第36話 英雄のしつけかた

 ビシッとフライパンを突きつけられて、ガラルドは一歩後ろに下がった。

 ちょっと腰が引けている。


 魔物や悪党が相手ならともかく、ミレーヌの相手はどうも分が悪い。

 ジリジリとミレーヌが距離を詰めるので、そろそろと後ずさる。


「だから! 前にも言っただろうが! それなりに理由もあるからいいんだ」

「そんなこと理由になりません! 二度とオムレツを食べられなくてもかまわないんですね?」


 事前にキサルから事情を聞いているので、ミレーヌも本気である。

 言葉だけで止まらないのはわかっているので、帰宅を促しながらフライパンを掲げる。ここで止めなければ困るのはガラルドではなく、現在活躍している使徒たちと流派の未来だと信じていた。


 ウウッと思い切りショックを受けた顔で、更にガラルドはひるんだ。

 オムレツ停止も厳しいが、ミレーヌを前にするとなぜか身体がうまく動かなくなる。

 どうぞどうぞと頭を差し出したくなるのが困りものだ。

 それでも胸を張った。


「それとこれとは別問題だ。俺の仕事と、オムレツを並べるなど卑怯だぞ。関係ないだろう!」

「ありますわよ! このスットコドッコイ!」


 エイッとふり下ろしたフライパンを、ガラルドはかいくぐる。

 実力に雲泥の差があるので、よく見ればフライパンぐらい避けることはたやすい。


 ガラルドは悩んだ。

 要塞の破壊か、ミレーヌからの逃走か。

 どちらの行動をとっても、後が面倒くさくなりそうだった。


「オルランド!」


 ミレーヌが叫ぶと同時に、オルランドはつい足払いをかけてしまった。

 黒熊隊の要たちとさほど変わりない能力を秘めているから、子供の身でも「死神」なんて呼ばれているのだ。


 ガラルド自身、双剣持ちはそれぞれ油断ならないと警戒していたが、腕はたってもほんの子供だとオルランドのことを侮っていた。

 ステンと見事に転がったのも当然だろう。


 オルランドはオルランドで、ハッとした。

 つい、ミレーヌの言葉通りに動いてしまった。

 これじゃ本当にお姉さんの犬だとオルランドは苦悩したが、続けて目の前で繰り広げられたありえない光景にポカンとする。


 モロに足払いにかかって倒れたガラルドに、ミレーヌは馬乗りになっていた。

 あおむけに転がったガラルドめがけて、ガンガンとフライパンを振り下ろし連打している。

 容赦など欠片もない。


「本当に、どこまであなたって人はバカなの!」

 怒涛のように説教を始める。

「他の方々の苦労を考えたことがありまして? だいたい、この建物は文化財だって言ってるでしょう! それに、この中には鶏も豚もヤギも馬もいますわ! 近隣から盗まれた物もたくさんありますのよ! それを建物ごと吹っ飛ばすだなんて、どこまで大雑把なスットコドッコイなの!」


「よせ! 危ないだろうが!」

「刃を素手でつかめるほどの人が、いまさら何を寝ぼけたことを! 剣だって気で跳ね返せるだなんて、いつも自慢してるでしょう!」


 お前だけは例外だ! なんていうものだから、さらにカッとする。

 ちゃんと手甲や胸当てといった防具を装備しているから、ミレーヌはなおさら腹をたてた。


 なにせ偉大な英雄様である。

 その辺の夜盗に剣で刺されても折れるのは剣だし、魔物にかじられたって牙が刺さらないと、今では知っている。

 知ってはいるけど心配なのも確かだが、剣や魔物の牙が蚊に刺された程度にしか感じないのだから、フライパンなど猫の肉球程度のダメージしかないはずだ。

 だから、スットボケタ言い訳をしないでと、ミレーヌはガンガンと叩きつける手を緩めなかった。

 フライパンを叩きつけているうちに色々と日常の出来事まで思い出されてしまい、本当に腹が立って仕方なかったので、プチッと怒りで切れてしまう。


「誰だ! フライパンを持ってきた奴は!」


 ガラルドは叫び声をあげて、鋼の手甲で必死に防御する。

 ミレーヌの一般人らしいなんてことない打撃のはずが、ハンマーのように重く感じる。

 すでに気迫で負けているので、当らなくてはと身体が勝手に勘違いするのだ。

 だから、フライパンを防ぐのはかなり大変だった。


 地味に見えても英雄使用の装備は色々な呪を施された特別製で、ガーゴイルに体当たりを喰らっても生身に影響がないとミレーヌは聞いていた。

 痛がっている演技までするなんて、本当にどうしようもない人だと思えば、打撃も加速する。


 ミレーヌ自分自身はそういうモノに影響を受けない、かなり特異な存在だと自覚がなかったから、手加減なんて考えてなかった。

 はじめからミレーヌは演技だと勘違いしていたので、真実の悲鳴だと知らないのはいささか罪かもしれない。


 鬼気迫るその様子に、オルランドはさすがに悲鳴を上げた。

 首輪に繋がってビュンビュンと揺れる綱を両手で押さえる。

 後ろに下がりたいが綱が短すぎて離れることができず、目の前で繰り広げられる一方的な攻撃を間近で見た。


 本能的にミレーヌには敵わないと感じていたせいで、剣での攻防など比べ物にならない恐ろしさがある。

「誰か助けて!」と叫んだけれど、助けが来るはずもなかった。


「だいたい、わたくしの顔を見れば結婚しろ結婚しろとうるさいくせに、大丈夫かの一言もないなんて! あなたの真心はどこですの!」


 そこが一番信じられないと、ミレーヌはひどく憤慨していた。

 少しは見直しても、人の情がない行動にはつくづく愛想が尽きる。


 とにかく怒涛のような文句のオンパレードだ。

 一つしかないフライパンだったが、隙間なく打ち降ろされて、両手で防いでいるはずなのに流し切れず、ガラルドは生まれて初めて悲鳴を上げた。


「わかった! 俺が悪かった! 見ただけで無事だとわかったんだ! 本当だ!」

「無事なら気遣いもないんですか!」


 許してくれ! と本気で謝った。

 気持ちがこもっていません! とミレーヌは憤慨している。


「大将が謝ったぞ」

 珍しい現象だと黒熊隊の五人は視線を交わし合った。

 もちろん、とっくに惨劇からは後退している。

 ここまでミレーヌが奮闘するとは思っていなかったから、少々悩ましい表情である。


 ガラルドの言い分も、実は理解できるのだ。

 国や立場など面倒なことを考えなければ、本当に更地にしてきれいに吹き飛ばしておけば、自分たちの子孫もどんなに楽だろうと思ってしまう。

 簡単に野盗に利用されるような砦なんて、単純に考えても無いほうがいい。

 古代遺跡でもないし、壊しておけば誰にも悪用されないのは確かだし。

 歴史がある貴重な建物だけど利用価値がないのだから、保護するのは莫大な国庫負担を考えるとただの無駄である。


 それでも、それは流派と国の思考の差だ。

 国にとって利点があるからこそ、国王が砦の保存を決めたのだから。

 立場が変われば利用価値も変わる。

 ただそれだけだ。


 ずっとそりの合わなかった国家との協調を図ろうと歩み寄りをはじめ、王都に居を構えたこのタイミングで、文化財を破壊するわけにはいかない。

 壊すなら壊すで、タイミングが重要なのだ。


 ジャスティ王は理解があるが、国の重鎮は流派を快く思っていない。

 それにガラルドは英雄像が先行しているので、今の時期に派手な破壊行動はできるだけ慎むべきだったりする。


 まぁ、そんなこんなで今回はガラルドを止めていたのだ。


 それにしても。

 遠慮などかけらもなく、ボコボコにされている。

 防具があっても生身にかなりダメージが蓄積されていそうだ。


 なんだか直視できず、遠巻きにするしかない。

 心の中で、ガラルドのために合掌した。

 ちょっとだけミレーヌの憤慨の理由を意外だとは思っていた。


「わたくしの顔を見ても、砦を壊すことばかり考えるなんて! どれだけあなたは情のない、スットコドッコイなの!」


 へぇ~と思うしかない。

 ミレーヌ様は、ガラルドの心配や真心が欲しかったんだ。

 期待するだけ無駄なのに、乙女心とは実に不思議である。


 そういう細やかな気遣いができる奴ではない。

 そんなことはここにいる誰もが知っていたが、これでガラルドも少しは身に染みるだろうと目をそらしていた。

 けしかけたのは自分たちだが、かすかに心が痛む。


 でも、いい機会なので、徹底的にやっていただくのは大歓迎だ。

 うん、そう思おう。


 それにしても、手加減がない。

 目をそらしても、ガンガンと鋼の打撃音が連続している。

 自分たちでフライパンを渡したものの気の毒に思ってしまうほど、ミレーヌの攻撃は見事すぎて近寄ることもできなかった。


 なにより勢いが恐ろしくて、止めに入る勇気がない。

 この二人、付き合ってもいない癖に、かけ合いが犬も食わない夫婦げんかみたいだ。

 うまくはまりすぎて止める気にもならないが。


 絵にかいたようなカカァ天下で、お二人さんお似合いですよ~なんて。

 口が裂けても本人たちに伝えられないのが残念だった。


 それにしても、ミレーヌの文句はつきることがないと感心するばかりだ。

 なぜか裸で家の中をウロウロするのはやめろとか、いろんなガラルドの問題行動にまで説教が飛びまわっている。

 無敵の剣豪も形無しのあり様である。


 そろそろキリをつけなくては騎士団がやってくるのになぁと思い始めたころ。

 ミレーヌの声が響いた。


「この建物を保護しますか!」


 おお! 本題を忘れていなかった、とその台詞に皆で感心した。

 日常の不具合にまで話が飛んでいたので、忘れているのかと思っていた。


「すればいいんだろうが!」

 やけくそでガラルドは叫ぶ。

「まだ仕置きが足りませんか!」

 ガツンと勢いよくフライパンがふり降ろされた。


「まだそんな口の利き方を! 他の方々にどれだけ迷惑をかけたかも、わかってないでしょう!」

「よせ! 悪かった! 次からはちゃんと相談して、皆の意見を聞くようにするから、やめろ!」

 とうとうガラルドはすまんと謝っただけでなく「剣に誓って!」と誓約まで口にした。


「次からですって! 生ぬるいことを!」

「まだわからないんですの!」と再びガツンとやられて、ガラルドはやめてくれ! と悲鳴を上げた。


「わかった、今からだ! 今から!」

 誰か助けてくれと、とうとう泣きが入った。


「このまま王都に帰りますか!」

「帰る!」

 気持ちいい程きっぱりした即答だった。


「わかればいいんです、わかれば」


 ふうっと息をついてミレーヌは立ち上がった。

 ガラルドは良くも悪くも有言実行である。

 きっぱりと宣言した言葉を、ひるがえすことはない。


 自分の役割を全うし、ミレーヌは爽やかな笑顔を浮かべた。

 日常の鬱憤をすべて吹き飛ばした気がする。

 実に爽快な気分だった。

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