027 ファントム・インベーション

 



 カチ、カチ、カチ――静かな廊下に、時計の音が鳴り響く。


 言葉を失い立ち尽くすメアリーの元に、少し遅れて、同じ部屋にいたカラリアとティニーが駆け寄った。




「ど、どうして……」


「メアリー、何があった」




 ティニーは口元を押さえて青ざめ、カラリアはメアリーの肩に手を置く。


 しかし、尋ねられてもメアリーにすらわからない。


 彼女は首を左右に振る。




「急に天井が破裂して、彼にパイプが突き刺さったんです」




 それを聞いて、カラリアは死体の真上にある穴を見つめた。




「ガスの匂いもしなければ、老朽化している様子もない。何が原因だ?」




 見た限り、破裂する要素はどこにも無いようだが――カラリアとメアリーが周囲を調べているうちに、他の団員たちも集まってくる。


 医務室の真正面はちょうど広場のようになっていたので、野次馬も集まりやすい。


 突然の仲間の死に困惑が広がる中、キューシーとジェイサムも姿を現した。


 団長は死体を見て驚くと、悔しげに唇を噛んで頭を振る。

 

 そして部下に「あいつを近くの部屋まで運んでやってくれ」と指示を出した。




「たまたまパイプが破裂して、たまたま下に人がいて――恐ろしい偶然ね。メアリー」


「そう、ですね。偶然にしては出来すぎているぐらいに」




 キューシーが言わんとすることは、メアリーにもわかる。


 アルカナ使いの攻撃ではないか――考えすぎかもしれないが、可能性は常に頭にとどめておくべきだろう。




「直前に何か起きたりはしなかった?」


「明かりが消えました、一瞬ですけど」


「だとすると……漏電で引火した? いや、ここは魔力も併用していたはずだから、電気が落ちても明かりが消えたりはしないはずよね」




 顎に手を当てて考え込むキューシー。


 だが、メアリーがこの廊下に出たとき、立っていたのは死んだ男性だけだった。


 視認せずに殺したのか。


 自動的に能力が発動したのか。


 はたまた、遠隔で監視していたのか。


 情報が少なすぎるため、“敵”の特定はおろか、存在の証明すら困難だ。




(これが誰かの攻撃なら、一人では終わらないはず。次が死んでくれたなら、確かめようもあるのですが)




 顎に手を当て、冷たく思考を巡らせるメアリー。


 すると、団員が死体を運び込んだ部屋からゴッ、と鈍い音が鳴った。


 遅れて、男の声が聞こえてくる。




「お前、大丈夫か? すごい音がしたぞ。おーい、返事しろよ! なあ、おいって!」


「気絶してる……?」


「このタイミングで勘弁してくれよ。ったく、医務室まで運ぶか」




 そんな会話が成されたあと、部屋から男が出てきた。


 また別の、ぐったりと意識を失った男を背負って。




「すいません団長、こいつ転んで気絶しちまったんで医務室に連れてきまーす」


「大丈夫なのか?」


「頭打ってたんで、何も無いといいんですけど――」




 苦笑する男に向かって、メアリーは抑揚のない声で言った。




「死んでますよ、その人」




 突然の指摘に、彼は思わず素っ頓狂な声をあげる。




「はぁ?」


「打ちどころが悪かったんでしょう」


「ま、待ってくれよ、そんな簡単に人が死ぬわけっ!」


「死にますよ、人間なんて簡単に」


「ふざけんなよ、そんなことっ!」




 食い下がる男。

 

 あまりに冷たくいいすぎた――とメアリーも反省して、一息挟み、落ち着いて彼に言い聞かせる。




「私は口論をしたいわけではありません。二人目の死者が出たのなら、これは偶然ではないと言いたいのです」


「どういうことだ、メアリー王女」

 

 

 

 メアリーは、声をかけてきたジェイサムのほうを向いて話を続けた。

 

 


「アルカナ使いの攻撃だと思います。今も敵は、私たちを殺そうと虎視眈々とこちらを狙っているはずです」




 その言葉に団員たちは、驚愕し、身構える。




「ご自慢の私兵部隊の情報管理はどうなっているんだ、キューシー」


「それをあぶり出すのも目的のうちよ」


「よく言う」


「本当だっての。思ったより直接的な手段に出てきた点については、少し驚いてはいるけど」




 軽口を叩きながらも、険しい目つきで周囲を観察するカラリアとキューシー。


 空気が一気に張り詰める。


 団員の中には、耐えきれず、パニックに陥るものもいた。




「ふ、ふざけんじゃねえ、なにがアルカナ使いだ! こんな場所で殺されてたまるもんかよ! 団長、武装の許可をくれ!」


「待て、動くんじゃない! いつ攻撃を受けるかわからないんだぞ!?」


「だったらあたしは一人でも銃を取りに行くッ!」




 キューシーに噛み付いていた女団員だ。


 彼女はジェイサムの制止も振り切り、武器庫へ向かって駆けてゆく。


 だがその道半ばで、彼女が通る廊下の壁に異変が起きた。


 金属の壁が突如として紙のように破れ、その尖った先端が、胸部を狙って動きだしたのだ。




「は――?」




 女は何が起きたのか理解できず、視線だけをそちらに向けて死を待つのみ。


 もはや偶然では片付けられない――明らかな魔術の行使。


 見殺しにはできない、とメアリーは手のひらを向ける。


 同時に、カラリアにアイコンタクトを送った。




(カラリアさん、彼女をッ!)




 頷くカラリア。放たれる骨弾。


 弾丸は剥がれた壁面に命中し、その軌道をそらす。


 尖った先端は女ではなく、向かいの壁を突き刺し、止まった。


 すかさず飛び出したカラリアが彼女の体を抱きとめ、前に転がり込む。


 直後、寸前まで二人がいた床が弾け、むき出しになったパイプから高温の蒸気が噴き出した。


 そのままカラリアは女を抱えたまま、廊下の向こう側へと駆け抜けていく。




「みなさん、見ての通りです。不用意に動かないでください、私にも全員を助けることは不可能です!」


「な、何だよっ、何が起きてんだよぉっ!」


「団長、どうしたらいいんですか!?」


「俺にもわからんが、今はメアリー王女に従え!」




 困惑が広まる中、キューシーは変わらず余裕のある表情だ。




「全員は助けられなくても、わたくしぐらいは守ってほしいわね」


「キューシーさん、どうして護衛を連れてこなかったんですか?」


「護身術には自信があるのよ」


「ふざけている場合じゃありません!」


「そうね、反省してるわ。でも今は、相手の能力を見極めるところから始めましょう。敵がアルカナ使いなら、能力には必ず何らかの“特徴”や“法則”があるはずよ」




 マグラートの『隠者』やメアリーの『死神』は、その名の通りの能力だった。


 何のアルカナなのかさえわかれば、この場を切り抜ける方法もわかるかもしれない。




(少なくとも、今回の敵は、私たちがこうして止まっている間は攻撃を仕掛けてきていません。きっと“条件”があるんです、力を使うための――)




 探るには、メアリーが囮になるのが一番だ。


 もっとも、相手の狙いがメアリー自身である以上、敵も“それを望んでいる”可能性が高いのだが。


 すると、カラリアが向かったのとは別の方角――その曲がり角の向こうから、かすかに、何かの“音楽”が聞こえてくる。


 何人かの団員も気づき、眉をひそめた。


 音がするほうに、皆の視線が向かう。


 角から現れたのは、ピエロのおもちゃだった。




「何か妙なのが出てきたわよ」




 白塗りの顔をした人形が、一輪車を漕ぎながら、陽気な音楽を鳴らしてこちらに近づいてくる。


 どう見ても、ただの子供向けのおもちゃ。


 しかし、この状況においてはあまりに不自然で、不気味だった。




「ねえメアリー、あれって、どういう意図かしらね」


「わかりません。ですが、明らかに罠です」


「壊す?」


「……それは」




 あの目立ち方、明らかに“壊して終わり”とは思えない。


 だが放置しても、それが良い結果に終わるかどうか――




「王女様、お願いします……あれ、壊してください……」




 一番近い位置にいる団員が、人形から避けるように壁に体を寄せて、弱々しく声をあげた。


 その間にも、ピエロは陽気にペダルを漕いで、首を左右に振りながら近づいてくる。




「お願いしますっ、私、死にたくありませぇんっ!」


「くっ――!」




 メアリーは歯を食いしばり、骨弾を射出する。


 弾丸はおもちゃに命中し、ピエロは粉々に砕け散る。


 その中から、キラキラと輝く物体が飛散した。




「ガラス玉……?」




 一見とれそうになるほどに鮮やかな、色とりどりの流星群。


 それが放物線を描き、団員の目の前に差し掛かる。


 メアリーは先ほど同様、すぐさま手のひらから骨片を放ち、それを撃ち落とそうとしたが――




(軌道が歪んだ? 当たらないッ!)




 不思議な力で捻じ曲げられ、止めることができない。




「……あれ?」




 団員の背後――壁が歪む。体が沈む。


 右半身が飲み込まれると、急に壁は元の硬さを取り戻して、ぶちゅっと骨肉を押しつぶした。


 血の花が咲き、残った左半身が、断面を晒して床に倒れ込む。




「あ……あ……あああぁっ……」




 ガラス玉は、続けてもう一人の団員へと到達。


 やはりその球体も、メアリーの攻撃を拒む。


 そして彼の足元にコロンと転がると、落とし穴にでも落ちたように、その体は胸まで“床の中”に落ちた。




「うああぁあっ!? やだ、やだあぁぁぁぁあああああッ! あぎゃがっ」




 そして閉じる・・・


 肉が弾ける音が鳴る。


 血が飛び散り大輪が咲く。

 

 上半身だけになった男は、わずかに残った命を振り絞り、仲間たちの方へと這いずる。

 

 

 

「た、たすけ……死にたくない……死に、たく……う……うぅ……っ」


 

 

 だが、それもそう長くは続かなかった。

 

 あまりに唐突な死に、団員たちの我慢は限界を迎える。




「や、ヤバいって、あんなので死にたくねえよッ!」


「そうだっ、俺らはドゥーガンと戦うために残ったんだ! これは違うだろうが!」




 叫び、一目散にその場から逃げ出す。




「待て、落ち着けお前たちいィッ!」




 ジェイサムの制止も虚しく、とにかく『この場から離れたい』と団員たちは走った。


 そして壁が爆ぜ、地面が隆起し、体が沈み、次々と犠牲になっていく。


 次々と命が失われ、さらにそれが混乱を広げていく。


 怒号と悲鳴が響く地獄で、ジェイサムは拳を壁に叩きつけた。




「クソおおぉぉおおおッ!」


「あれを壊すべきではなかった……?」


「誰も王女様のせいにはしねえよ、壊そうが壊すまいが!」


「そうよメアリー。それよりこちらにもあの玉が来てる、早く逃げるわよっ!」


「っ……わかりました。ジェイサムさんもこちらに!」


「いや、俺は団員たちを助けに向かう、王女様は自分が生き残ることを考えろッ!」




 ジェイサムは「うおぉぉおおおおおッ!」と雄叫びをあげながら、廊下を走っていく。


 他の団員同様、彼にも正体不明の殺意が襲いかかるが、その身体能力で強引に乗り越えるつもりのようだ。


 メアリーたちは説得を諦め、近くにある医務室に滑り込む。




「早くドアを閉めなさい、メアリー!」




 キューシーの呼びかけに、しかしメアリーは固まった。


 視線の先には、廊下の隅で、自分の体を抱きしめながらガタガタと震えるティニーの姿があった。




(さっきまで近くにいたはずなのに、どうしてあんな場所に!?)




 彼女の目の前には、ピエロから飛び出たガラス玉が迫っている。


 ――間に合うのか?


 メアリーの胸に渦巻く不安が、自分自身に問いかける。


 即座に結論を出すには、ティニーまでの距離は遠すぎた。


 だが優しい声がメアリーを導く。




『大丈夫、メアリーならできる。がんばれ!』




 それが幻聴かはともかく――愛おしい人フランシスの声を聞いて、メアリーの口角が釣り上がる。


 高揚する気持ちが、その心から迷いを消し去った。




「メアリー、どこ行くのよ!?」


「ティニーさんを助けます! せめてそれぐらいはッ!」




 キューシーは手を伸ばすが、すでにその背中は遠く――


 ティニーは駆け寄るメアリーの姿を、驚愕し見開いた瞳で見つめていた。



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