エピローグ

第38話 還る場所

 風呂場の前。

 ウロウロと、ガラルドは扉の前を左右に歩いては、時折耳をつけて中の様子に聞き耳を立てている。


「おのれ、小僧め」とか「あいつばかり良い目を見て」とか、ブツブツとつぶやいている。

「いやいや子供だ」とか「小僧でもわからん」とか独り言が絶えない。


 騎士団との会議から帰ってきたばかりのデュランとキサルがそれに気付いて、気味悪そうに廊下の角でUターンした。

 はちあわないように中庭を抜け、そっと台所にまわった。


 裏口から中に入り、居間兼食堂に向かう。

 食堂では警備に出た者の姿はなかったが、残った者がくつろぎながら談笑していたので問いかけた。


「なぁガラルドは一体どうしたんだ?」

 朝食をとっている時のご機嫌な顔を見て騎士団に出向いたので、非常に不可解だった。

 顔を見合わせたラルゴたちは一瞬沈黙したが、すぐに吹きだした。


「アレか? ミレーヌ様がな、小僧を磨いてんだ」

「ほら、呪具で繋いでるし、離れんからな」

「混浴がうらやましいんだとさ、あの熊も背中を流していただきたいらしいぞ」

「妬いてんだよ。帰って来たときに、サリ殿はガラルドの頭をなでただけなのに、オルランドの奴をお帰りとハグしたからな。あの熊、自分も抱っこされたかったようだぞ」


 着替えだって確かに男物ではあったが、レースやフリルのついたビラビラのおしゃれ着をミレーヌが嬉々として用意する姿を見てしまった。

 ガラルドはあまりの派手さに「そんなものをどうするんだ?」とちょっと引いていたようだが、それでも「服を見立ててやるのか」とうらやましがっていた。

 バカな奴だと爆笑するので、当然だとデュランとキサルも顔を見合わせた。


「いくらミレーヌ様でも、あんなでかい熊を風呂に入れて、着せ替え人形にして喜ばないさ」

「サリ殿が頭をなでてるだけでもメルヘンだぞ。充分甘やかしてもらってるのに、アホか」


 そう、福福しい猫がふくれっ面の熊をかまう図は、絵本から抜け出たようにほのぼのしているのに。

 それだけでは足りないなんて、自分の年齢を考えろとぼやく。


「小僧の方がしっかりしてたぞ」

「僕はフロぐらい一人で大丈夫だとか、お姉さんぐらいの女はもう知ってるからほっといてくれとか、無駄な抵抗をしていたな」

 ただ、ミレーヌは無敵の天然だった。

「知ってるならちょうどいいわね♪ と本物のアライグマになっちまった。ミレーヌ様は、何を知ってると勘違いしたんだろうなぁ?」


 実に謎だ。

 遠い眼をしているラクシに、キサルがその流れはいかんとダメ出しをした。


「よせ、不潔なお花畑だと知れたら、今後の計画もパァだ。とうぶん小僧には清純派のお子様でいてもらわなきゃいけないんだぞ」

 そっち方面について自宅で口にするのは厳禁だと眉をしかめる。

「大丈夫さ。ガラルドがアケスケに言いすぎて、下品な戯言と勝手に信じてくださるさ」


 クックッとラルゴが肩を揺らした。

 ダテに扉に張り付いている訳ではない。

 ガラルドはどこまでいってもガラルドなのだ。

 ほら見ろ、と視線を扉に向けた。

 三人が帰ってきた。


「本当に大丈夫だったか?」

「どこまでバカなんですの!」


 付きまとうガラルドを、ミレーヌが邪険にしていた。


 死神の経歴を知っている者からすれば当然の心配だが、この場合ガラルドの味方をする気にはなれなかった。

 確かにバカとしか言いようがない。


 間に挟まれたオルランドは、悪魔に大切な何かを全て売り渡したような、生気の薄い表情になっていた。

 王都で流行している貴族風のフリルやレースのついたシャツに、細やかな刺繍が襟元や袖口に入ったおしゃれ着を着せられていた。

 まるで王子様人形である。

 幸いなことに派手な顔立ちなので、似合っていたから「お!」と声が上がった。


「ずいぶん見れるようになったじゃないか!」

「いいねぇ王宮でも引けを取らん派手な顔だから、どこにでも連れて行けそうだ」


 チラッと視線を向けたがオルランドは何も言わなかった。

 無言の抵抗である。

 だが、最低だ、と思っているのがわかる表情だった。

 そんなことにはおかまいなしに、ミレーヌはルンルン♪ としていた。


「本当に素敵でしょう? 目鼻立ちがハッキリしているとは思ってましたけど、役者さんよりも綺麗ですの! この藍色の瞳と髪の色のコントラストが神秘的ですわ。なんていい出来かしら」

「オルランドは嫌がるけどお湯で洗ったからピカピカだわ」と、ミレーヌはご満悦である。


「最低だ。水浴びに、湯を使うなんて」


 ボソッともらす。

 ずっと川や泉を利用していたので、湯の風呂は熱くてのぼせてしまった。


 それに派手な顔立ちも、どこの国の人間ともわからない多国籍の混在した髪や肌の色も孤独の象徴で、穢れた存在の証拠でしかないので、どれほど美麗だと褒められても大嫌いなのだ。


 自分のルーツを探したこともあったのだ。

 想像そのままで、戦争で異国からの侵略を受けた際の、どさくさに紛れた副産物だった。

 だからまともな親など存在していなかったし、この世に望まれて生まれた訳ではないと思い知っただけだった。


 それなのに、ミレーヌだけではなくここにいる全員が、利害関係抜きでもオルランドを歓迎しているのがわかって、居心地が悪かった。


 まぁミレーヌは弟という名のおもちゃを得たようなノリだし、双剣持ちも次代を育てたいだけなのだろうけれど。

 ウェルカム状態は非常に気持ちが悪い。


「大丈夫ですわよ。冬は特に気持ちがよくなりますし、すぐにお湯にもなれますわ」

 他にもおしゃれ着を取り寄せなくてはと声が弾んでいるので、オルランドは蒼白になった。


「いいかげんにしてくれよ! こんな服、動きにくいし! ねぇ! それにこの首輪、外せよ。まさか、夜も一緒なんて言わないよな!」

「まぁ! 弟と夢の添い寝♪」

 うっとりしているミレーヌに、オルランドは悲鳴を上げた。

「嫌だって言ってるだろ! ちょっとは聞けよ!」


 ずっと生きたお人形遊びに付き合わされるなんて、勘弁してほしい。

 遊び手ならまだしも、人形役は最低だった。


「僕だって、もう十三歳なんだ。お姉さん、少しは貞操の心配したらどうなの!」

「嫌ですわ、わたくしは襲いませんわよ」

「だから違うって!」

 叫んだ後でオルランドは、窓際で揺りイスで揺れているサリを呼んだ。

「ばあちゃん! あんたの孫なんだから、少しは世間の常識を教えてやれよ!」

「ハイハイさっぱりしてよかったねぇ」


「綺麗になった」とのどかに笑われて、そういや耳が悪いんだったとオルランドは肩を落とした。

 会話を聞いているようで、聞こえていない。


 双剣の使徒からもしものときは手堅く守ってくれるミレーヌだが、ミレーヌから自分を守る術などオルランドには何一つなかった。

 嫌だぁ! と頭を抱える姿を、おいでおいでとサリが手招いた。


「ほらほら、髪を乾かさないと風邪をひくよ」

 ふいてあげようと笑うので、キッとオルランドは眼差しをとがらせた。

「自分でできるから! 子供扱いしないでくれよ」


 プンプンと怒りながら、どうにでもなれとつぶやきつつタオルで自分の頭をかきまわす。

 まぁ! とミレーヌが櫛で髪をとかそうとするのを、いらないから! と邪険に断った。


 その様子を全員が爆笑して見ていたが、ガラルドだけは睨みつけていた。

「おのれ、小僧。ミレーヌだけでなく、サリにまでちょっかいをかける気だな」

 あれこれと世話を焼かれている図が非常に面白くない。


 クウッとガラルドが呻いた時、サリが言った。

「おやおや、子供を育ててみるのは、足りない子にはちょうどいいねぇ。この子は欠けた子だから、あんたとは気が合うだろうよ」


 はて? とガラルドの顔色が変わった。

 サリの言葉は、ここのところ絶対である。

 耳を傾けておけば、事態が悪く転がらなくてお得だった。


「ちょうどいいのか? 生意気そうなのに?」

 うのみにしているガラルドの顔に、オルランドは悲鳴を上げた。

「いいわけないだろ? よしてくれ!」


 これから先、自由が欠片もないだけでなく、ガラルドに振り回される一生なんて嫌すぎる。

 財布や時計扱いになるなら関係がギスギスするのも嫌だが、ピッタリ寄りそって四六時中ガラルドと一緒にいるのはもっと嫌だった。


 ガラルドに縛り付けられるぐらいなら、ミレーヌにいじられるほうがマシだ。

 単純で乗せやすいし、面倒な情勢に巻き込まれることがない。

「僕はお姉さんと一緒でかまわないから!」


 まぁ! とミレーヌは喜んだが、当のガラルドはまったく聞いていなかった。

 サリはニコニコと笑って、子育てすると辛抱も覚えられるからいいねぇと鷹揚に微笑んで、何やら言い聞かせている。


「ああ、あの子はお前さんに似ているところもあるしねぇ。側に置くにはおあつらえだよ?育てるのはなんでも大変だけど、できるかい?」


 ムゥッとガラルドはうなっている。

 生意気な小僧でも、しょせんは死神。人としても剣持ちとしても中途半端な育ちなので、子育てには責任があると言われると躊躇する。


「まぁまぁ、サリ殿は子育ての経験者だ。迷ったら聞けよ。どっちにしろ、小僧に流派のことを教えられるのは、奥義継承者のあんただけだ」

「その小僧、見よう見まねで飛燕剣舞、片手で出しやがった。早めに正しい技、教えてやれよ」


「本当か!」

 ガラルドは眼をきらめかせた。


「こんな性質の悪い冗談は言わんぞ?」

「そうか。飛燕剣舞ができるなら、話が早い」


 育て方次第では、それこそ最終奥義だって覚えるかもしれない。

 なにしろ最終奥義は難易度が高すぎて、ここにいる東流派の要たちだって完璧にマスターしていなかった。

 後世に技を継承し続けるためには、一子相伝なんて生ぬるいことを言っていられない。

 流派の担い手が危機感を持って全力を尽くし挑んでいるのに、二人目が現われない。


 現在の奥義継承者はガラルドただ一人だけだった。

 ガラルドにもしものことがあれば、最終奥義の継承が途切れてしまうのだ。


 だから、ガラルドはコロッと機嫌をよくした。

 見込みのある人間は大好きだった。


 次いで、オルランドの今後の扱いも報告する。

 今はガラルドの財布の名目で現場にも出して、成人したら副隊長に格上げする話もサクサクと提案され、それはいいと喜んだ。


 確かに魔物を集める手際も見事で、頭の使い方も無駄がないし回転も早くてこいつは拾い物だと、あっという間に絶好調に変わった。

 フフン♪ と笑って腕を組む。


「なんだ、ずいぶんと使える小僧だな。金が足りなくなったら、小僧に工面させればいいしな。この先は金にも困らん」

「そうそう、いくらでも使えるだろう?」

「ふぅん、実に便利な小僧だ」


 オルランドは蒼白になった。

 ミレーヌよりも、ガラルドは苦手な相手になりそうだった。

 長で英雄のくせに周りの言葉にのせられて、ホイホイとうなずく単純さはまずい気がした。

 嫌な方向へとドンドンと話が進んでいる。


 ちなみに。

 便利だとか、金の工面とか、公然と会話に出るのにも理由があった。

 今回の大量の魔物盗伐と野盗の捕獲の報奨金が高額だったおかげで、黒熊隊の今月の赤字補填も完ぺきだったのだ。


 流派として出動するよりも、ギルドの仕事を消化すれば高額の報奨金が手に入る。

 自分たちが事件発生には一切かかわっていない顔をして、討伐の完了を騎士団や警備隊の承認付きで報告できるなど、めったにないことだった。


 もちろん、カッシュ砦を無傷で奪還したので、国王からも多額の礼金が手に入った。

 ガラルドが出ると聞いて内心では保全は諦めていたのに、無傷だったので国王も気前がよかった。


 結果的に。

 ミレーヌの大掃除によって被った被害額を補って余りある大金が、この一晩だけで手に入ったのである。


 懐もすっかり潤って、全員が安堵の表情を浮かべていた。

 これからも赤字になったら、裏から手を回して儲けてくれよ~なんて。

 オルランドを見る目が、期待に満ちているのも当然なのだった。

 当然だが、オルランドだけは蒼白になっていた。


「僕は人間だ。財布なんて冗談じゃない! それに未成年だよ!」

 一生ただ働きで、せこせこお金の工面に走り回るのかと、ザーッと全身から血の気が引いた。

 絶対に嫌だと無駄な抵抗をしてみたが、ガラルド自身に一蹴された。


「俺が財布だと言えばジャスティだって財布だと認める。歳のことなら気にするな」


 国王の前にも引き出す気なのかと、オルランドは顔をひきつらせる。

 高貴な方々は大嫌いだった。

 愛想よく王様と会話をするなどとんでもない。


 それに、流派代表のガラルドに俺の財布だなんて引っ張り出され、外交の場でもずっと付き添うなど非常に迷惑だった。

 だけど既に決定事項のように、将来も安泰で良かったと全員がうなずき合っている。


 安泰だって!


 声にならない悲鳴を上げるしかない。

 立場や役職をくっつけられただけで、一生東流派に縛られるだけなのに。


 飼い殺し。

 それが一番ぴったりくる状況説明だろう。


 遠くからちらっと噂の英雄を見て楽しむだけのつもりが、とんでもないことになってきた。

 厄介な者に手を出したと、いまさらながら後悔しても遅かった。


「よし、小僧! お前が大人になるまで俺が直々に鍛えてやる。まずは遊ぶところから始めればいいんだろう? 道場に行くぞ!」


 ガラルドはすでにやる気満々である。

 鍛えると育てるは天と地ほどの差があったが、大雑把なガラルドは同意義としてとらえていた。


 フンッとオルランドの首輪にある綱を外し、何やら小さく呟いた。

 フンフン♪ と鼻歌交じりでミレーヌの手にある腕輪にも触れる。

 呪具もないのにあっさり外して綱を千切り、ガラルドは腕輪部分を自分の左手に巻いた。


「行ってくる」

 とりあえず言い残して、ガラルドはさっさと扉に向かって進んでいた。

「嫌だ!」と叫んだが、グンッと身体が前に引かれて、オルランドは悲鳴を上げた。

 綱もなにもないのに、ガラルドから一定の距離以上は離れられない。


 それがガラルドの施した呪だとわかった時には、既に道場へと向かっていた。

 足をふんばるが、ズルズルと引きずられている。


「遊べば必ず子供は懐くはずだしな。小僧、俺がたくさん遊んでやるから感謝しろ」

「なんか間違ってるぞ、それ!」

「細かいことは気にするな。男は木刀を振れてようやく半人前だ。真剣を持てば一人前だ」

「僕はもう、剣を持ってるって!」

「一振りより二振りの方が便利に決まっている。遠慮するな。双剣ならば俺に任せておけ」

「少しは聞けよ! 双剣なんて、僕はいらない!」

「遠慮するな、俺が教えたらすぐ覚える」

「遠慮じゃないって言ってるだろっ!」


 噛み合っていないようで、いいリズムで二人は言葉の応酬をしていた。

 どうやら相性がいいらしい。

 仲良しの会話が成立して素晴らしいと、皆が笑顔で手をふった。


「頑張ってくださいよ、お父さん」

 デュランの台詞に、扉を出たばかりのガラルドの背がグラリと揺れた。

「お父さんはよせ。そんな歳じゃないぞ」

 俺は二十五歳で小僧は十三歳だと、立ち止まって真剣に否定する。


 クックッと全員が肩を揺らして笑いだした。

 ムキになるガラルドをいじるのは面白い。

 サガンが頭の後ろで手を組んだまま、シレッと言った。


「あんたならわからんじゃないか」

「そういや、似てるぞ。髪の色まで同じだから、本当は隠し子だろう?」

「確かに! 似すぎていて怖いな」

「似てないところを探してみるか?」

「よせよせ、探すだけムダだ」


 全員に「そっくりだ!」とからかわれて、真に受けたミレーヌが思い切り軽蔑の視線を向けた。

 その冷たい視線に、ガラルドはうろたえてしまう。


「おい、俺はそんな失敗など一度も……」

「一度も……? 心当たりがありますのね?」


 低い声でミレーヌが聞き返した。

 ガーンとガラルドはショックを受けた。

 心当たりなどないが、どうも風向きが悪い。


「おやおや~なにが一度もないんですか?」

「聞くだけ野暮だぞ、失敗してないらしいから」

「へぇぇ~そりゃ大したもんだ」

「案外、気がついてないだけかもな」


「うるさい! とにかく小僧と遊んでくる」

 少しはガラルドも学習していたので、バシッと会話を打ち切った。


 あおり立てる声にのせられたら、ありもしない隠し子疑惑が確定してしまう。

 こんな時に有効な行動は、古今東西、ただ一つ。

 逃げるが勝ちだ。

 クルリと背を向ける。


 暇つぶしの軽口に乗せられて、もっとミレーヌに軽蔑されるセリフを吐くところだったとあせりながら、ガラルドはそそくさと早足で逃げる。

 顔色が悪いので、更に怪しまれるなんてことは自覚していない。

「もうすでに遅いですわよ」と口の中でうめいて、ミレーヌは声をとがらせる。


「なんですの? 大切な話が途中ですわよ! ガラルド様! 一体どれだけの心当たりがありますの!」

「ないない! 一つもない! 気にするな!」

「ないなら逃げる必要はありませんでしょう!」


 ミレーヌが長いワンピースのすそをからげてその背中を追うと、ガラルドが速度を上げて遁走する。


 ウワァっとオルランドは悲鳴を上げた。

 圧倒的にガラルドの力が強いので、引きずられてしまう。


「誰か助けて!」

 叫び声をあげながら、オルランドは二人に挟まれたままの状態で引っ張られた。

 犬も食わないケンカに巻き込まれるのはごめんだった。

 しかも、フライパンを持つミレーヌは脅威なのだ。


 なのに、強い呪によってつながっているから逃げられない。

 今まで他人を翻弄するばかりだった死神も、英雄相手には無力なお子様でしかなかった。


「お待ちなさい!」

 ミレーヌがその後を走って追いかけていく。

「隠し子がいるなら引き取りなさい!」とか「いないと言っているだろうが、そんなものは!」などとムキになって言い合う声が、「助けてぇぇぇ」という悲鳴を引き連れて、しだいに遠ざかっていく。

 声の感じからとりあえず馬場や中庭など、家の敷地内を走り回っているようだった。


 残された者は顔を見合わせた後で、一斉に笑いだした。

 カッシュ要塞から早朝に帰宅したばかりなのに、剣豪のガラルドを追い回す元気があるなんて、ミレーヌもタフな女性である。


「もう大丈夫だよ。時間はかかってもあの子たちは、お互いにないものの補い方だって覚えていけるさ」


 きっと、かけ離れた他人との能力に振り回されることなく、当たり前の人とも協調して生きていける。

 ユラユラ揺れているサリの台詞に、素晴らしい日になったとそろって笑った。


「俺たちに足りないものを、サリ殿もミレーヌ様も持っているからな」

「あんたたち二人は還る場所に相応しい」

「まさか王都で還る場所を見つけるとは」

「それも俺たち全員で共有か?」

「まぁな。めったにないことだが、別にいいさ」


「あらあら。こんなおばあちゃんで悪いねぇ」

「いい女に年齢は関係ないさ」と笑い声がはじけた。


「なぁサリ殿。ミレーヌ様にはしばらく黙っておいてくれないか?」

「俺たちの還る場所だなんて、言えるもんか」

「説明したって、気にしない子だけどねぇ」

「まぁな。でも照れ臭いじゃないか。嫁さんでもない女に、口にする台詞じゃないさ」

 そうだそうだと、そろって笑った。


 サリとミレーヌが、今の還るべき場所だった。

 自分たちの帰りを待つ人が存在する限り、困難が起きても大切な人に再び会いたいと強く願い、生きて帰ると誓って剣を振るう。

 例え災禍で館を失ったとしても、おかえりと迎えてくれる者のためであれば、幾度となく立ち上がり、恐れることなく前へと進むだろう。


 自らの命と魂をかけるに値する存在のことを、流派の使徒は「還る場所」と呼ぶのだ。


 ここにいる全員が知っていた。

 穏やかな時間は永遠に続かない。

 だからこそ流派が生まれ、連綿と長きに渡り継続されてきたのだ。


 それでも、今この時。

 午後の時間には、笑い声が満ちていた。




【  英雄のしつけかた   Fin  】

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