第22話 帰還の日に

 約束の四日目。

 そろそろガラルド達が帰ってくるかもしれない。


 皆は大丈夫かしらとミレーヌは案じながらも、いつ帰宅してもすぐに熱い食事を摂れるように、煮込み料理を仕込んでいた。


 音沙汰もないし、王都に残ったデュラン達四人だって顔を合わす時間が少ない。

 なにしろ遠征中の七人分の仕事もまとめてこなすのに慌ただしくて、詰所に留守番も置けずに飛び回っている。


 さすがに、詳しい様子を聞けなかった。

 それでも、無事でいてくれさえすれば。


 唯一変わらないのはサリだ。

 だが、耳が遠いので会話は難しい。

 心配している様子は顔に出さないが、居間ではなく玄関ホールに揺りイスを移動して、編み物をしながらユラユラと揺れていた。


 時折、扉をじっと見ている。

 よほど気がかりなのだろう。


 ただガラルドの言い残したように三食食べて、ちゃんと夜だけでなく午睡も取って健康維持に努めていた。

 ポックリ逝くとまで残されたセリフを真に受けた訳ではないはずだ。

 でも「私が倒れる訳にはいかないしねぇ」などとつぶやいていたので、心に響くものがあったらしい。

 再び会える保証などないけれど、信じないことは彼らにも失礼だと言っていた。


 サリは心配症なので、きっとガラルドの言伝がなかったら食も睡眠もおぼろで、身体が弱っていたに違いない。

 命を扱う職業に関わるとは、そういうことだ。


 だからこそ、ガラルドに感謝していた。

 大雑把でズボラだと思っていたが先のことも考えているし、実は優しいところもある。

 その気になれば、他人を思いやることもできるらしい。


 奇人変人と紙一重ではあるけど、やはり英雄と呼ばれる人は素敵だわ。

 そんなふうに、かなり見直してしまった。


 それだけでなく、あれほど変わった人なのだ。

「結婚しろ~結婚しろ~」と隙間なく言われてうっとうしいと思っていたのに、強烈な個性があるのでいざ顔も見なくなると、非常に物足りない感じがする。


 こんなに静かでいいのかしら?


 なんて、たまに不思議に思ったりする。

 本人にそのまま教えると、勘違いしそうだから言わないけれど。


 惚れたはれたで気になる訳では、絶対にない。

 こんなことがバレたらあの独特の感性で大喜びする姿が目に見える。

 悪くすれば、今すぐ挙式だとか先走ってしまうかもしれない。


 ミレーヌは絶対に黙っておこうと思った。

 大きな子供を持った気分と表現すれば、正しいかもしれない。


 ギブ・ミー・普通の生活。

 せめて、最低限の良識を持つ男性!


 幸せの第一歩は間違えたくなかった。

 それでも、決して嫌いではないけれど。


 ガラルド・グラン。

 どこまでも当たり前とかけ離れた英雄だった。

 人として尊敬はできても、伴侶として考えるには、勘弁してほしい殿方だ。


 夢見がちな割に、どこまでも現実を見つめるミレーヌだった。

 遠征後は殺伐とした気分で帰ってくるだろうから、お気に入りのオムレツ用の卵とチーズは用意しておきましょう。

 そんなふうに思いながら買い物に歩いていたら、後ろから声をかけられた。


「お姉さん、東の剣豪の家政婦さんって聞いたけど本当?」


 振り向くと、十三歳ぐらいの少年が立っていた。初めて見る顔だった。

 ヒョロッと痩身で目鼻のくっきりとした派手な顔立ちをしている。

 定住せずにずっと各地を流れていたのか、薄汚れた旅装束だった。


「そうですわよ、ガラルド様に御用ですの?」

 軽く返しながらも、首を小さく傾けた。


 なんだか荒んだ目をしている。

 どこか見なれた雰囲気なのだが、眼差しのせいか壊れそうな危うい感じがした。

 触れたら刺さりそうなとがった印象もあって、ひどく心を揺さぶられた。

 まだほんの子供なのに、そうとう苦労しているに違いない。


「会えるかな?」

 ええ、とミレーヌはうなずいた。

 ガラルドは細かいことにはこだわらない。


 もちろん、自宅では勝手気ままにすごすと決めて、訪問者は面倒だと断っている。

 しかし隣の詰所にいる場合には、誰が相手でも挨拶ぐらい普通にしているし、その気になれば道場で剣を合わせるほど気前がいい。

 それこそ黒熊隊の詰所にやって来る弟子入り志願者だけでなく、腕試しとか物見遊山の観光客でも、時間が許す限り付き合っていた。


「第三者が相手だと、ガラルド様もまともですわねぇ」

 なんてミレーヌが感心して食堂で呟いた時は、聞いていたキサルがふきだしたけれど。

「そりゃ誤解だ。熊なんだよ、熊。イスにおとなしく座るなんて、行儀のいい芸当ができるもんか」


 彼は英雄としての自分の見せ方をよく知っているだけでない。

 性格的に机上作業は面倒なのが本音なのだと教えてくれた。


 なんと、会議や書類に関わるのが窮屈で、理由をつけて逃げているだけ。

 訪問者の相手なら、堂々とさぼれる。


 聞かなきゃよかったと思ったのは、言うまでもない。

 ちょっぴり見直したのに、やっぱり残念な性格でしかないのかとがっかりしてしまった。

 そんな回想をついついしてしまう。

 返事を待つ少年の不思議そうな視線に気づいて、ニッコリと笑った。


「今は出かけていますけれど、もうすぐ帰ってくる予定ですの。ガラルド様は約束を守る方ですから、明日にでもいらして下さる?」


 そう、良くも悪くも有言実行である。

 他の者が断言するなと忠告しても、俺の言葉が信じられないのかと堂々と胸を張り、そのうえ実現している。


 今回だって「一週間ほどで」と帰還日に幅を持たせたデュラン達と違い、「ただのドラゴンだぞ、四日もあれば充分だ」とつまらなそうに耳をいじっていた。


 ただのドラゴン。

 そんな言い方はどうかと思うのだけど、それに見合う実力あるのも確かなので、誰も突っ込めないようだった。


 騎士団の一個大隊が装備を整えてから挑んでも、ドラゴンの討伐は不可能なのに。

 それ以上に、他の隊員たちのことをまるで考えていない。

 問題は討伐そのものより王国騎士団や警備団との連携の取り方だと、デュランから教えてもらった。


 他の者とは感覚の差が大きすぎて、どうしても会話がかみ合わない部分が出るのは仕方ないにしても、周囲が渋い顔になるのはそれなりに訳がある。

 事後承諾は控えるべきなのに、ガラルドは本能で突き進む。


 はじめてミレーヌと出会った時だって街道を破壊してしまい、討伐よりは修復工事に手を取られていた。


 ガラルドが首を突っ込んだだけで「やっちゃいました~ごめんなさい」が非常に多くなる。

 他にも事前相談がなかったお詫びだとか、騎士団や地方警備団への公的協力要請とか、東の国独自の手続きだって色々あるのだが、面倒な雑務は隊員たちに丸投げである。

 最初に許可を得れば簡単なことも、全て後から承諾になるので大変なんだとデュランがぼやいていた。

 本当にどうしようもない熊なんだからとムッとした後で、ミレーヌはふと口元を押さえた。


 あら嫌だ、またガラルド様のことを考えている。

 これは、かなり毒されているのではないかしら?

 なんだか釈然としない。


 ふと視線に気づいて、あららと思う。

 目の前にいる少年のことをほったらかして、思考に落ちていた。


「ごめんなさいね。とりあえず詰所に顔を出せば、ガラルド様と話もできますから」

 ミレーヌが請け負うと、フッと少年は笑った。

 邪気はないけれど、いたずらな笑顔だった。

「いかない。彼に来てもらうから、手伝えよ」


 え? と思った瞬間。

 目の前が真っ暗になった。


 当て身を喰らわせて気を失ったミレーヌを肩に担ぐと、少年は軽々と屋根へと跳んだ。

 大通りでの白昼堂々の誘拐だったが、あまりに素早すぎて誰も気がつかない。

 ただ愛用の籐カゴだけが、コロンと地面に転がって残されていた。


 その数時間後。

 警邏で都市内を巡回している騎士によって、落とし物だとカゴが邸宅に届けられた。

 遠征から帰宅したガラルド達は、デュランから王都内の近況報告を受けつつ、詰所の中でちょうど旅装束をほどいているところだった。


「持ち主は?」

「帰宅されていませんか?」


 届けに来た騎士に不思議そうに問い返されて、思わず全員が視線を交わした。

 のんびりしていてもしっかり者のミレーヌが、財布ごとカゴを落とす訳がない。


 百歩譲って、転んでカゴを落としたとしよう。

 しかし、財布だけはしっかり握っているはずだ。

 起きあがる時に、道端に転がる小銭ぐらい発見してもおかしくない。

 そのぐらいちゃっかりしたところがある。


 なのに、財布が入っていた。

 これはかなりの非常事態に違いなかった。

 とりあえず「どうもありがとう」と適当に話を合わせて、早々に騎士にはお引き取り願った。


「財布に住所の書いた紙が入っているか…確かに騎士殿のおっしゃられるとおりだけどな」

「こりゃまずいんじゃないか?」

「このパルプ紙は東の国に流通してない。スカルロード産だろう?」

「南部なら簡単に手に入るだろうが、王都じゃ商人があつかわないさ。関税が高くて割に合わん」

 カゴの中から取り出した紙を指にはさみ、キサルが目の前でつまらなそうに揺らした。


「だいたい、ミレーヌ様は字が書けんぞ」


 それは、特に珍しい話ではなかった。

 下街生まれだと当たり前だから、代筆屋が代読業も兼ねて繁盛している。

 ミレーヌはあれでも努力家なので、食堂の一覧表から隊員の名前だけは学ぶ努力をしていた。

 まぁ、その程度のレベルだ。


「なんだと?」

 ガラルドが眉根を寄せた。


「なんだ、知らなかったのか?」

「アレだけ付きまとってたくせに、鈍い奴だな」

「些事は俺らに丸投げだから、惚れた女のことすらわからんのさ」

「そんなことは誰も聞いとらん」


 ミレーヌのストーカーに似た言われように、ガラルドはさすがにムッとした。

 旅装束を外したものの、皆が探索の準備を整えているのを不服そうに睨みつける。

 ミレーヌが字を書こうが書くまいが料理だの家政婦としての腕には何ら問題はないと、少しずれたことをブツブツとつぶやく。


「では、ミレーヌはどこだ?」

 俺が聞きたいのはそこだと腕を組む。


「さぁな、わかるわけがないさ」

「まぁ消えたのは確かだろ?」

「落し物です~とカゴが届くぐらいだ。人目につかなかったってことだろうな」

「さっきの騎士殿の様子じゃ、手がかりも少ないだろうが捜し方はあるさ」


 口調だけは普段の軽口と大差なかったけれど、全員の表情は厳しくなっていた。


 今のところは行方不明。

 そうとしか言いようがなかった。

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