第35話 これから本番?

「足元に気をつけて」


 そんな注意をするキサルの背中を、ミレーヌは追った。

 もっと早足で進みたいけれど、戦闘の余波で足元が悪い。

 魔物の死体などが至る所に残っていて、通るべき道はちゃんとできていたがさすがにビクビクしてしまう。


 ミレーヌは知らず知らずのうちに、グッとフライパンを握りしめていた。

 やはり持ち慣れた物を手にしていると、心が落ち着いてくる。

 それでも、ヒュウッと風が耳元をすぎるたびに、ヒッと小さな声を上げた。

 生臭いにおいが混じっているし、視界に死体があふれているから気味が悪いのだ。


「人並みに恐いの?」

 不思議そうにオルランドが問いかけた。

「当たり前ですわよ」

 ミレーヌは口をとがらせる。

 文句が続きそうな気配に気づいて、オルランドはその辺に転がっている死体を指差した。


「あ、動いた」

 キャーッと叫び声をあげて、ミレーヌはオルランドに飛びついた。

 首輪のせいでよけ損ねて、ガッチリとホールドされてオルランドはあせってしまう。


 ジタバタしてもなぜか腕を外せない。

 それどころか、身長差から大きな胸に顔を押し付けられて、窒息しそうになる。

 殺人的なやわらかさが豊満に呼吸を阻害してくる。


 死ぬと騒いだが、声がくぐもった。

 腕を突っ張ったが力が抜けて拘束が強まるばかりで、ふかふかの胸に埋もれて息がまともにできない。

 耳元でキャ~キャ~と甲高い悲鳴まで聞く羽目になって、からかうのはやめときゃよかったと非常に後悔したけれど遅かった。


「遊んでいる時間はないんだけどね」


 笑いをふくんだキサルの声にやっと腕が離れて、プハッと大きく息をついた。

 危うく酸欠になって、別世界に足を踏み入れるところだった。

 こんな苦しい目に会うのは生まれて初めてだ。

 ゼェゼェと息をつきながら青ざめているオルランドの頭を、涙目になったミレーヌがコツンと軽く小突いた。


「もぅ、いたずらはよして下さいな」

 叩かれた頭を、恐ろしげに押さえるしかない。

 慣れ合いはごめんなのでよけるつもりだったのに、オルランドの体は動かなかった。


 このお姉さん、非常にやばいぞ。


 変だ変だとずっと思っていたが、普通に見えても何かが違っている。

 つい、目が座ってしまった。

 古い血は身体能力以外にも出てくるのだ。


 妙な力がありそうだといまさら警戒を始めたが、探ってもまったくそんな特異性のある古い血は感じない。

 こんなことは初めてなので気持ち悪かった。

 本当にどうしようもない! なんてプンプンしているミレーヌを、上目遣いで見た。いわゆる負け惜しみである。


「お姉さん、僕が動けないと困ると思わない? 気安く触らないでよ」

 そんなふうに毒づいたが、ミレーヌはキョトンとする。

「あら、キサルがいますもの」


 オルランドは黙った。

 確かにそうだけど、逃げることもできないのは問題があると思うのだが。

 からかわれている訳ではなく、本気なのが怖い。

 キサルは「お任せを」なんて大笑いしている。

 愉快でたまらないと思っているのが、表情でまるわかりだ。

 この状況は理不尽だと頬を膨らませるしかことしかできない。

 二人とも会話が通じない相手だと感じて、オルランドは無言になりおとなしくついて歩いた。


 中庭のど真ん中には、荷物のように昏倒した野盗たちが積み上げられていた。

 山積みになった人の周囲は符で囲まれている。

 その横を三人はすり抜ける。


「まぁ! たくさんいたのね」

 ミレーヌは素直に驚いていた。

 雑に集められていてもほとんどが無傷で意識を失っているとわかり、オルランドはム~とうなった。


 野盗たちは魔物に対抗する力がまるでなかったのに、どうやってケガもさせずに保護したのだろう?


 人命保護に動いていたのは、一人だけだった気がする。

 たった三人で、この厄介な要塞を陥落し、野盗集団を捕獲するとは。


 黒熊隊の手腕を見ることなく、ワクワクしながらガラルドだけ観察していたことが悔やまれる。

 つい英雄に集中してしまったけれど、他の連中の実力も凄まじく、どれほどの強さか想像がつかない。

 流派を甘く見ていたと身に染みた。


 無口になったオルランドを、面白そうにキサルは見たが何も言わなかった。

 クックッと肩で笑っただけだ。


 吊り橋までは、誰にも会わなかった。

 要塞に出入りするための吊り橋に到着すると、ガラルドとそれを囲む四人がもめていた。


 外にいたデュラン達だけでなく、建物の中にいたラクシも合流して、ガラルドと言いあっていた。

 内容は聞こえなかったが、キサルはため息をついて、ミレーヌは眉をひそめた。

 どうせ要塞を壊す壊さないで、ゴチャゴチャしているに違いない。


「待たせた」

 明るいキサルの声に、ガラルドを足止めしていた四人が手を挙げて応える。

 ミレーヌの姿を認め、全員の目が期待に輝いた。


「おお、待ってたぞ」

「ミレーヌ様、ご無事ですか?」

「ずいぶん目立ってたが、怪我はないかい?」

「迎えに来るのが遅くなってしまったね」

 そのセリフに、ガッツポーズでミレーヌは応える。

「平気ですわ。ケガもありませんの」


 その生気のある表情に、全員がはじけるように笑いだした。

 元気だろうと予想はしていたものの、ここまでハツラツとしているとはさすがだ。

 普通ならば、あんなところに吊るされただけで涙にくれて、失神してもおかしくないのに。

 気丈な朗らかさは好ましかった。


「ミレーヌ様は想像以上にいい女だ」

「実に立派で素晴らしい」

 そんなふうに笑いながらも、チラ、と流派の要らしい厳しい視線が少年に移る。


 オルランドはサッとミレーヌの背中に隠れた。

 ミレーヌもいるせいか表情は温和そうに見せかけていても、目がカケラも笑っていなかったので冷や汗が出た。

 どんなにうまく取り繕っても、子供のいたずらで収めてくれない気がする。


 やばいぞ、あとで相当ボコボコにやられそうだ。

 自分の辿る運命を予想して、スーッと血の気が引いていくのがわかった。


「まぁ、なんてかわいい! そんなに恥ずかしがらなくても大丈夫ですわ。ガラルド様以外は、いい見本になってくださるはずだもの」

 照れていますのねと、何をどう勘違いしたのかコロコロとミレーヌは笑いだす。


 その台詞に、一瞬だけ沈黙が落ちた。

 しかし、すぐに大爆笑が起こる。


「そうかそうか、恥かしいのか!」

「小僧は照れ屋さんだ」

「まだまだお子様だってことだな」


 バカにされているとわかり、オルランドは赤面した。

 ただ、お姉さんのバカ野郎! と思いながらも、この先はやばくなったらミレーヌに保護してもらおうと決めた。

 なんだかんだ言いつつ、こいつら全員ミレーヌには甘いと確信する。


 ウェルカム、大いなる勘違い。

 このコロコロした背中に隠れていれば、痛い目にあわされることはない。

 オルランドはここではじめて、ミレーヌに懐かれて良かったと思った。


 そんな中、奇妙な現実を認識している男が、たった一人いた。

 ガラルドである。


「どうでもいいが、なんだ、それは?」

 恐ろしげにフライパンを見つめていた。


「これですか? わたくしの精神安定剤ですの」

 ホホとミレーヌは笑顔で応えた。

 柄の部分を握りしめ、思わせぶりにかかげる。

「ガラルド様のお仕事は終わりでしょう? わたくしと一緒に王都まで帰りませんこと?」


 ムゥとガラルドはうなった。

 ミレーヌは笑顔でいるが、何やら妙に落ち着かず、背がゾクゾクする。

 なんだこの妙な感じは、と心が落ち着かない。


「ああ、もう一つあるから、ちょっと待ってろ」

 当たり前に言って、要塞を見る。

 表情だけで、ガラルドが何をするつもりかハッキリした。

 やっぱりまだ言うのか、と皆が肩を落とした。


「だから、やめろって」

「お前、耳がないのか?」

「いいか文化財なんだぞ?」

「それだけじゃない。近隣からも盗難届がたくさん出ているから、中を調べて盗品は持ち主に返さないといけないんだ」

「サリ殿にもまともな行動を教えてもらっているのに、どうして曲解するんだ?」


「うるさい奴らだな~見ろ。ここにちゃんと許可証も発行してもらったんだから大丈夫だ。お前らの言う、面倒な手続きも済ませている」


 コンコンとそれぞれから説教されても、ガラルドは耳をいじるだけだった。

 ピラッと懐から出した紙を広げた。

 どんなもんだいとばかりに見せるので、目が悪いのかと全員に突っ込まれた。


「よく読めよ! 非常事態に限ると赤字で付け足してあるだろうが!」

「もう終わったんだぞ!」

 当然ながら、できるだけ保護に努めるの一文にも、アンダーラインがひいてあった。

「騎士団に捕えた奴を引き渡せば、この件は問題なく無事に終了なんだぞ」


 このままUターンしてくれと全員で言った。

 フン、とガラルドは鼻で笑った。


「バカか、これはすでに非常事態だ」

「バカはどっちだ」


 頭を抱えそうだった。

 討伐そのものよりもガラルドはたちが悪い。


 五人の苦悩を思い、これは徹底的にこらしめなくてはと、ミレーヌはふうっと息をついた。

 ここにいないが、サリにも後で頼んで徹底的に説教してもらおうと、そう決めた。

 そのためにも、ガラルドを砦から追い払わなくてはならない。

 自宅へ帰れと忠告しても、他人の意見に従うことが少ないから、簡単にうなずくまい。

 ミレーヌはできるだけ穏やかな笑顔を作った。


「見せていただけます?」


 ホラ、とガラルドは素直に文書を渡した。

 今までは壊してから公文書を発行してもらっていたので、その気になれば俺にもこのぐらいできるんだと妙なことで威張っていた。

 問題点はそこじゃないと皆から突っ込まれても、ガラルドは聞いていなかった。

 止められるものなら止めてみろといった、不遜な態度である。


 これは重症だわ、とミレーヌは目を細めた。

 確か、オルランドは十三歳だと夕食時に言っていたはずだ。

 仮成人前の未成人なら、東の国では問題ない。


「まぁ、こんなに大きな赤い字が。ほら、オルランドも一緒にどうぞ」

 ハイと渡されたので、つい受け取った。


 なんで僕に?

 そう思いながらも逆らうのが妙に恐ろしくて、言われたように両手でしっかりと掲げた。


「お姉さん、字が読めないだろ?」

「まぁ! なんて察しのいいこと!」


 そう、下街の子供を集めた学校もあるが、自由参加なので文字の習熟度は低い。

 生活に関わる金銭的な授業は人気があっても、読み書きの類に時間を割かず仕事に出かけるので、中流階級以上の人間でないと字を学ぶ暇がないのだ。

 自分の名前ぐらいは書けるが、その程度だ。


「オルランドは読めますのね? 素敵ですわ」

 フフとミレーヌは笑って、オルランドの両腕をつかんだ。

 エイッと声をあげて勢い良く上下に動かすと、ビリッと許可証はあっけなく破れた。


 ウオッ?! とガラルドが驚いて凍りついた。

 オルランドも蒼白になりワナワナ震えている。


「って、なにやってんの! 公文書だよ、コレ!」

 それも国王の印付きである。


「アラアラ、子供のささいな失敗ですわよ。心配しなくても、ちゃんとかばって差し上げますから。でも、ガラルド様? 許可証が無くなってしまいましたわ」

 ホホホとミレーヌは笑った。

「これではもう効力はありませんわね」


 涼しい顔で文書をオルランドの手から奪うとパタンと折りたたむ。

 大胆すぎる展開に、呆然としていたデュランへと文書を手渡した。

 あまりにありえない行動だったから、誰も止めることができず、他の者も茫然としている。


 オルランドはハッとした。

 なんだか聞き捨てならないことを、ミレーヌは口にしていた。

 確かに、文書に直接触れていたのはオルランドだが、責任を取らされるなんて御免だ。


「僕の罪を増やすなっ」

 国王の公文書の破損は誘拐よりも罪が非常に重くなるので、オルランドは「僕のせいじゃないからね!」と必死で訴える。


「大丈夫、未成年者は保護観察ですから」

 誘拐の保護期間にちょっと追加があるだけですわと、ミレーヌはまったく悪びれなかった。

「私が身元保証人になりますから、心配はありませんわよ?」

 ホホホと笑う朗らかさに、あっけにとられていた五人まで息を吹き返したように爆笑する。


「そうだな。あれは子供のささいな失敗だ」

「確かに、小僧しか触ってないしな」

「そ~かそ~か、公文書を破っちまったか」

「まぁ面倒は見てやるから心配するな」

「よかったじゃないか、牢屋より俺たちの宿舎は飯がうまいぞ」

 ニヤニヤと笑って「かわいがってやる」と口をそろえた。


 嫌だ~とオルランドは頭を抱えてしまう。

 流派の要のかわいがり方なんて、想像もしたくない。


「おのれ、姑息なマネを」

 ただ一人、ガラルドはうなった。

「それがなくても、王宮には控えがある」


「まぁ、子供みたいにムキになって!」

「お前には関係のないことだ。口を出すな」


 破壊にもふさわしい意味があると胸を張る。

 ガラルドの何が何でもこの要塞を木っ端みじんにしようとする姿勢に、ミレーヌはプチッと切れた。

 力強く宣言する。


「この期に及んで、まだそんなことを! 文化財で大切に保護するべき物なのに、壊すなんて野蛮なマネはさせませんわよ!」


 そして、ビシッとフライパンを突きつけた。

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