思い知ったわ……」


「みんなって、私たちのことですか?」


「こんな苦しみを乗り越えて、戦って……その中で、もっと悲惨な事実を知ったわけじゃない? 特にメアリーとカラリアは」




 ホムンクルスのことを言っているのだろう。


 メアリーはその言葉に対し、静かに首を横に振った。




「悲しみは誰かと比較するものではありません」


「ん……」


「何より、私はその悲しみを憎しみに変えた不健全な人間ですから、褒められたものではありません。悲しみたいなら悲しむべきです。無理に進まずに、気が済むまで」


「めんどくさいやつじゃない、それじゃあ。迷惑でしょう?」




 弱々しく言うキューシーに、メアリーは毅然と言い返す。




「そんなこと思うはずがないじゃないですか」




 そう言い切れる程度には――




「そんな薄っぺらい信頼関係ではないと――少なくとも私はそう思っていますから」




 メアリーなりに、キューシーのことを想っているつもりだ。


 その真っ直ぐな言葉は、想定外に胸に響く。


 キューシーはわずかに顔を歪め、目をそらした。




「……ダメね」


「私がですか?」


「わたくしの方よ。メアリーとカラリアって、出会ったばっかりの頃からべたべたしてたじゃない? その理由、少しわかった気がするわ」




 天を仰ぎ、力のない声で語る。




「気を抜くと、寄りかかりたくなる。失った部分を、あんたで埋めたくなる。そういう類の優しさなのよ、メアリーのそれは」


「私も甘えたがりですから、そうしたくなるんです。いけませんか?」




 なおもメアリーは真っ直ぐで、思わずキューシーは苦笑いを浮かべた。




「わたくしは――そう、少しだけ、覚悟ってやつをしてたのよ。心の保険とでも言うべきかしら。悲観的だとは思いながらも、すでに各国の要人が抑えられているのなら、お父様だって、もしかしたら――って。ふふ、一種のナルシズムでもあるわね。お父様は『世界ワールド』に狙われるぐらいの大物だって自負してたんだから」


「それでも、辛いものは辛いです」


「ええ、気休めにもなりやしないわ。思ってた以上にね」




 キューシーの瞳から、自然と涙がこぼれた。


 泣こうと思ったわけじゃない。


 それほどの悲しみを感じた実感もない。


 だが、涙は意識せずとも勝手に流れて――もはや悲しみを悲しみと感じぬほど、感情の定位置が底辺にまで堕ちてしまっていた。




「油断すると、勝手に涙がこぼれてくる。気をそらそうにも、視界のほとんどをお父様との思い出が埋め尽くしてる。どうしようもないわ……ああ、どうしようもない……」




 声を震わせながら、視線をゆっくりと落とす。


 焦点の合わない瞳でぼんやりと景色を見つめながら、前に歩む力すら抜けていく。


 ふらふらと体が左右して、首もそれに合わせて揺れた。


 キューシーを支える糸は残りわずか。


 切れたら二度と元に戻らない気がして。


 メアリーは不安になって、その手を握った。




「やめて」




 小さく低い声で拒絶するキューシー。


 控えめな力で振り払おうともしたが、メアリーはしっかりその手を掴んで離さない。




「やめません。それに、手を繋ぐだけなら甘えたうちに入りませんよ」




 そう言って、メアリーは指も絡める。


 キューシーは悲嘆に沈む瞳で彼女を見つめた。


 二人の目が合う。


 自分だって辛いだろうに。


 しかしその瞳には、キューシーの身を案じる感情しか込められていない。


 自分のことなんて棚に上げて。


 自己犠牲的に。


 いつものキューシーなら否定するところだが、そういう情に厚い行動は、弱ったときに限ってよく効くものだ。




「ふ……そうやって侵略してくのね」




 彼女は力なく笑う。


 手のひらのぬくもりのおかげだ。


 さっきまでのキューシーには、冗談でも笑う余裕などなかったのだから。




「やだな……メアリーのぬくもりで、少しだけ気持ちが楽になってるの」




 そう言いながらも、手は離さずに。


 とある村にたどり着くまで、二人はそのまま歩いた。




◇◇◇




 メアリーたちが道なりに進んでいると、アミが山の麓にある村を発見した。


 ミーティスと呼ばれるそこは、ありふれた田舎村だ。


 規模で言えば、『戦車チャリオット』との戦いで壊滅したレミンゲンより少し大きいぐらいだろうか。


 道の途中に大量の丸太が置かれた広場があったことから、林業が主な産業だと思われる。


 どんな田舎でも、宿の一つぐらいはあるはずだ。


 キューシーの精神的な疲れもある。


 早いうちに、ピューパもマジョラームも関係ない場所で休みたいところだった。


 村の入り口には、妙に派手な色で塗られた看板が飾られている。




「ようこそ、女神のいた村へ……ってなんだろ?」




 先頭を行くアミがそれを読み上げ、メアリーたちのほうを振り返る。


 女神と言えば、『死神』のアルカナことリュノ・アプリクスが、そう呼ばれるほど美しい外見だった、とユーリィが言っていたが――まさか関係のある場所ではあるまい。


 ありふれた田舎村が、観光客を呼び込むために、その地に残された伝承を誇張して宣伝しているのだろう。




「さすがに、これだけではわかりませんねえ。ですが観光客を呼び込んでいるのなら、それなりの宿がある可能性はぐっと高まりました」


「おー、なるほど。おいしいご飯とかあるかなーっ」




 アミは場の空気を和らげるためか、“いつも通り”を意識してい行動しているように思える。


 キューシーは相変わらず落ち込んだままで、さすがに他人に見られるのは嫌だったのか、村の手前で手は離していた。


 村に足を踏み入れる一行。


 すると、二人の少女が急にこちらに駆け寄ってきた。


 それぞれ銀と金のショートヘア。


 年齢はメアリーと同じぐらいだろうか。


 同じ髪型、同じ背格好、同じ顔をした彼女たちは、四人に満面の笑みを向け口を開く。




「ようこそミーティスへ! 観光客四名様ご案内でーす!」


「ささ、お姉さんたちこちらへこちらへ!」




 メアリーをターゲッティングしたその二人は、強引にどこかへ連れて行くべく、両側から腕を絡めて胸を押し付けた。



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