046 死神、そのあるべき姿で

 



 マジョラーム本社ビル最上階――キューシーは重傷を負いながらも、『吊られた男ハングドマン』のアルカナを持つカリンガを撃破した。


 ノーテッドは社長室から治療箱を持ち出すと、カラリアと共に必死でキューシーを治療する。


 だが内臓にも損傷があるらしく、本格的な治療にはそれなりの設備が必要であった。


 もっとも、ビルのコントロールが全て戻り、かつ医務室のあるフロアでの戦闘が終わらなければ、連れて行くこともできないのだが――




「キューシー、頑張るんだよ。きっとあと少しで戦いは終わる!」


「お父様……ふふ、わたくしは、大丈夫、よ……」




 涙を流しながら、必死に呼びかけるノーテッド。


 カラリアは厳しい表情でその様子を見つめる。




(かなり傷が深いな。この様子じゃ、あまり長くはもたないぞ)




 キューシーは平気だと主張するが、それは明らかな強がりだ。


 放置すれば彼女の命が長くないことは、誰の目にも明らかだった。




「……これは。魔力が、消えた?」




 そのとき、カラリアはビルの様子が変わったのを肌で感じた。


 キューシーも同じだったらしく、か細い声で父に伝える。




「『タワー』の、能力が、消えたわ……メアリーが、倒した……う、ぐっ……の、ね……」


「無理するんじゃないキューシー! だったらすぐに医務室へ向かおう!」


「待てノーテッド、その辺りの階層でまだ戦闘が続いていたはずだ」


「隣接する工場にも医務室はある! そこまで行けば!」


「なるほど――わかった、私が連れて行こう」


「……待てよ」




 そこにいるはずの人間は三人。


 だが、聞こえてきた男の声は――四人目だった。


 カラリアは目を見開き、“死体”を見つめる。




(馬鹿な、あの男は間違いなく死んでいたぞ? 蘇る能力など、そんな馬鹿げたものが――)




 しかし死んだはずのカリンガは、確かにその両足で立ち上がる。


 その様は、まるで見えない糸に操られる人形のようであった。


 周囲に暗色のもやがかかり、景色が歪む。




「へ、へへへっ……あーあ、負けちまったぁ。感じたよ、アオイが死んだのを。俺もアオイも、負けちまったよ。だったらさあぁ……あはははっ、みぃんな、道連れにしないとさあ、おかしいだろうがよぉおおおっ!」




 口から涎をだらだらと――いや、瞳からも涙が、鼻や耳からも血を溢れさせながら、




「あひゃくひゃきひんひひがひゃあああぁぁああっ!」




 カリンガは腰の骨が折れるほどにのけぞり、奇声をあげる。




「まさか――いけない、反理リバース現象だ!」




 青ざめるノーテッドに、カラリアは聞き返す。




「リバース? 何だそれは」


「とにかくあれを早く破壊・・してくれ、取り返しのつかないことになるッ!」




 事情を聞くことを諦めたカラリアは、刀を抜き、速やかにカリンガに斬りかかった。


 すると彼は、刃をその右拳で受け止める。




「ちっ、防御する知能は残っているのか!」


「ぎゃひっ、ひきゅきはははっ、許さねえよ! おま、お前、お前はは! 一人、にげ、逃げた、カラリアァ! 逃げひいっひひひいぃはあぁぁぁあっ!」


「ぬうぅおおおおぉおおおおおッ!」




 魔導刀ミスティカに魔力を吸わせながら、競り合うカリンガ。


 一方、ぼんやりとその様子を見つめるキューシーは、膨張するアルカナの力を感じていた。




(魔術評価……25000……30000……40000……爆発的に、増えていきますわ。これはまさか……自爆……っ)




 カリンガの語る“主人公”らしからぬ――いや、ある意味でらしいと呼べるのだろうか。


 膨らむ魔力に合わせるように、彼の肉体もどんどん膨らんでいく。


 赤すぎる顔、飛び出しそうな目玉、異様なまでに浮き上がる血管。


 やがて何もない場所から、噴水のように血が吹き出しはじめる。




「止まれえぇぇぇぇえええッ!」




 対するカラリアも、両腕に血管を浮かべながら、必死で刀を押し付ける。


 だが、ひたすらに増え続けるカリンガの力を前に、刃は押し返される。


 膨らむ彼のその様は、さながら破裂寸前の風船のようで――




(爆発するっ! ダメだ、間に合わないッ!)




 カラリアが諦めかけた、そのとき――




「うぶっ、が……あ……」



 カリンガの体から噴き出す血しぶきが、彼女を汚した。


 巨大な白い爪が、彼の体を背後から刺し貫く。




「お……あ……アオイ……そこに、いるん、だな……」




 カリンガは天に手を伸ばし、最期にそう言い残すと、急速に萎んでいく。


 そして、まるで老人のようにしわくちゃになると、ずるりと爪から抜けて床に倒れた。


 カラリアは――そこに立っていたメアリーと目があい、微笑んだ。




「はぁ……はぁ……助かった、ありがとうメアリー。だが、いつの間にここに?」




 メアリーは腕を口に変えると、嫌そうな顔をしながら、カリンガの死体を飲み込む。




「『塔』の力を得ました」


「力を得た?」


「説明は……う、づっ、後で、します……」


「おい、大丈夫かっ!?」




 うめくメアリーの体を、とっさにカラリアは支える。




「だ、大丈夫です。それより――まだ、敵は残っています。今は、アミちゃんが止めてくれていますが……倒しに、いかないと……」


「アミ? 死んだはずじゃ……」


「生きてたんです。それも後で。とにかく私は、下のフロアに向かいます!」


「手助けは必要か?」


「いえ、私がケリを付けます。カラリアさんはキューシーさんを!」




 そう言って、メアリーの体は床に溶けて消えた。




「本当に『塔』を……それも『死神デス』の力なのか?」




 目の前で起きた現象に、カラリアは驚く。


 だがすぐに気を取り直すと、キューシーに駆け寄り、彼女の体を抱き上げた。


 ノーテッドが「お願いします」と震える声で言うと、カラリアは強く頷いた。




 ◇◇◇




「『運命の輪ホイールオブフォーチュン』、その体でいつまで耐えるつもりだ」




 アミと天使の戦闘は、なおも続いていた。


 戦況は天使の優勢。


 さすがに魔術評価1万の差を埋めるのは難しいということか。


 度重なる光線による攻撃で、アミの体は火傷だらけ。


 だが致命傷は負っておらず、また天使への攻撃も何度か成功させている――『メアリーが戻ってくるまで一時的に場を任せる』、その役目は果たしていると言えよう。




「だから私はアミなの! 神様じゃないの!」


「いいや、貴様はもはや人ではない。私たちの同類だよ、だからこそ滑稽で、だからこそここで無様に死ぬべきなのだ」


「私はメアリー様のために死ぬの! お前のためなんかに死んでやるもんかっ!」




 接近するアミに向けて、天使は光の帯を複数放つ。


 最初は直線的なものばかりだったが、現在使われているのは、壁に当たると跳弾するタイプ――より回避は難しい。


 アミはそれを、周囲に浮かぶ車輪を使って逸らし、避けているが、かすめた光が肌を焼く。


 痛みに慣れていない少女は、そのたびに「づ、うぅっ」と苦しげに顔をしかめる。




「ちくしょう、あたしらには何もできないのかよ!」


「出たところで無駄死にするだけだ」


「団長、だけどよお!」


「歯がゆいのはお前だけじゃない、他の団員も同じなんだ。今は堪えろ」




 解放戦線の面々は、戦いへの介入を諦め、医務室の面々と共に壁の後ろに身を隠していた。


 女団員は悔しげに地団駄を踏むが、下手に銃を放ってもアミの邪魔になるだけだ。


 それに、あの光の帯がかすめただけで、パワードスーツは溶けてしまうのだ。


 まともに受ければ、蒸発して、死体すら残らないだろう。




(あんな幼い少女が化物と戦う前で、何もできないとはな……だがそう長くは持たないぞ、王女様、まだなのか!)




 できることは、メアリーの到着を祈ることぐらい。


 すでに『塔』によるビルの支配が解除されていることは知っている。


 アミだってそれに気づいているはずだ。




「テロリストが蚊ならお前は蝿だな、ちょこまかと鬱陶しい」


「せめて蜂ならちょっとかわいいのに」


「その余裕ごと消し飛ぶがいい」


「消えないよ、だってメアリー様がもうすぐ来てくれるから!」




 天使は握った両手を前にかざし、ひときわ多くの魔力を込める。


 膨らむ光球。高まる熱。


 それをアミへ向かって放とうとしたとき、天使は咄嗟に後ろを向いて、その標的を変えた。




「不意打ちなど通用せぬ」




 天井から現れたメアリーは、天使に向かって両手を伸ばす。




「真正面でも結果は同じです――秘神武装アルカナインストール吊られた男ハングドマン!」




 『吊られた男』の能力は、ダメージを受けるほどに魔力を向上させる。


 だがメアリーが受けた傷は、『死神』の力により再生する。


 一見して相性は最悪――しかし彼女の能力は、自傷が可能であった。


 その肉体の内側より骨を生やせば生やすほど、『吊られた男』の影響は大きくなる。




「逝ね、メアリー。定めをまっとうせよ!」


死者万人分のミリアドコープス――圧葬銃ガトリングッ!」




 皮膚と肉を突き破り、両腕が骨の回転式機関砲へと変質する。


 それだけではない。


 メアリーは背中からも、腕の要領で銃を生やす。


 加えて、腹を開いてモツをぶちまけ、極大のガトリングが姿を現す。


 合計五門――メアリーは天使の目の前で人間武器庫と化した。


 対するは、人の理を超えた天使の光。


 必殺の弾幕と必滅の光束が空中で衝突する――




「ふん――抗うな、従え。十六年前に死ぬべきだった命よ!」


「その手の理屈は聞き飽きましたッ! おおぉぉおおぉおおおッ!」




 死者の骨片は、光の溶かされ、消されてゆく。


 なおも威力は天使のほうが上――メアリーの肌は赤く焼けただれていった。


 だがそれが、吊られた男の能力をさらに高める。


 傷つけば傷つくほどに向上する魔力。


 徐々に、メアリーの砲撃が、天使の光を押し返していった。




「押し負けるか――この短期間で、よくぞここまで。さすがは女神の成れの果て!」




 天使は、攻撃を止める。


 弾丸の雨が降り注ぎ、傷だらけになる中、そいつは右腕に光のブレードを伸ばした。


 打ち合いで負けるのなら、強引に弾幕を抜けて斬撃を当てる――再生能力を持つがゆえの、メアリーと似た発想である。


 圧葬銃の威力は圧倒的、しかし接近されるまでのごく短い時間では、相手を殺し尽くすことはできない。


 迎撃するにしろ、回避するにしろ、メアリーも発砲を止めなければ対応できないのだ。




「くうぅっ!」




 振るわれた刃を、彼女もまた腕をブレードに変えて受け止める。


 しかし付け焼き刃では、一瞬受け止めるのが精一杯――すぐに剣は溶かされる。


 だから彼女は軽く打ち合い、その隙に『塔』の能力で天使の背後を取った。


 背中を狙うか――天使はそう読み、振り向きざまに振り払う。


 だがメアリーは距離を取ることを選び、後ろへ飛ぶ。


 着地の際、彼女は隣にいるアミと目を合わせ、互いにうなずきあった。




「やらせはせん!」




 二人の共闘を妨害すべく、手を前にかざす天使。


 メアリーは腕を変形。


 普段は背中から伸びる巨大な腕を右肩から生やし、その拳を握った。


 アミが放つ車輪は、彼女の背中と、その腕の周囲に浮かんでいる。


 床を蹴り、自分自身を天使に向かって射出するメアリー。


 初速は十分。


 さらに、背中の車輪が高速回転し、そこに生じる魔力がジェット噴射のように彼女を加速させてゆく。


 結果――天使の妨害が成立するより前に、メアリーは拳の射程圏内まで到達した。




(速い――)




 攻撃による相殺は不可能。


 防御は捨てた肉体ゆえに、選択肢は回避のみ。


 天使は後ろに飛んだ。


 するとその背後から、ゴオォオッ、と床や天井を削りながら何かが迫る。




(――壁、だと?)


絶潰封域ブラックアウト――そしてぇッ!」




 それはメアリーが得た『塔』の力だ。


 天使の背後から迫るは、せり出す壁。


 前方から迫るは、『吊られた男』により強化された巨大な拳。




死者万人分のミリアドコープスッ――」




 腕の周囲で回転する車輪は、『運命の輪』の力により、その威力を高める。


 三つのアルカナ――その全てをフル稼働させた、挟撃。




圧葬撃ベリアルフィストォォォォオオオッ!」




 これだけの条件が揃えば――




「ぬ、おおぉぉおおぉおッ!」




 負ける道理はもはや無い。


 天使の体は、再生の余地もなく完全に潰され、その勢いで首だけが飛んで、メアリーの足元に転がった。


 負け惜しみ――には見えないほど満足げな笑みで、天使は言う。




「ああ……やはり、成れの果てでも、いい女だな、お前は――」




 メアリーはひどく不快な気分になったので、無言でそれを踏み潰した。


 そしてアミのほうを振り返り、微笑みかける。




「アミちゃん」


「メアリー様、やったね!」


「あなたのおかげです。ありがとうございます」


「えっへへー、私、そんなに役に立ってた? メアリー様の力になれた?」


「はい、アミちゃんがいなければ、絶対に勝てませんでしたから」


「じゃ、じゃあ……抱きついても、いい?」


「もちろんです。えっと……血で汚れてますが」




 そんなことは気にしない――と、アミは全力疾走で、メアリーの胸に飛び込んだ。


 柔らかな双丘に胸を埋める幼い少女を、メアリーはぎゅっと強く抱きしめる。




(なんて熱い体……)




 明らかに人の体温ではありえない熱――なぜ死んだはずの彼女が蘇ったのか、それも含めて不安が多すぎる。


 だが今は、素直にまたこうして触れ合えることを、喜ぼうと思った。


 解放戦線の面々はヘルメットを外し、そんな二人の様子をほっとした表情で見ている。


 とはいえ、メアリーもアミも、あまりに無茶を重ねすぎた。


 安堵して抱き合ってはいるが、体に負担がかかっていないはずもなく――




「あ……う、ぐ……っ」


「メアリー様? 大丈夫? 苦しいのっ?」


「あ、頭、が……痛い……割れる、く、ああぁあああっ!」


「メアリー様ぁっ!?」




 突如として、頭を押さえて苦しみだすメアリー。


 そんな彼女の体を支えるアミだったが、




「あれ? 私も体に力が入らないよ? 何で? さっきまであんなに動いてたのにぃーっ! あーれーっ!」




 全身から力が抜け、彼女まで一緒に倒れ込んでしまう。


 そんな二人の様子を見て、解放戦線の団員たちは慌てて駆け寄るのだった。



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