110 クライ




『今、マジョラームの全権限を別の幹部に渡したよ』




 ノーテッドは落ち着いた様子で、そう告げた。




「え? お父様、それは一体……」




 突然のことに、キューシーは戸惑いを隠せない。




『ごめんね、キューシー。このまま僕がしばらく社長を続けて、次期社長としてキューシーを指名する予定だったんだけど……たぶん、それは難しいと思う。いや、キューシーなら実力で奪い取れるかな』


「何を言ってるのよ、お父様!」


『僕は『世界ワールド』に操られてるんだろう? そんな人間が、社長なんて続けていいはずがないじゃないか。それにね、キャプティスを簡単に壊滅されるほどの敵とやりあってるんだ。何かあったとき、すぐに会社の中枢機能を移せるようにはしていたんだ』


「じゃ、じゃあ……今のお父様は……正気、なの?」




 一筋の希望が繋がる。


 それは少しの力で簡単に切れてしまう、あまりに儚いものだ。


 だがそれでも、今の彼女にとっては大きな救いで――ほろりと、頬を涙が伝った。


 


『わからない。あるいは今の僕も、正気に見せかけただけの偽物かもしれないから。幹部に社長を渡したのだって、操られた結果の行動かもしれない』


「やめてっ! そんなこと言わないでよお父様ぁ!」


『僕自身、どうしてこうなったのかわからないんだ。本当に……はは、気をつけてたつもりなんだけどなぁ』


「も、もしかしたら……わたくしたちの、勘違いかもしれないわ……」


『あはは、キューシー……無理があるよ、それは』


「でもっ! ほら、だって、通信相手なんて偽装できるもの! きっと別の人間がピューパに送ったのよ!」


『相手は“僕”だったんだろう? なら、偽装が難しいことはキューシーだってわかってるんじゃないかな』




 王国で最高峰の技術力を誇るマジョラーム・テクノロジー。


 その技術の粋を結集して、強固なセキュリティを敷いたのがその社長室。


 そこから送信されるメッセージを偽装するということは、マジョラームの最先端技術を上回ることに等しい。


 たとえユーリィのいた研究所がピューパにとっての最先端だったとしても、彼らの技術力でそれは難しいだろう。




「なら……えっと、ほら、その……っ」


『キューシー』


「やめて……お願い、やめてっ! そんな優しい声で呼ばないでぇっ!」


『愛しているよ』


「やめてぇぇぇぇええっ!」




 甲高い叫び声を響かせるキューシー。


 それでも、端末を耳から離すことはできなかった。


 もう聞きたくない。


 最後まで聞いていたい。


 相反する二つの感情が、彼女を苦しめる。




『僕は君を引き取ったあの日から、本当に、誰よりも大切な家族として接してきた』


「お父様……終わりなんてないわ。わたくしたち、家族だもの」


『十八年間、父親としては不出来だったかもしれない。だけど、僕なりに必死にやってきて――キューシーがこんなに立派に育ってくれたことを、誇りに思うよ』


「戦いが終わったら、わたくし、そっちに戻るから。娘が帰ってきたら、おかえりって迎えるのが家族よね!? ねえ!」


『今日までありがとう』


「やめてよぉぉおぉ……そんなのっ、そんなのってないっ! お父様はぁ……わたくしのお父様でぇっ、だから、だからっ、また顔を見て……抱きしめて……! ねえ、ねえ、お願いよぉ。お願い、お願い、お願いぃっ!」


『キューシー、メアリー王女に変わってくれないかな』


「やだぁああっ!」


『変わってくれ』


「嫌なの! だって変わったら、もう二度と話せなくなるからぁ!」




 駄々をこねるようにキューシーは叫ぶ。


 それが別れの言葉であることは、冷静さを失った彼女にだってわかる。




「お父様……わたくし、お父様のことが大好きなの。ただの平民だったわたくしを拾ってくれてっ、こんなに大切に育ててくれてぇっ! だから、だから、まだ……まだ何も、恩返しできてないの……早すぎるよぉ……!」




 無論、ノーテッドとて死にたいわけじゃない。


 だが、このまま生きていても迷惑をかけ続けるだけだ。


 そして何より、生きられない理由が、彼の左手にはある。


 どうしてもメアリーに端末を渡そうとしないキューシーに、彼は諭すように言った。




『頼むよキューシー。わがままかもしれないけど、僕は、いい父親でいたいんだ。最後に呪いみたいな言葉を残して、君を苦しめたくない』


「……やだ。やだぁ。いいから、悪い父親でもいいからぁ! 辛くてもいいからぁ!」


『キューシー、これは父親として最後のお願いなんだ! 頼むよ』


「お父様……う、ううぅ……うううぅぅぅうううっ……!」




 キューシーはうなりながら端末を強く握りしめる。


 これを離せば、もう二度と父親の声を聞くことができなくなる。


 それを、キューシーの意思でやれだなんて――ああ、なんて残酷な“お願い”だろう。


 だが最後と言われて、それに応えないなんて、彼女にできるはずがない。


 腕を震わせながら、キューシーはゆっくりと、端末をメアリーに手渡した。


 メアリーは困惑しながらも、キューシーから携帯端末を受け取る。


 そして彼女の体温が残るそれを、自らの耳に当てた。




「もしもし……ノーテッドさんですか?」


『メアリー王女、よかった。君たちには申し訳ないことしてしまったね』


「いえ。それ以上にお世話になりましたから」


『少しでも役に立てたのなら嬉しいよ。でも残念ながらここまでだ』


「誰かがそこにいるんですか?」


『いや……僕の左手は今、銃を握っていてね。“いつの間にか”ってやつなんだけど――気づいたところで、自分の手だっていうのに言うことを聞かないんだ』


「ノーテッドさん……」


『少しずつ手は上がって、僕のこめかみに当てられるだろう。バレた以上、『世界』にとっても用済みってことか。いや、それとも最初からそうするつもりだったのかな』


「……私に伝えたいことがあるんですよね」


『最後に絞り出した悪あがきみたいなものさ。これでも魔術に関わる研究をしてきた人間だ。だから、注意はしてたつもりなんだよ。できるだけ接する相手も減らしたし、できるだけ触れないようにもしていた。毎日、自分の体のデータだって取っていた』


「何かわかりましたか?」


『わからない。形跡が見当たらない』




 だがそれは同時に、“見当たらない”という事実でもある。




『“見ていない”、“聞いていない”、“触れていない”。『世界』による支配の成立は、これらの行動を必要としないのだろう』




 散々、メアリーたちも疑問に思ってきた。


 支配の条件は何なのか。


 他のアルカナたちの能力が、強力であればあるほど制約が強まるように、本来『世界』ほど強力な支配能力を持つのなら、強烈な制約がなければおかしい。


 しかし――結局のところ、その前提に囚われているからこそ、いつまでもわからないのではないか。


 ノーテッドの言うように、あらゆる接触を必要とせずに能力を発動させられるのなら。


 強烈な制約なんて存在しないのだとしたら。




「何かをされて支配されるのではなく、何かをした・・人間が支配される……?」


『かも、しれないね。気づかないうちに、条件を満たしているんだ。僕も含めて』




 そう言うと、ノーテッドは間を置いた。


 そして苦しげに――だがそれを悟られないよう取り繕いながら、告げる。




『すまない、そろそろ時間みたいだ』




 カタカタと震える音が聞こえた。


 どれだけ理性で押し込めようとも、人は死の恐怖を前に、全てを抑え込むことなどできないのだ。 




『キューシーを、よろしく頼むよ』




 銃声が響く。


 端末が床に落ちる。


 最後に、どさりと床に人が倒れる音がして、それきり反応は無くなった。


 メアリーは俯く。


 まぶたを閉じると、溜まっていた涙が雫になってこぼれた。


 彼女のその反応を見て、キューシーは血走った目を見開き、飛びかかるようにその手に握られた端末を奪い取る。




「お父様、ねえ返事をして、お父様! お父様、お父様、お父様、お父様あぁぁぁああっ!」




 悪質なイタズラなら、それでもいい。


 こっぴどく叱った後で、今すぐキャプティスまですっ飛んでいって抱きついてやるだけだ。


 だが誰も何も答えてくれない。


 涙を流したまま立ち尽くすメアリーと、何度も親の名前を呼ぶキューシーと、そんな彼女を悲痛な表情で見守るアミとカラリア。


 それだけだ。


 それ以外、生きた人間は、その声が届く範囲にもういない。




「あ……ああぁぁあ……うああぁぁぁあああ……っ!」




 キューシーの手から端末がこぼれ落ちた。


 彼女はそのまま膝をついて、崩れ落ちる。




「ああああっぁああっ! おと……さま……っ! お父様ああぁぁああっ! ああっ、あああぁああああっ! うわあぁぁぁぁあああああああっ!」




 そして彼女は子供のように泣き叫んだ。


 メアリーたちにできることは、寄り添うことだけだった。


 慰める方法が思いつかないのではない。


 今は胸に湧き上がる悲しみを吐き出すしかないのだ。


 みんなそれを知っている。


 メアリーも、カラリアも、アミも――同じ痛みを味わった経験があるからこそ。




(そうなったのは偶然なのでしょうか。それとも――)




 ――お前も同じ苦しみを味わえ。


 そんな憎しみを、誰かから向けられているからなのだろうか。



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