カッシュ要塞

第28話 危険がいっぱい

 真夜中をすぎてもオルランドは帰ってこない。

 四角く切り取られた窓から月が顔を出し、ランプを消すと見えるのはそれだけで、物悲しくてミレーヌはため息をついた。


 本来なら夕食の後片付けを終えて、明日の食事の仕込みをしている頃なのに。

 することが何もない。

 暇なのは苦手だった。

 人質って暇なのねぇと、もう一つため息をついてしまった。


 それにしても。

 何のためにさらわれたのかしら?


 ン? と頭を悩ませたが、すぐにやめた。

 想像しても意味がない。

 オルランド本人に聞けばいい。

 そもそも一般市民の考え方とは違うのだから、ミレーヌにわかるはずがないのだ。

 早く帰ってこないかしら? と窓の外を見たが、輝く月が夜に丸く浮き上がるだけだった。


 たいくつだった。

 食事や保存食も言われた以上に作ると無駄になりそうで、もったいないから追加はやめた。

 家に帰る方法もないし、やれることはやってしまったし、おしゃべりの相手もいないし、できることといえば寝るぐらいだ。


 しかし、台所は食料や水には困らないが、寝るのにはまったく向いていなかった。

 なんとなく部屋の隅に座って、空になっていた粗布製の野菜袋を布団代わりに身体にかけて、軽く目を閉じていた。


 少しだけウトウトして、ガタッと音がしたのでビクリとしてミレーヌは飛び起きた。

 ガタガタと封鎖した扉が揺れている。

 サーッと全身から血の気が引くのがわかった。


 オルランドならそんなことはしないはずなので、大きな水瓶と水瓶の間に滑り込んだ。

 意外なことに運動神経が良いので、動物的な素早い動きである。


「嫌ですわ」

 心細くてミレーヌは身をすくませる。


 しばらく体当たりでも繰り返していたみたいに、ドンッドンッと大きく定期的に揺れていた木製の扉が、今度は斧で砕かれ始めた。

 扉が完全に壊れるのもすぐだろう。


 でも、安全に隠れる場所はどこにもなかった。

 どうしようどうしようとおびえながら身体を縮めて、ミレーヌは叫び出したいのをこらえて、必死で息をひそめていた。


 目に涙がにじんでしまう。

 早く帰ってきてと、オルランドの帰宅を祈る。


 あっという間に扉は斧で砕かれて、数人の男が入ってきた。

 どれも薄汚れた身なりをして、目つきも悪くて悪党にしか見えない。

 鳥小屋に行ったときに、ジロジロとミレーヌを見ていた連中だった。

 息をひそめて、助けて~と心で叫びながら、泣きたくなって身を縮めていた。


「本当に死神だけ出たのか? 女もいないぞ?」

「チラッとだが間違いないと思ったんだがな」

「探すぞ、死神が帰る前に捕まえる」

「本当にクソ生意気なガキだから弱みの一つでも握っておこうぜ」

 などと会話を交わしながら、ゴソゴソと袋の陰などを漁っている。


 嫌だわこっちに来る。

 男たちが近づいてきたのを見て、ミレーヌはさらに小さくなった。

 しかし、移動したくてもこの位置を離れると丸見えなので、動くこともできなかった。


「おい、いたぞ」

 水瓶の隙間からのぞいた顔がニヤリと笑う。

 見つめて来るのは邪な眼差しだった。


 キャーッと叫んで、伸ばされた手から逃れようと隙間から転がり出た。

 長いスカートの裾をつかまれて、そのまま引き倒される。


「いやっ離して! オルランド! オルランド!」

 ミレーヌは必死で叫びながら、スカートをつかむ腕をビシビシと叩き、めちゃくちゃに暴れて抵抗した。


「大人しくしろ」

「少しは黙れ!」

 四人がかりで押さえつけられた。


「離して!」と叫びながらジタバタと暴れて、口をふさがれたのでその手に思い切りかみつく。

 ギャーっと悲鳴が聞こえたが、どこからどう見ても汚い手なので、不潔すぎて口を放してしまった。


「この!」

 ふりあげられた腕に、目をつむる。


 もうダメ!


 しかし、予想した痛みは来なかった。

 ドコッとかボキッとか鈍い音がいくつかして、身体の上が軽くなった。

 そして床とわかる低い位置から、かすかなうめき声がひびく。


 恐る恐る目を開けた。

 足元にいた二人は泡を吹いて倒れていた。


 馬乗りになってミレーヌを殴ろうとしていた男は、その横に転がっていた。

 妙な方向に折れ曲がった腕を押さえて白目をむいている。

 なにが起こったのかわからなくて、頭が真っ白になった。


 もう一人、わたくしの手を押さえていた男は?


 ぼんやりしたままミレーヌは身体を起こす。

 そして、なんだか、いけないものを見てしまった。


 男の後頭部を蹴った姿勢のままで、オルランドがグリグリとその頭を壁に押し付けている。

 正しくは、踏みにじっていた。

 ギシギシと頭蓋がきしむ音が聞こえるほど、足に力がこもっている。


 チラッと少年の視線が、ミレーヌへと向けられた。

 目が合うと同時に場違いすぎる笑顔になり、無邪気な明るい声が鼓膜に響いた。


「ごめんよ、お姉さん。僕の物には触るなって言っといたのに、しつけが悪かったみたいだ」


 しばらくミレーヌはボーっとしていた。

 襲ってきた男たちが伸びている情景と、オルランドの無邪気な笑顔がかみ合わなすぎて、これが夢か現実かわからなかった。


 オルランドが足を離すと、壁にベットリと血の筋を引いて男が床に落ちた。

 呻き声もあげず昏倒して、完全にダウンしていた。

 ピクリともしないが、小さく肩が動いているので、とりあえず生きているようだった。


「大丈夫?」

 オルランドに不思議そうな顔をされたので、これは夢ではないらしい。

 帰還したのが本物だとゆっくりと理解して、ミレーヌはやっと安堵した。

 ウルルッと目を潤ませる。

「オルランド~遅いですわよ」


 感無量のまま涙を浮かべて抱きつこうとしたら、サッとオルランドにはよけられた。

 つんのめって転んだミレーヌは、あんまりだと口をとがらせる。

 せっかく感謝の抱擁をしようと思ったのに。

 手にはポケットから出したハンカチを握りしめて、涙目でにらみつけた。


「ひどい」


 オルランドは気持ち悪そうに顔をしかめた。

「僕は誘拐犯で、お姉さんは人質でしょ? いいかげん、間違えてるのに気付いてよ」

 感動の再会をするいわれはないと、文句タラタラだ。


「だいたい助けを呼ぶのに、なんで僕なのかなぁ」

 本気で嫌そうな顔だった。

「あのさぁ絶対に変だから! 他に恋人とか親兄弟とか、もっと適当な名前があるはずだよね? 少しは頭を使って行動しろよ」


 年下の少年にまともな内容で説教されて、う~んとミレーヌは頭を悩ませた。

 あまりにももっともすぎて、涙が引っ込んでしまった。

 それでも、やっぱりこの場で呼ぶなら、オルランドの顔しか思い浮かばなかった。


 王都内ならガラルドや、黒熊隊の人の名前を呼ぶかもしれない。

 だけど、不思議と顔も浮かばなかった。

 まかり間違ってガラルドの名を呼んで、本当に来たとしたら恐ろしい。

 即時神殿に連れ込まれてハッピーウェディングとか変な方向に突撃されそうで、絶対に困った事態になるのが目に見えている。


 それに誘拐されているのだから、黒熊隊の人の名を叫んでみても絶対に来ないとわかっている。

 彼らは超人集団ではあるが、万能の神様ではないのだ。

 一番助けに来る確率が高そうだと無意識に思ったのがオルランドで、つい呼んでしまった。


「だって怖かったんですもの」

 口が勝手に呼んでしまったから仕方ないのだ。

 意識せずに出たのがオルランドの名だったから、文句を言われても困ってしまう。

「ちゃんと助けてくれたのですから、意地悪なことを言わないでくださいな。切羽詰まった時の行動に、理由などありません」


 ひどいわと口を更にとがらせると、ハイハイと適当にいなされた。

 これ以上会話をつづけたくないとわかる調子で、オルランドは手をひらひらと振っている。

 変な女の変な思考には付き合いきれないと、賢く声には出さないが心の中では思っているのがわかる顔だった。


「お仕置きの最中だから、ちょっとあっち向いといてよ。このおじさんたちに、誰に刃向ったか思い知ってもらわないとね。死神としては簡単には死なせる訳にはいかないんだよ」


 ニコニコと無邪気に笑われたけれど、その言葉には残虐な匂いが漂っていた。

 ちょっとだけミレーヌは悩んでしまった。

 見るなと言うのだから、見たら後悔するようなことを本当にする気なのだ。

 こういう極端な行動をとるのを当たり前だと思っているところが、ガラルドに似ている気がする。


 結局、素直に背中を向けた。

 このときミレーヌは、つい先日のガラルドとの会話を思い出していた。

 本気で対応すれば目立たない方法も数限りなくあるけれど、あえて目につく手段を選ぶだけの理由が、その影にはあると言っていた。


「ガラルド様も、同じことを言ってましたわ。それが抑止効果にもなって、無駄な争いも減ると。わたくしにはよくわかりませんけど」


 どこがどう、とはハッキリとはいえない。

 だけど、間違いないと思った。


「やっぱりあなたは、東の剣豪の時のガラルド様に似ています」

 思い出してそんなふうに語りながら、ジッとオルランドの返事を待った。


 ミレーヌに断言されて、フゥンとオルランドは適当にうなずいた。

 まともな剣豪の話も少しは知っているようだと、ちょっとだけ思った。


「たくさんの責任を背負ってる人の発言と、僕を並べるのはどうかと思うけど?」

 言葉の意味はわかるけれど、そもそもの根本が違っている。

 だけど、ミレーヌはフフフと笑った。

「口だけの方と意味を持って語る芯のある方では、受け取る印象は違いますでしょう? 二人とも同じ意味合いで言ってましてよ?」

「僕はそんな大したものじゃないよ」


 冷めた返事をしても「どうかしら?」とミレーヌが笑っているので、オルランドは会話を区切った。

 ミレーヌが相手だとペースを乱されるばかりで、論じる意味がないと感じたのだ。

 気をつけていないと、うんそうだね、なんて丸め込まれてしまいそうになる。


 ただ、本当にミレーヌが背を向けてオルランドの様子を見ないようにしているので、素直だなぁと妙な関心をした。

 まぁ素直なのはいいことだ。


 目撃談を騎士団にでも告げ口されたら、正規の罪を犯した犯罪者として追われてしまう。

 殺傷許可の出ている相手でも、息の根の止め方にまで細かい規定があるので、東の国は本当に面倒くさかった。


 ミレーヌは思い込みが激しそうなので、オルランドのことをかわいい子供だと信じているらしく、好都合だった。


 だけど。

 なにをどう間違えたら、僕が可愛いんだろう?

 なんてブツブツと心の中でぼやく。

 まぁ、ミレーヌを傷つけたらあとが面倒なので、殺したりしないけれど。


 僕は死神なんだぞ?


 ただ、それを声に出す勇気はなかった。

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