第20話 ガラルドとミレーヌ

 武人の考えることはよくわからないけれど奥が深いのねぇと、ミレーヌは頭を悩ませてしまった。

 ただ、さっきのことを思い出して唇をかんだ。


「わたくしは、悔しいばかりです。ガラルド様は何も間違ったことはしていませんのに」


 公安に関わる者として、当たり前のことをしただけだ。

 確かに指一本だけしか使っていないけど。


 恐ろしいとか凄まじいとか意味もなく怖がられて、距離を置かれるのは納得がいかない。

 悪いことをしている人にしかその力を向けないのに、ひどすぎると涙をためた。

 その悔しさをこらえているミレーヌの様子をじっと見て、ガラルドは肩をすくめた。


「ほらみろ、とてつもなく変わっている。だから俺と結婚しろと言ってるのに、本当にわからん奴だな」

 鈍いのか懐が深いのか理解できないがそこがいいとぼやくので、ミレーヌは眉根を寄せた。


 褒められているはずなのに、ケンカを売られている気になるのはなぜかしら?


「どうしてそこで結婚が出てくるんですの?」

 いつも思うのだが、結婚結婚と言う割に説得力がなくて、口説かれている気にすらならない。

 なにしろ、これから娼館に行ってくる! などと報告しに来るバカである。

 出かけて来る、の一言ですむはずなのに、目的地をミレーヌに告げる神経がわからない。

 ムッとしているミレーヌに、ガラルドは目を細めた。


「ああ、そうか。おまえは他にいくらでも探しようがあるからな。俺にはおまえとサリだけだ」


 日頃からコロコロとかアライグマとか行き遅れとかひどい表現をする癖に、その気になればどこへでも嫁にいけるとうらやましそうだった。

 日常を知っているミレーヌは、つい渋い顔になってしまう。


「まぁ! 花街や上流社会にも華やかで美しい方々が、貴方を待っていらっしゃるんでしょう?」


 そう、しょっちゅう東や西の花街に足を運ぶし、娼妓以外の女性の影もたくさん見える。

 どこそこの公爵夫人と夜会だとか、麗しい貴族の御令嬢と食事とか、それこそ二日とあけずにホイホイと出かけている。

 ちなみに、その場合はほとんど朝帰りだ。

 なにをやっているのか、あえて推し量る必要もないだろう。


 普通、結婚しろと迫る女にはそういう相手を隠すものなのに、ガラルドは全部あけすけで気持ちがいいほど透明でオープンだった。

 会話の内容も聞きたいか? と問われて、けっこうですわと毎回のように答えている。


 どこまでスットコドッコイなんだろうと、ミレーヌは呆れていた。

 妙な勘繰りは起きないけれど、どうにも派手な女性関係が見えすぎる。

 結婚しろと迫られても、今ひとつ信用に欠ける要因の一つである。


「わかってないな。待ってるのは剣豪や英雄で、俺ではないさ。あいつらは名誉と金を欲しがり、俺は情報が欲しい。ただの取引だぞ」


 おぞましい、とガラルドはもらした。

 理解がまったくできなかったので、ミレーヌは渋い顔になるしかなかった。


「あくまで仕事だとおっしゃるの?」

「当たり前だろう? 訳のわからん髪形だの服だの褒めなきゃならんし、臭いクリームをぬりたくった奴のどこがいいんだ? 爪までヤスリで削って血色に染めて、あれはなんだ? 気味が悪い。それに比べ、おまえは百倍も可愛くて、清潔で、愛嬌がある」

 ぼやきにぼやいていた。

「あいつら相手には俺だってこんな話し方はできんし、面白くもなんともない。な~にが、ごきげんよう、だ。夜会で踊ってくださる? がおねだりだぞ? 俺は双剣持ちだ。チイパッパと踊れるもんか。ふざけおって」


 機嫌を取るための会話を考えるだけでも、言葉だけでなく表情でも実にくだらないと語っている。

 その数多い美人たちを思い出しただけで、ぞっとしている様子だった。

 ガラルドの言葉には妙な説得力があったけれど、ミレーヌは変な基準だと眉根を寄せてしまった。


「わたくしは美人でもありませんし、コロコロしてますわよ?」

「アライグマそっくりだ。よく動いて、面白いだろう? 見ているだけで楽しいじゃないか」

 実にいいと機嫌よく言いきったので、はぁ、とミレーヌは大きくため息をついた。


「それで褒めているつもり、ですわよね?」

「当然だ。ああ、あれだ。働き者で気立てがいいなら通じると、サリが保証したな」


 同じ意味なのに言い方を変えるのは面倒だ、なんてガラルドが難しい顔をしている。

 それがアライグマと同じ意味だとわかる人の方が少ないわよとミレーヌも難しい顔になった。


「おばあちゃんとそんな事を話していますの?」


 何を教えているのかしら?

 非常に謎だ。

 まぁ、デュラン達がしつけと期待していたので、対人方法とか日常会話の常識だろうか?


「サリは実にいい女だ。俺の足りないことをたくさん知っている。十年は無理でも、五年はピンピンしてもらわんと困るな。おまえに何かあっても、俺がサリの面倒は見てやろう」


 任せておけなんて言うので、ミレーヌはあきれてしまった。

 だって治安のいい王都内でのほほんと暮らす家政婦の自分なんかより、魔物や野盗を退治しにしょっちゅう出かけるガラルドは、より何が起こるかわからない立場なのに。


「なにかなんて、わたくしにあるわけないでしょう?」

 それもそうだなとガラルドは笑った。

 不意に真顔になると、強い意思そのものの瞳を向け、静かに告げる。


「ミレーヌ、おまえは俺の還る場所だ。先のことなどわからんが、俺はいついかなる時でも、おまえのもとに還るだろう」


 え? とミレーヌは目を丸くした。

 意味はよく理解できなかったけれど、毎日聞く結婚なんて言葉なんかよりもずっと魂に響いて、カラルドに惚れられている気になった。

 初めて真情に似た想いが伝わってきて、なんだか心が震えてしまった。


 還る場所とはどういう意味だろう?


 サリに聞いてみようかと思いながら、不意に結婚の言葉が真実味をおびた。

 今日の話を総合して考えると、ガラルドは単なる思いつきや気まぐれで、子供のように結婚結婚と繰り返していないらしい。

 ありのままの姿を彼が見せているのは自分だけだとしたら? と考え、ムードがなくてもプロポーズは本気だとわかってしまった。


 さすがに世界の剣豪からの真っ正直な告白だと理解してしまうと、カァッと真っ赤になってミレーヌはスカートを握りしめてしまう。


 冗談ではないのなら、あれほど毎回邪険にしているのにあきらめないなんて、どれだけ本気なのだろう?


 想像すると、胸が一杯になった。

 第三者視点で見ると、ガラルドほど優れた殿方はこの世にはいないのだ。


 でも、すぐに気づいて眉根を寄せた。

 ミレーヌは乙女思考でも、現実主義だった。

 まっとうな生活を積み重ね、まっとうな人生を送ることを目標にしている。


 もう少しまともに話が通じる人でないと、実際に日常をよりそえない。

 外に出れば珍獣扱いで注目を浴び、家の中ではしょせんパンツ男だ。

 一緒に暮らすとなると問題が大きすぎて、うなずくにはかなり勇気がいる。

 なにより、英雄的な奇人を理解するのは難しい。


 ギブ・ミー・普通の生活。

 特別な物は何もいらない。

 やっぱり、それが幸せへの第一歩だった。


 うん、流される訳にはいきませんわ。


 こぶしを握りしめてなにやら決意を固めているミレーヌの表情に、ガラルドは不思議そうな顔をした。

 なにを一人で百面相をしているんだ? と謎に思う。

 まぁそれが面白くて気にいっているのだが。


「そろそろ帰るぞ。他にいる物はないか?」

 不意にそう言うので、はい、とミレーヌはうなずいた。

 太陽の傾きが夕暮れを告げていた。


「十分ですわ。ありがとうございます」

 楽しかったですわと、本気で礼を言った。


 ミレーヌから心のある綺麗な笑顔を向けられて、いつもの十倍は可愛いと妙なほめ方をしたけれど、ガラルドは嬉しそうだった。


「また時間があれば連れて来てやる」

 偉そうに宣言して、ガラルドはミレーヌを抱える。

 そのまま王都に向かって走り出した。


 来たときと同じだ。

 人の足なのに、馬よりも鳥よりも速く、駆けただけで風のようだ。


 この人は普通から最も遠い男なのだと、ミレーヌは頬に当たる風に感じた。

 あまりの強さにまともに息ができなくなるから、ミレーヌはガラルドの胸に顔を埋めるようにして、なんとか呼吸を整える。

 濃い古い血を持つのは、それだけで当たり前から遠ざかってしまう。


 それでも、心を持つ人なのだ。


 力を抜いたり、素の顔を見せる相手が必要なのは、痛いぐらい理解できた。

 異質を抱えた者同士ではなく、当たり前を知る者も側には必要だろう。


 この人に、なにかしてあげたい。


 恋愛感情ではなかったけれど。

 少しでも力になれたらいいと、初めて強く思ったのだった。

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