第12話 あらどうしましょう

 パタッとガラルドがその場に倒れた。

 フライパンが後頭部に、見事に命中したのだ。

 息を弾ませたままミレーヌは、それでも説教を続けていた。

 倒れたフリまでして最低だと、心底から憤慨していた。


「調子に乗るんじゃ……」


 あら何か変だわ? 

 不審に思いながら首を傾げる。

 興奮して叫んだせいか息がはずんでいるので、大きく深呼吸した。


 起き上がる気配がないどころか、ガラルドは身じろぎ一つしない。

 雇われ人から説教を受けるのが嫌で倒れたフリをしていると思っていたが、本当に動かなくなってしまった。


「あの、ええ?」


 恐る恐るミレーヌは、ガラルドを靴先でツンツンとつついてみた。

 手で触るのはなんとなく嫌だった。


 ピクリとも動かない。

 見事に気を失っているようだった。

 パンツだけでうつ伏せに倒れている図はあまりにシュールだ。

 確かめた現実に、ミレーヌは混乱する。


 うそ、どうして?

 まさか、当たるとは思わなかった。


 いやいや、そんなことよりも。

 これはいったいどうしたのだろう?

 戦場でも日常の暗殺者にも、一度も倒されたことのない世界最強の剣豪のはずなのに。


「あらあら」

 いつのまにかサリが側に来ていた。

 ガラルドの頭を調べている。

「滅多にお目にかかれない大きなタンコブだよ。しばらく起きないだろうねぇ」

 薬師に保証されてしまい、ミレーヌは蒼白になってしまった。


「この方、剣豪でしょう? フライパンぐらいよけてくださらないと!」


 まさか、こんなことになるとは!

 雇い主を勢いでやっつけてしまった。

 いまだかつてない大失態である。


「どなたかいらして!」

 焦りながら助けを呼んでみたら、何やらバカ笑いしながら全員が二階から降りてきた。外回りから帰ってきた者もなぜか合流していたので、総勢10人がそろって実に楽しそうだ。


「まぁ、皆さまどうして二階に? 先ほどまで食堂にいたのでは?」

 ミレーヌの不思議そうな顔に、プッとそれぞれ吹き出して横を向いた。

「ちょっと打ち合わせで二階に」


 震える声だったがなんとか答える。

 必死で大爆笑しないように全員が堪えていた。

 そう、ミレーヌが何かに似ているのに思い出せなくて悩んでいたけれど。


 アライグマだ。

 コロコロしたところや、セッセと家事をする仕草が、愛くるしくてそっくりである。

 本人に言う勇気はさすがにないが、はまりすぎている。


 なにより私生活では困った面の多いガラルドを、恐れもせずぶちのめすとはおかしすぎた。

 ガラルドが優勢だと想像していたが、まさかミレーヌの大勝利に終わるとは。


 予想外の愉快な展開だった。

 口には出さないけれど、ざまぁみろと内心では思っている。

 ひどく焦っているミレーヌはそんなことに気がつかない。


「大変なんです!」

「平気だよ、頑丈だから」

「二階にいても、実にいい音が聞こえた」

「いついかなる時も油断するなと、こいつ自身がえらそうに言ってるから、いい勉強だろうよ」

「それにこの兄さんは、まともな説教を誰にもされたことがないからね」

「大したもんだ。古い血も持たない普通のお嬢さんなのに! ロングワンピースで、英雄思考のスットコドッコイをぶちのめして説教をしているんだから、実にすばらしい!」


 剣で刺しても死なないと笑って、サガンがヒョイと肩にガラルドを担いだ。

 全員が好き勝手なことを口々に言いながら、クックッと肩を揺らして笑っている。

 よくやってくれたとばかりに、愉快愉快とその顔が言っていた。


 ミレーヌは大きな目に涙をためる。

 ひどいと思った。

 皆の言うこともそれなりにわかるが、自分のしでかした事態の大きさに動揺していた。

 怪我をして倒れた人を相手に対してもあんまりな台詞だ。


「笑い事ではありませんのよ!」

「いや、どんどんやってくれよ。だいたい、この野郎は何を言っても聞かない。なにしろ、世界最強の男だから」


 そう、唯一の押さえになっていた前奥義継承者が亡くなってから奔放すぎる。

 大きな問題は起こさないものの、常識外れの行動が多くて悩まされていたのだ。


 ガラルド自身が奥義継承者の自覚があるのは幸いだが、自分の他にそれだけの能力を持つ者がいないことまでよく理解している。

 なにをしても許されるとわかっているので、自分本位になるのだ。

 他人の言葉を聞く気がない。


「強すぎるってのも、困ったもんでね」

 戒めたくても誰にも止められないのだ。

「悪い奴じゃないんだが、足りない奴だから」


 気の毒そうに皆が口をそろえるので、ミレーヌはよくわからなくて眉根を寄せた。

 強くなりたいと願う者は知っていたが、強いが故の苦悩など聞いたことがない。

 ただ、英雄になりたいと願う者よりも、望んでないのに生まれつきでそうなってしまった者は大変だと思うほかにない。


「わたくし、水を用意してきますわ」

 とりあえず頭を冷やさなくてはと、看病の道具を取りにミレーヌは急いで奥へと消えた。

 下手に考えるよりは、まずはできることをするために動く。


 その背中を見送って、デュランがツンツンとガラルドの頭をつついてみる。

 立派なタンコブだと感嘆の声をもらす。

 めったにお目にかかれない大きさだった。

 ガラルドがケガをしたところなど、いまだかつて見たことがないだけに、このダメージは深そうだ。

 ミレーヌがまだ階下にいるのを気配で確かめ、小さな声でボソボソと相談を始める。


「どうする? せっかく買った情報を、忘れてるかも知れん」

「例の話を買うために、こいつを着飾らせたんだぞ。大金持たせて東の娼館に送ったのに」


 無意味だったかとラクシがこぼした。

 聖王と呼ばれるほどの賢人であるジャスティ王を狙う動きがあるらしく、王権には関係のない流派側からそれとなく調べを進めているところだった。


 王侯貴族が利用する東の娼館街は政治の裏を知るためにはもってこいなのだ。

 虚像は混じっても、枕話ほどあけすけな物はないからだ。

 せっかく王権と流派が手を結び、共闘の姿勢を取り始めたのだ。

 推進の要であるジャスティ王に倒れられては、いささか都合が悪い。

 長年の対立関係が今回の情報収集に役立つはずなので、ガラルドの英雄効果に期待していたが当てが外れそうだった。


「騎士や近衛が周りをがっちり固めている国王なんざほっとけ」

 くだらないとばかりに、サガンがぼそっとつぶやいた。

「国王様は御立派な飼い主なんだから、もとから俺らがでしゃばる理由はないんだよ」


 そもそも情報を調べたからといって、王城の中で流派が大立ち回りするなんてできるはずがないので、国王は子飼いの諜報部員に任せておけばいいのだ。

 狙う動きはあっても、王城の中には親王派も多く、簡単には手が出せるはずもない。

 お願いされたからガラルドを送り出したけれど、権力闘争は専門外だ。

 王都内は子飼いや騎士団に勝るものはなく、王都外の動きに注目するように流派側の者に伝達しているから、他の都市で妙な動きがあれば対応すればいいと思っている。


「例の話は忘れたってかまわんよ。どうせ、大将も自分の頭の中だけで納得してんだから。今まで買った情報を、まともに俺たちに伝達したことがあったか? そんなことより、さっきミレーヌさんがいいこと言ってたじゃないか」

「いいこと?」


 見事にぶちのめす姿が立派過ぎた。

 ガラルドを倒した事実に感動を覚えたものの、何を言っていたかなぁと首をかしげる。


「近衛つきの王よりも、俺たちには重要で急を要する事があったじゃないか」

 あれか? とラルゴが笑った。

 そうそうとうなずきながら、サガンはニヤッと笑う。

「熊だよ、熊! ただの熊と一緒だと思えば、報告の一つもできなくて自分勝手でも、腹が立つことはないだろう? こいつの隊なんだから、そのまんま、熊でいいだろうよ」


 ああ、あれか! とみんな顔を見合わせた。

 ずっと頭を悩ませていた難題が、一気に解決の光を得た顔になる。

 確かにピッタリはまっている。

 非常に大柄で厳つい雰囲気のガラルドは、不機嫌にうなると野生の熊にそっくりだった。


「確かに! ちょうどいいから、熊にしとこうぜ」

「ああ、この野郎にはぴったりだ」


 どうせ、ガラルドの手駒になる隊なのだ。

 どれほどくだらない理由であれ、ガラルドを見れば納得するはずだ。

 新規の隊員にも命名のエピソードを伝える必要はないだろう。

 こののち、世界に名をはせて誰もが憧れる、東の国最強部隊の名前が決まった。


 黒熊隊。


 もちろん。

 その由来は永久に公表されることはなかった。

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