3章 死神と呼ばれる少年
第21話 遠征は突然に
夜中。
サリの声でミレーヌは目を覚ました。
「こんな夜に何人も出かけるみたいだねぇ。なんだか遠くへ行くみたいだから、頼まれてくれるかい?」
うん、とうなずいてミレーヌは起きあがった。
耳が悪いくせに異様に勘が働くので、サリの予想は外れることが少ない。
時間を確かめれば日付が変わったばかりだったので、こんな深夜に出立するならば緊急事態に違いなかった。
寝起きのいいミレーヌは即座に身支度を整えると、サリの頼みを承諾した。
こんな事は初めてだが流派の動きは教えられていたので、昼だろうが夜だろうが迅速に動く時には退魔だと知っていた。
出逢ったときのように、魔物が地方に出たと通達が届いたのかもしれない。
思い出して、ゾクリとした。
ガラルド達と出会ったあの日。
混乱の最中は無我夢中で感じる隙間もなかったけど、時間が経つにつれて魔物がどれほど恐ろしかったか身に染みてしまう。
普通に王都で暮らしていると忘れがちになってしまうが、大街道から少し離れるとああいった危険な状況は当たり前なのだ。
カーディガンを羽織るとサリに従って台所に行く。
仕込んでいた薬酒を用意して、いくつもの小さな盃と一緒に盆にのせた。
古くから伝わる災いを払うためのまじないは、ミレーヌにとって馴染みなあるものだった。
ただの迷信だと侮ってはいけないのだ。
そんなものになんの意味があるんだね? と笑った商家の主は先日亡くなった。
もう心配症ねぇと笑いながら、ほんの少しだけなめた婦人は軽いけがですんだ。
サリの知っている手順どおりに薬酒を口にしたミレーヌ自身は、怪我一つなかった。
まじないとはそういうもので、偶然だと切り捨てるよりも、災いを払う手順を踏むのは気持ちが休まるのだ。
それに。
今現在、命を扱う雇い主と共にいるならば、相応しい習慣に違いない。
一緒に暮らしている彼らは、亡くなった商家の主よりもっと危うい場所にいる。
きっと、この薬酒の意味も見ただけでわかるだろう。
神妙な心持でまじないの準備をして、ミレーヌは詰所に向かった。
窓からもれる光が濃い。
サリの言葉通りに、夜勤以外の者も起きているようだった。
いつもは静かな夜の詰所の中で、たくさんの人影が忙しそうに動いていた。
コンコン、と外から窓を叩くとすぐに開いた。
「おやおや、ミレーヌ様。どうされました?」
にこやかにデュランは顔を出したが、やはり目がいつもと違っていた。
これから向かう事件へと、すでにその意識がうつっている。
緊迫した面持ちの彼らの助けになればと思い、ミレーヌは出来るだけやわらかな表情を作った。
「おばあちゃんから言付ですの。待っているからここに帰って来なさい、ですって」
そうですか、との答えもいつになく歯切れが悪かった。
ふざけてばかりだと感じるほど普段は朗らかに笑っているのに、今夜はピリリと空気が張り詰めていた。
印象も武人らしく、どこか鋼に似た硬さと冷たさを感じる。
後ろからサガンやラクシも顔を出した。
「ありがたいお言葉だけど、どうなるかな」
まぁ想像以上に表情が硬いわと思いながら、ミレーヌは小首をかしげた。
「いつお戻りですの?」
「さぁね」とにごされ、明確な答えはなかった。
それほど厳しい状況なのだろうか?
こんなことは珍しいと思いながら、出かけるメンバーを聞いた。
王都に残るのはデュランの他は三人だけだ。
隊員のほとんどが出て行ってしまう。
一騎当千と謳われるほどの彼らが総出となると、魔神とかドラゴン並みの魔物が出現したのだろう。
かなり強い魔物が出たのだと簡単に予想がつき、ミレーヌの背筋が冷えた。
どれほど強くとも、彼らもまた血肉を持つ人なのだ。
やはり、心もとない気持ちになってしまった。
黒熊隊の詰所も手薄になってしまうだろう。
シッカリと留守を守らなければと、ミレーヌは表情を引きしめた。
遠征の手伝いはできないが、取り次ぎなどの小さな手伝いはできる。
カナルに居を構えて大掛かりな遠征は初めてなので、王都に残るデュランたちもいつもとは動きが違うと難しい顔をしていた。
前例のないことは、どれほど準備しても手薄な部分ができてしまう。
ほんの小さな失態が、大きな厄災に変わると身を持って知っていた。
考えても仕方ないことではあるが、思考を消すことはできない。
ただ、ミレーヌの来訪はちょうどいい気分転換になったようだ。
出かける前の挨拶にはちょうどいいとばかりに、ひょいひょいと全員が顔を出す。
「まぁ生きてたら帰ってくるさ」
「そうそう、どっちに転ぶかは運次第だけどな」
「運がいいことを祈っといてくれ」
「戻れたらの話だが」
「先のことなど保証できんのが残念だ」
「今生の別れかもしれん」
そんなことを真顔で口々に言うので、武人らしいと思いながらも、ミレーヌはひどく不安になった。
怪我をするかもと思っただけで不安なのに、そんな言葉では永遠の別れを予感させる。
サリによって言霊の尊さを教えられていたので、少しでも良い言葉がないかと必死で探した。
結局思いつかず、いつものようにのほほんとした笑顔を見せることしかできなかった。
「まぁ、それは困りますわ。せっかく皆さまの好きなスープを仕込んでいますのに。無事でいて下さらないと、無駄になってしまいます」
朗らかな何も考えていないようなセリフでも、無傷で帰ってきてほしいと願いをこめてみる。
だけど、ハハハッとラルゴたちは声をたてて笑った。
「俺たちにそれを求めるのかい?」
「剣を持つなら命を惜しむ間もないさ」
「明日のない身だ。約束などできん」
詰所の中にいた全員が顔を覗かせて、そんなふうに明るく笑いとばされた。
潔いのだか後ろ向きなのだかわからないわと、聞いていたミレーヌは眉根を寄せてしまう。
嘘になってもいいから、大丈夫だと口にしてくれればいいのに……正直すぎて返す言葉もない。
と、その時。
ゴンゴンゴン、と背後から拳骨が飛んだ。
ウォ~とうめきながら、殴られた者たちは頭を押さえる。
手加減がなかったらしい。
「この、バカ者どもが。つまらんことを言うな」
いてぇなと文句をいう連中を押しやって、拳を握ったガラルドが顔を出した。
きつい眼差しが、煌々と輝いていた。
「サリに伝えろ。三食ちゃんと食って、しっかり寝ろとな。いい歳のばあさんなんだから、俺たちが帰る前にポックリいくぞ」
戦いを前にした武人の表情をしているのに、口にするのは相変わらずの台詞だった。
「いいか、土産は期待するな」
旅行じゃないのだから、そんなものは思いつきもしなかったと、ミレーヌは眉根を寄せた。
あいかわらず口の悪い人だと思う。
ただ、いつもの調子でガラルドが話してくれたので、ふわっと心が軽くなった。
「身一つで充分ですわよ」
ついついそんなふうにぼやきながらも、心遣いはちゃんと伝えておきますと笑い返した。
「あなたもご一緒に?」
先程聞いた遠征のメンバーの中に名前が入っていなかったが、よく考えれば常にない大きな遠征だ。
剣豪が出るのは当然かもしれない。
当然すぎて名前を省かれるのもどうかと思うけれど。
「当たり前だ。俺はそのために生きている」
ガラルドは尊大な調子で笑った。
存在意義と同じだときっぱりしていて、他の者と違い気概が充実しているのが見て取れた。
「嬉しそうですわねぇ」
そんなに剣をふるうのが嬉しいのなら、やっぱり生まれながらの剣豪なんだわと思っていたら、ガラルドはドーンと胸を張った。
「当たり前だ。お前の顔をしばらく見れんと思っていたからな。こいつらのことは気に病まんでいい。雁首そろえて帰るさ、俺がいる」
ドラゴン程度なら剣などいらんと自慢げに告げるので、そういった相手なのだとミレーヌは知った。
普通、ドラゴンなら流派の精鋭が一〇人そろっても厳しいと聞いていたのだけれど。
ガラルドはどれほど強いのだろう?
戦闘なんてもうすでに終わっているように、ガラルドは不遜な表情をしていた。
それどころか、快活に笑っている。
「むさくるしい男ばかりで滅入っていたから、おまえに会えて気分がいい」
非常に嬉しそうだった。
緊張感がないうえに、場違いなことばかりを当然のように口にするのがあまりに彼らしくて、ミレーヌはクスクスと笑ってしまった。
本当にどうしようもない男だが、これが英雄と呼ばれる由縁なのだと実感する。
「まぁ! では、これをどうぞ。薬酒ですのよ。全ての精霊と神の加護がありますように」
そうか、と言ってガラルドは盆を受け取ると、先に口をつけた。
飲み干すと軽く杯を掲げて、指先で印を描くのも正規の手法だった。
やっぱり、流派の方は説明しなくてもわかるのだわ。
そんなふうにミレーヌは感心する。
まじないなど武人は嫌うのかと思ったけれど、敬虔な仕草が手慣れて馴染みのある習慣だと物語っていた。
他の者へと盆ごと薬酒を回し、やはりサリはいい女だ、とガラルドはほめた。
ふと気付いたようにミレーヌに視線を戻し、災いを払うために現れたお前はさらにいい女だと、誰かの入れ知恵だとわかる口調で付け足すのでおかしかった。
ぎこちないながらも、普通を覚えようとする姿勢は好ましい。
ついつい朗らかに笑っていたら、ガラルドはまぶしそうに目を細めた。
「心配せんでも、お前が俺の還る場所だ」
まぁ、とミレーヌは眼をまたたいた。
意味はまだ知らないが、人前で言われると恥ずかしい気がして、さすがに赤くなってしまった。
何か言おうと思ったけれど、うまく言葉が出てこない。
これでは照れているようにしか見えないだろう。
「おやおや、それは聞き捨てならないな」
いいタイミングでチャチャが入った。
奥にいた隊員たちもガラルドの言動を聞いているうちに緊張がほぐれたらしい。
そろって爆笑していた。
次々に軽口を叩く。
「大将にはすぎた人だ。サリ殿とあなたのいるところを、俺たちの還る場所にしよう」
「そうだな、お二人は還る場所に相応しい」
「いくら大将でも、独り占めはどうなんだ?」
「どさくさにまぎれて、自分だけの還る場所にしようなんて、油断も隙もない奴だ」
口々に言いだして、お前が思うより競争率は高いぞとニヤニヤと笑う。
クッとガラルドが悔しそうに眉根を寄せた。
明らかに嫌がらせだとわかる表情だったから、肝心なミレーヌだけが還る場所の意味をわかっていないだけに、このやろうと腹の底で唸る。
少しは俺に気を使えとぼやきながらも、空になった杯と盆を回収してミレーヌに返した。
「聞いたか? お前は待っていろ」
どんな困難があっても大丈夫だと思えるほど強い眼差しに、ハイとミレーヌは応えた。
「お待ちしていますわ。ご武運を」
「承知した」
明確な了承を残し、窓は閉じられた。
ホッとミレーヌは一息つく。
ガラルドがいれば、絶対に皆がそろって帰ってくると、信じるのはたやすかった。
非常事態にはなんて素敵な殿方に見えるのかしら。
双剣の楯の名は、やはり伊達ではないのだ。
かなり見直してしまった。
日常でパンツ一枚でフラフラしているスットコドッコイと、とても同一人物には見えない。
何もできないけれど、皆がいつ帰ってきてもいいようにしておきましょう。
それが自分にできる唯一のことだと、ミレーヌは知っていた。
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