040 私たちの家系図は歪んでる
メアリーはアミに歩み寄り、その頬に触れる。
ここに入ったはずのアルカナ使いの姿は見えず、白衣姿の女医が戸惑いながら、メアリーに問いかけた。
「あー……王女様、これ何が起きてるの?」
「ビルに侵入したアルカナ使いがこの部屋に入りました。誰か見ませんでしたか?」
女医や看護師たちは驚きながらも首を振り、口を揃えて「誰も入ってきていない」と言う。
どこへ逃げたのか。
どこからか、この部屋を見ているのか。
本来ならそちらに集中すべき状況だが、手のひらに感じる柔らかくも冷たいアミの感触を前に、こみ上げる悲しさを抑えることはできない。
「外傷もない……死に顔も、ああ、なんて安らかな……」
「苦しんでいる様子はなかったわ」
「……それは、せめてもの、救いですね」
慰めになるかも怪しい話だ。
本来は、死ぬ必要のない人間なのだから。
「アミちゃん。私と一緒に行きましょう――」
メアリーは自らの腕を変形させ、人間を飲み込めるほど、大きな頭部を作り出す。
鋭い牙が並ぶ口を開き、アミの体を呑み込もうとしたところで――その指が、わずかにぴくりと震える。
「……アミちゃん?」
気のせいかとも思ったが、それからもアミの体は、断続的に震えた。
その様は、生きて動かしているというよりは――まるで、内側に潜む何かが、強引に操っているようにも見える。
やがて、腹部や胸部もボコボコと波打つ。
内側に満ちる何かが、その肉体を動かしているのは一目瞭然だった。
医者たちも息を呑んで見守る中、メアリーは右腕をブレードに変形させ、アミの胴体に当てる。
ごくりと唾を飲み込んで、纏う薄手のシャツごと、皮膚を切り裂く――
「う……」
ぬちゃりと、血に塗れた、こぶし大の車輪が転がり落ちる。
メアリーは、思わず声をあげた。
車輪はなおも、わずかに開いた傷口を押し開けて、我先にと溢れ出してくる。
むわっと広がる鉄臭さに、慣れたはずのメアリーでさえ、口元を手で覆う。
「車輪が……体を、埋め尽くして……あぁ、そんなっ、じゃあアミちゃんは――」
そのさまを見て、思い浮かべるものなど一つしかない。
「『
「さすがヘムロックさん。頼りになるわ」
背後から、女の声が聞こえてくる。
「黙りなさい、あなたたちがあぁぁぁあああッ!」
メアリーは素早くそちらに腕を向け、生やしたブレードを長く伸ばした。
鋭い切っ先が壁に突き刺さる。
だがそこに、もう髪の長い女の姿はない。
しかし彼女は、ただ煽るためだけに出てきたわけではないらしい。
その近くにいた社員が、なぜか首を押さえている。
「な、なんか、チクっとして……」
その言葉にかぶせるように、メアリーの“内側”からフランシスの声が響いた。
『メアリー、彼を殺して』
迷いはない。
メアリーも、そのつもりだったからだ。
伸ばしたブレードを、元の長さに戻すついでに振り払い、彼の首を落とす。
「メアリー様っ!?」
「生かしておいても――いえ、どうせ殺したって、ろくなことにはなりません」
だが手遅れ――おそらくは、何かを“刺された”時点でもうそうなる定めだったのだろう。
落ちた首こそ動きはしないものの、体のほうはしっかりと両足で立ったまま、ガクガクと体を震わせている。
「あなたたちは外へ!」
「メアリー様、彼女の遺体は!?」
メアリーは地面を蹴ると、骨片を震える男の肉体に射出しつつ、アミの死体に近づく。
そして両手で抱え上げ、女医たちに向かって投げた。
彼女たちはよろめきながらも、数人でそれを受け止めると、開いたままの扉から脱出する。
二人きりになった室内で、メアリーは新たな敵と改めて対峙した。
「『
「残念だわ。本当に、ああ、本当に心から、残念」
再び聞こえてくる女の声。
今度は姿を見せず、声だけを響かせる。
「私ね、名前、アオイって言うの。あなたと同じ、タイプベータのホムンクルス。あなたのお姉さん。覚えておいて。死んで、あの世に行っても」
「名前なんてどうでもいいんです! 何をしたのか説明してくださいッ!」
「さようなら。ああ、どうせなら、私が、殺したかったなあ……」
遠ざかる声。
ギリ――と歯を鳴らし、悔しがるメアリー。
だが、目の前の“何か”を放置して追うわけにもいかない。
切断された首の断面がうごめく。
じゅるりと汚らわしい音を鳴らしながら筋繊維が伸び、人の頭部のようなものを復元する。
一方で胴体は、纏っていた服は溶け、皮も剥がれ、赤い肉がむき出しになっていった。
“口”を得たその化物は、拙いながら、人の言葉を発する。
「ヒトは女神にナレないかラ、女神をめ指し、たドリ着けなかったそのすガたを、私は天使と呼ぼう――」
向けられた顔には、目が二つ、鼻が一つ、口が一つ。
数こそ人と一致しているのに、その位置は、大きさは、どれもちぐはぐで統一感がない。
不完全――というよりは、意図的に、そうなるように作ったかのようだ。
「
そして最後に、背中から骨が突き出して、血が垂れるように“羽”が映える。
赤く汚れた翼の完成だ。
「ん、ン、あ、あー……」
天使と名乗ったその生命体は、まるで人のように、手で喉に触れながら声を整える。
「おほん。聞き苦しい声ですまない、喉の生成がまだ完全ではなかった」
「あなたのような肉むき出しの知り合いはいませんが」
「悲しいことだな、あれほど長く、あれほど近くで、共に生きてきたというのに。覚えているはずだぞ、そう昔のことでもないからな」
「知らない知人が増えるのにはもう飽きました。一応、確認します。あなたは誰ですか?」
「この世界を滅ぼす、神だ」
あまりに簡単に断言するものだから、メアリーは突っ込む気すら起きない。
「天使だったり神だったり忙しいですね」
「この肉体はいわば神の依代、それを天使と命名した。いまいちだったか?」
「それを操る本体が神だ、と……そういえば、アルカナも神様でしたね」
「ふ、感想は聞かせてくれないか。神は神だ。人々を統べ、支配する存在だ。生まれながらの神にして、死してもなお神として有り続ける」
その言葉に――ふと、メアリーは昔を思い出す。
『王は生まれながらにして王だ。そして死してなお、王として有り続ける』
それは父、ヘンリー・プルシェリマが言ったものだった。
権力を振りかざすためではなく、『王らしい振る舞いをする』ための心がけだったと、メアリーは記憶しているが――
(……でも、お父様なら正体を伏せる必要なんてないはずですが)
ヘンリーは、妻のキャサリンと息子のエドワードを連れて、ロミオのパーティ会場に現れた。
ドゥーガンとも接触し、メアリー殺害のきっかけを作った人物とも考えられる。
つまり、アルカナ使いを差し向け、この化物を生み出した人物として、もっとも可能性が高いと言えるのだが――だったら名乗ればいいだけのこと。
不自然さは拭えない。
「私やお姉様を襲ってきた、アルカナ使いのリーダーということですか」
「そうとも言える。だがなメアリー、彼らは私に恩義を感じ、命じられるまでもなく動いてくれる優しい子だよ」
メアリーにとってはどうでもいい話だ。
その間に、アナライズを発動。
生きた人間だというのなら、力を測ることはできるはず。
視界に数字が浮かび上がる。
すぐに、見なければよかった、とメアリーは後悔した。
(魔術評価……35000……)
――馬鹿げている。
真っ先に彼女はそう思った。
なぜ、一般人に何かを注入するだけで、こんな化物が生まれるのか。
理不尽だ。
嗚呼、メアリーの前に立ちはだかるアルカナ使いたちも、こんな気分だったのだろうか――と。
「死ぬべきは、
「アルファ? ベータ? そうやって私のわからない言葉を使い、優位に立った風に振る舞うのが不愉快だと言うのです!」
「アルファは『
天使は、あっさりと言った。
彼らにとっては、隠すようなことでもないらしい。
「……っ」
しかしメアリーは動揺を隠せなかった。
予測はしていたし、そういう話もしたが――“敵”から聞かされた時点で、それは事実を確定したようなものだから。
そして彼はおそらく知っている。
メアリーの知らない――知りたくない、もうひとつの事実も。
「どうした、聞きたいんじゃなかったのか? そしてベータは――」
「敵の言うことなど――!」
「ヘンリー国王をベースとするホムンクルスだ。アオイや、君がそれに該当する」
それは、わかりきっていたこと。
いくら『もしかしたら』と薄っすらと予感していたとしても――メアリーはショックを隠せない。
「……私が、ホムンクルス?」
「気づいていたんじゃないのか。自分が、その条件を満たし
「なぜ、あなたがそれを知っているんです!」
「君の家族だからさ」
「家族……? やはりお父様なんですか!?」
「そして私たちはとうの昔に道を違えている。だから世界が滅びる前に、互いの正しさを証明するために殺し合う――どうかな、わかってくれたかい?」
「わかりません! 何もわかりません! あなたがお父様なら、どうしてお姉様を殺す必要があったんですかッ!」
「あれは事故だよ、アオイも言っていたように。もっとも、フランシス自身がそう望んだのかもしれんが」
「だとしても!」
「ンー、コミュニケーションとは、難しいねェ、やはり。噛み合わない、悲しいぐらいに、どこまでも」
「ちゃんと答えてください、お父様ッ!」
「父……ねえ。定義が難しい話だな。ホムンクルスは管の中で生まれる。彼らに父や母は存在するのだろうか。彼ら自身は、どうやら互いを兄妹だと認識しているようだが――」
「そうですか。家族と言いながら、ホムンクルスである私は娘ですらないと……それならッ!」
鎌で斬りかかるメアリー。
「父殺しをためらう必要もありませんね!」
天使は防御すらせずに、甘んじてその斬撃を受け入れる。
袈裟懸けに深く傷が開き、吹き出した血を彼女は浴びた。
「これも悲しい現実だねえ、家族で殺し合うなんて」
天使は人差し指をメアリーに向ける。
収束する膨大な魔力を感じ、彼女はとっさに後ろにとんだ。
魔力が爆ぜる。
何かが頬を撫で、耳を削り、メアリーの真横を飛んでいく。
その射線上にあったカーテンは、その形を維持したまま、綺麗な円形にえぐり取られ、その奥にある壁にも見事な正円の穴があく。
「まずは単発。次は――」
次撃が来る――そう理解しても、メアリーは身動きが取れなかった。
速すぎて、見えなかった。
同時に理解してしまったからだ。
(ここまで、差があるなんて――)
確かにこいつは、魔術評価30000オーバーだ。
それだけでも十分に驚異だが、おそらく、その体内にほとんど魔力は無い。
魔力は外部から繋がった何者かが、その都度、そこに注ぎ込んでいるのだろう。
“魔術評価”という数値は、魔力貯蔵量と魔力放出量によって算出されるのだから――34000という数値の大半は、“魔力放出量”によるもの、ということになる。
つまり、この化物が放つ魔術は、一度でおよそ30000の威力を持つと言っていい。
そして外部から無尽蔵に魔力が補充される以上、それが単発である必要もない。
「
天使は目を細める。
部屋中を光の粒が埋め尽くす。
それは剣の形となって、その全ての切っ先を、メアリーに向けた。
「
その威力は、さっき見たとおりだ。
その速度は、さっき見たとおりだ。
避けられないし、防げない。
当たれば体は消し飛ぶし、複数当たれば再生するまでもなく死ぬ。
そう――それは一滴当たれば死ぬ雨が、空から降り注いでいるようなもの。
もちろん傘など持っていない。
(私は、死ぬ? 何もできずに、このまま――)
鳥肌が立った。
それは悪寒であり、嫌悪感。
(嫌です。何もわからないまま、こんなわけのわからないやつに殺されるなんて。道半ばで死ぬなんて、絶対にっ!)
メアリーがそう強く祈ると、部屋の片隅に、愛おしい姉の姿が浮かぶ。
彼女は止まったときの中で微笑み、語りかけた。
『大丈夫、魔術に“絶対”はない。必ず、どこかに抜け道があるから』
そして剣と剣の間を縫うように、“光の道”が現れる。
『従って、星の導きに――』
直後、時は動き出した。
「っ、はああぁぁぁあああああッ!」
示されたルートは、普通の人間なら絶対に通れないような、空中で曲がりくねった道だ。
示された通りに移動したって、剣は体を切り裂いて、メアリーに苦痛を与える。
しかし――生きている。
刃と刃の間を縫って、両足で着地したメアリーは、負傷こそしているものの、死にはしなかったのだ。
彼女は「はぁ、はぁ」と肩を上下させながら、天使を睨みつけた。
対する天使は、ぺちゃぺちゃと、滴る血を跳ねさせながら拍手する。
「素晴らしい。カラリアとヘムロックを退けた時点で、
「アルカナ、インストール?」
またもや知らない単語を投げつけられ、メアリーは戸惑う。
この天使は、メアリー以上に、メアリーのことを知っているように思えた。
「喰らったアルカナの力を得る、『死神』の特性だよ。神の牢獄としての役目も、しっかりと受け継いでいるらしい」
「そんな、今まで私が食べたのは、『
「いいや、喰らったはずだ。一番最初に、優秀な魔術師を」
その能力が、誰の姿をしているか。
それを思い出せば、答えを導くのは簡単なことだった。
だが、受け入れがたい事実に、メアリーの心音は加速する。
「――まさか、フランシスお姉様?」
だとすれば、あのとき、捕らえられたメアリーを助けに来た理由もわかる。
知るはずのない情報、それを知る術こそが、フランシスのアルカナだったのだ。
「お姉様は、アルカナ使い、だった? じゃあ、あなたは、お姉様じゃなくて……」
近くに浮かぶ、姉の姿をした存在に、メアリーはそう問いかける。
すると彼女は悲しげに笑い、こう答えた。
『ごめん、騙すつもりじゃなかったんだ。フランシスの一部は引き継いではいるよ。けれど、フランシスそのものではない。もう彼女は死んでしまったから』
突きつけられる現実。
だがそれは、メアリーにも薄々わかっていたことだ。
その存在が姉でないことぐらい――
『私はアルカナ『
しかしなお、それは愛しい姉の姿をしたまま、かつてと同じ笑みを浮かべる。
悲しい。寂しい。虚しい。
けれど、視界に姿を収めるだけで、それを上回る喜びがあって――メアリーは『単純なものです』と胸の内で自嘲しながら、だからこそ『星』がその姿を選んだのは正しい、と認めざるしかなかった。
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