083 狙撃手と狙撃手
メアリーの柔らかな唇が、カラリアに押し付けられる。
感じたこと無い甘い感覚に、カラリアは目を見開き驚く。
だがその表情は次第にとろんととろけていって、体から力が抜け、メアリーに身を任せた。
すっかり陶酔したメアリーは、さらに体を強く押し付け、唇で唇を
(う……うぅ、頭が、ぼーっとして……体が、痺れる……)
気が動転して、カラリアはその異変に気づくのが遅れてしまった。
これは精神的な問題ではない。
明らかに体がおかしい。
唇を通して送り込まれるどろりとした魔力のようなものが、カラリアの体の中に入り込んで溶かしているようだ。
最初は心地の良い痺れだったが、やがてそれは痛みを伴いはじめ、体の内側から喉元までせり上がってくる。
鉄臭い匂いを感じた瞬間、カラリアはメアリーを突き飛ばした。
「きゃあっ」という可愛らしい声と共に、尻もちをつくメアリー。
その直後――
「かはっ! げほっ、ぐ、ごふっ!」
カラリアは咳き込みながら、血を吐き出した。
彼女は膝をつく。
そして胸元に手を当てながら、何度か吐血を繰り返した。
「カ、カラリアさんっ!? どうしてっ!? え、わ、私、今、そんなっ……!」
正気に戻ったメアリーは困惑する。
カラリアにキスしてしまったという事実、そして彼女がそのせいで吐血してしまった現実が同時に脳に押し寄せて、整理できない。
(く……外傷は無いが、内臓を、やられたか……回復……キューシーに、会わなければ……)
端末での連絡を考えたが、今、彼女がいるのは外の市場。
連絡しても気づくかどうか――
「ごめんなさい、ごめんなさいっ、私、そんなつもりなくって、私……っ!」
「落ち着け、メアリー……死んだわけじゃ、ない。それより――警戒しろ、敵の、アルカナの、攻撃だ……!」
「は、はいっ! でもどこから……! 探さないとッ!」
メアリーは両手から骨を生やし、枝分かれさせてホテル中に張り巡らせる。
彼女の疑問はもっともだった。
この密室内に、二人以外の人の気配はない。
外から攻撃しようにも、カーテンは閉じており、性格な場所を割り出すのは難しい。
そして何より、狙われたのはメアリーだけだった。
無差別の攻撃なら、カラリアだって巻き込まれているはずなのに。
(近くにいる相手に恋心を抱き、キスをねだる……回りくどい能力だな。だがわかりやすい。おそらく、このアルカナは――『
口元を手で拭きながら彼女は立ち上がる。
だがすぐによろめき、壁にもたれかかった。
慌てて駆け寄るメアリーだが、カラリアは手で制する。
「……そうですね、離れていたほうがいい。次がいつ来るかわかりませんから」
「ああ……どうだメアリー、周囲に怪しい人物はいるか?」
「見当たりません。人混みに紛れているとしたら、探しようはありませんが、しかし――」
近くに潜まず、そんな人混みの中から、この部屋を正確に狙えるものだろうか。
それとも、この部屋、あるいはメアリー自身が何らかの条件を満たしてしまったのか。
「見つからないなら仕方ない。私は、市場に向かってキューシーと合流する」
「わかりました。私は――ここに待機します」
「それがいい、キス魔になられたら困るからな」
少しでも場の空気を明るくしようと、カラリアは冗談交じりに言った。
しかし苦し紛れに出たジョーク、これはさすがにメアリーも笑えない。
ふらつく足でカラリアが出口へ向かうと、その視線の端に、わずかに矢のような物が写った。
それはメアリーの胸に命中すると、彼女の目つきが再び変わる。
体が熱を帯び、呼吸が荒くなり、恋する乙女の眼差しでカラリアを見つめる。
「カラリア、さん……私、また……っ」
「少し、我慢できるか」
「……は、はいっ。がんばります。キス……したくて、仕方ないです、けど……っ。カラリアさんっ、ああ、好き、好きっ、カラリアさぁんっ。どうしてこんなにっ……!」
発情した猫のように、甘い声で鳴くメアリー。
同性であろうと心が乱される色気に、カラリアはわずかに頬を染めつつも、両手でスカートの内側にある拳銃を手にした。
一方で、メアリーの彼女への想いは高まるばかり。
キスしたい、キスしたい、キスしたい――それだけ頭が埋め尽くされそうになる。
理性が止めても、本能が全力でカラリアを求める。
そこで彼女は『
そして鋭く尖った爪を、真正面から自分に突き刺した。
「あぐううぅぅっ!」
手足を深く穿ち、腹部まで貫いて、苦痛にあえぐメアリー。
「メアリー、お前――」
「ここまで、しないと、我慢、できなくて……っ」
貫通した爪を壁に突き刺し、自ら体を磔にする。
痛々しいその姿に胸を痛めながら、カラリアは銃を変形させた。
「マキナネウス、ロングバレル!」
二丁拳銃は合体し、ライフルへと姿を変える。
彼女はそれを片手で構えると、カーテンに銃口を向けた。
◇◇◇
遠く離れたホテルの一室から、女は二射目もメアリーに命中させると、構えた弓をおろして一息ついた。
吐き出した息と共に、張り詰めた緊張感が抜けていく。
「情報通り、メイド女のほうは魔術に耐性を持っていたわね。生身であの毒に耐えるとは冗談のような話だわ。でも、二回も喰らえば――」
彼女の瞳には、建物を隔てた向こうにいるメアリーたちの様子が見えている。
もちろん、彼女が自ら自分の肉体を傷つけ、動きを封じたことも。
「自滅したッ!? そんな滅茶苦茶な方法で時間を稼ぐなんて!」
血まみれのメアリーを見て頬を引きつらせる女。
さらに、同じ部屋にいるカラリアはライフルを手にすると、銃口をこちらに向ける。
「見られてる? いや、そんなはずは。それに間には建物だってあるわ!」
お構いなしにトリガーを引くカラリア。
離れた弾丸は、カーテンを焼き、窓ガラスを蒸発させ、壁を溶かしながら一直線に女に向かって飛んできた。
「嘘でしょっ!?」
彼女は転がるように避ける。
だが、すぐに二発目、三発目が放たれた。
相手が回避した場合の動きを先読みし、逃げ道を塞ぐような弾道。
体制を崩した女には避けられない。
「っ、ぎゃああぁぁぁあああっ!」
白い光球が、女の右腕を吹き飛ばした。
傷口は焼け、出血こそ無いものの、想像を絶する痛みが彼女を襲う。
「あっ、あがっ、がああぁぁっ! いたっ、痛いっ、いたひいぃぃっ……!」
女はホテルの床をのたうち回る。
「馬鹿げてるぅっ……! こんなっ、こんなところで……私っ……やだっ、死にたくないぃぃ……っ!」
そして彼女は歯を食いしばって立ち上がると、傷口を手で押さえながら部屋を飛び出した。
◇◇◇
「ふぅ……まさか、あんな場所から、とは……っ、く」
カラリアは腹を押さえて膝をつく。
腕を吹き飛ばされ、目を見開く女の姿がわずかに見えた。
一瞬だけ見えた、クピドの矢の軌道――そこから敵の向きを割り出して、狙撃してみたのだが――思いの外、それがうまくいった形だ。
「メアリー、どうだ……元に、戻ったか……?」
「……ごめんなさい。まだ、キス、したいです……カラリアさんとっ、いっぱい、キスしたいっ」
「はは……後で正気に戻ったら、どういう反応をするんだろうな……」
「言わないでくださいっ、絶対に、恥ずかしいので……っ」
メアリーにそういう自覚はある。
それでも止まらないのだ、この衝動は。
「今度こそ、私はキューシーたちと合流する。そのあと、敵を追跡するか……っ、ぐ……ここで、待ってるんだ。いいな?」
「がんばります……うぐうぅぅっ!」
メアリーは言ったそばから、自分の腹に刃を突き刺す。
そうでもしないと、すぐでにも追いかけてしまいそうだからだ。
メアリーをこれ以上傷つけないためにも、早く『恋人』を探す必要がある。
カラリアは銃を二丁拳銃に戻すと、重たい体に鞭打って、部屋の外へ飛び出した。
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