第10話 らしくない話

 王都に拠点を置くなど、流派にはとんでもない重荷を背負うのと等しい。

 考えれば考えるほど、ため息がこぼれてしまう。

 だが、暗い想像しかわかない話はいったん横に置いて、さっき気がついたことを確かめる。


「サリ殿は医療の心得があるね」

「それもかなり腕がいい」

 治療の手際もそうだが、服の縫い目が医療関係でよく見る細やかな縫い方だった。

「そんなこともわかるなんて、みなさんってすごいですわ。おばあちゃん、元は薬師でしたの」


 ミレーヌはうなずいた。

 医師ではないが、似たような職業である。


 サリは定住せず、基本は薬草などの知識を広めていた。

 決まった時期に決まった場所に行く、移動医療のようなことをしていた。

 地方に専門の医師は少ないので簡単なケガ人の治療も求められ、薬の提供だけでなく、傷を縫うような外科的なこともしていたらしい。


 全開の笑顔で「さすがですわね」と褒められて、一同は苦笑した。

 都民の暮らしはさっぱりで未知の世界だけれど、薬師は馴染みがあるし、話をすれば相手の経歴を読み取る力は身につけている。

 一応はガラルドと似たような生きる伝説を持っている連中の集まりなのだ。

 しかし思い込みの予想は危険だと知っているから、くどいようだが言葉にして確認している。

 そのあたりをミレーヌはわかっているようでわかっていなかった。


「わたくしの両親が亡くなるまでは、東の国を家族で巡っていたようですの。子供を育てやすいから定住するために、治安のいい王都に来たと聞いていますわ」


 ミレーヌが知識を引き継げる年齢になった時には、すっかり耳も足も弱ってしまい引退していた。

 そのため、日常のハーブ使いや基本の薬草しか教えてくれないと、ミレーヌは残念そうにもらす。


 さっきの手際ならきっと今でも現役で通用すると、皆は目配せし合った。

 ただ、体力的な物や目や耳などの身体的な理由で辞めたのだと予想はつく。

 薬は量や使用を誤れば毒になる。

 調剤して処方するだけでも細心の注意が必要だし、治療も兼ねる薬師の内情は体力的にもハードだ。


「ご両親は亡くなったのかい?」

 ええ、とミレーヌはあっさりうなずいた。

 普通なら触れられたくない部分だろうに、ケロッとしていた。

 確かに死に別れたのに、実感が薄いのだ。

「覚えてないんですのよ? おばあちゃんは何も言いませんし、旅の途中で魔物か山賊かに襲われたみたいで。どちらが先だったかわかりませんけど、幼かったわたくしと宿で待っていたら、不幸の知らせが届いたそうですの」


 体調を崩した赤子のミレーヌと足の弱い祖母を残して、両親と祖父は近隣の村を診療に回っていた最中の災禍だった。

 いってらっしゃいと見送ったきりで、遺体も損傷が激しくてその場に埋葬された。

 遺品だけしか残っていない。

 それも価値のある物は持ち去られていて、身元が分かったのが奇跡だった。

 そのせいか、今でもあの子たちがふらりと現れそうだと、サリはこぼすこともある。


 ミレーヌにとって両親の話は、おとぎ話とあまり変わらない。

 サリの口からだけ聞く、記憶の中の人となりが両親なのだ。

 家人が出かけるときが一番不安になると、サリは寂しげにつぶやく。

 お帰りと言える瞬間は、とても貴重なのだ。

 そんなふうに説明して、どんなにミレーヌが仕事で遅くなっても起きて待っていた。


「ですから、こんなふうに祖母も一緒に住み込みで、立派なお屋敷に雇ってもらえるなんて。みなさまには感謝しても足りませんわ」

 ミレーヌは殊勝な礼を言って、深く頭を下げた。


 皆は賢く口を閉じて、目配せをしあった。

 あれほど強烈な指導をしていても、とりあえず雇われ人の意識でいることがハッキリとした。

 ほのぼのとした顔で意見をしてくるが、今までの主人たちとも対等に付き合ってきたのだろうし、ミレーヌも相当のやり手だと想像する。

 ただ、そこをつつくのは藪蛇である。


「サリ殿は苦労されたんだねぇ」

 そんなふうに先をうながした。


 口には出せないのだから、かなり苦労したと思いますわとミレーヌは応えた。

 知らない土地に慣れない定住をして、赤子を育てあげるのは並大抵のことではない。

 だから少し申し訳なさそうな顔をしていた。


「ああ、それでかな?」

「きっと、それでだなぁ」


 チラッと皆が玄関の方を見た。

 大きな館だが、家人の動きなど気配でだいたいわかる。

 それに武人の特性も、サリとミレーヌはよく理解していた。

 不審者のように足音を忍ばせたり、気配を消そうとする間違いは絶対に犯さない。

 だから居場所を知るのは簡単だった。


「どうかなさいまして?」

 ミレーヌはなんのことかわからず、首をかしげた。


「いえね、玄関ホールに応接用のソファーがあるだろう? そこに、行かれたようだから」

「今もそこに座っているよ」

「きっと夜警に出た者を待っているのさ。お帰りって言うためにね!」

「まぁ、あそこは寒いのに! 膝かけでも持って行きますわ。教えてくださってありがとう」


 食後に出かける者がいるのに驚いたらしく、サリは宿直か夜警かひどく気にしていたのを思い出した。

 夜警だと聞いて心配そうな表情になっていた。

「おばあちゃんたら、きっと編み物しながら待ってるわ」と言いながら、イソイソとミレーヌは食堂から出て行った。


「どうぞごゆっくり」とお茶のお代わりと茶菓子も先に用意してから出て行ったので、まいったなぁと誰とはなしにつぶやいた。


 この状況は今日が初めてのはずなのに、不思議と違和感がない。

 あの二人も自分たちも共同体で、この場所にしっかり落ち着けそうだった。


「まぁ、それにしてもニコニコニコニコとよく笑う二人だ」

「なにしろ動物と縁起物に似ているしな」

「まったくだ、緊張感がそがれちまう」

「へっ! 俺らしくねぇな」

「よせ、飯を減らされるぞ」


 ラクシが笑いながら机の上にドカッと足を上げ、即座にデュランに払い落された。

 ウオッとラクシが顔をひきつらせて、居住まいを正した。

 食堂の机には、食事の品以外は置いてはいけないことになっていた。

 書類なども入口の台の上に置くように言われている。

 靴を履いたまま足を上げているのが見つかれば、確実に一品はおかずを減らされるだろう。


 昼間の大掃除の二の舞はごめんであった。

 扉の方を振り返り、ミレーヌがいないことを確かめる。


「恐ろしい事を言うなよ。腹が減っても夜市に行きゃいいが、お嬢さんに見つかったらと想像したら、肝が冷えたじゃないか」

 それがあまりに本気だったので、どっと笑い声が上がる。

「それにしてはにやけてるじゃないか」

 口々にからかわれ、ラクシもニッと笑う。


「みんなそうだろ?」

「まぁな」とか「いいじゃないか、スイッチの切り替えになって」と、そろってうなずいた。


「二人ともいい女だからな」

 ゲラゲラ笑っていたが、誰も否定しなかった。

 色気はないが、側にいるだけで気分がいい。


「確かにいい女だなぁ」

「相手にされていないがね」


 ミレーヌに「同じ住まいでも、非常時以外ではあなた方の部屋に近づかない」と剣の誓いを立てたら、コロコロと笑い飛ばされてしまった。


「まぁ、なんて大仰な! 流派を担う方が夜這いなんてつまらないマネはしませんわ」


 そんなことよりもと、ミレーヌは食事の好き嫌いを夢中で問いかけてきた。

 貴女はご自分の貞操よりも、肉か魚かメインメニューを決断することが重要なんですね? と確認するまでもない。

 お仕事大好き人間なのは確かだろうが、気にする部分を間違えている。

 その情景を思い出し、野獣の中の羊のようなこの現状にも無関心だったぞと腕を組んだ。


 鈍いのか、自分たちが範疇外なのか。

 そこが問題だ。

 両方かもしれないが。


 あの様子では口説いても無駄だ。

 せっかく気立てのいい若い娘が近くにいるのに、実におしい。

 最初から討ち死にするのがわかっていると手を出しにくい。


「鈍いがいい女だろ?」

「二人とも美人じゃないし、一人は歳だがね」

 ミレーヌがいつ食堂に帰ってくるかわからないので、声を落としてコソコソ話す。


「おしいな、せっかくいい女なのに色気がない」

「金を積んでもあれは無駄な女だろうしな」

「そんなのが良ければ花街にでも行けよ」


 恋愛するよりも、女を買うのはお手軽である。

 金でどうにでもなる色気のある女は間にあってるさと、キサルがつまらなそうに茶をすすった。

 王都は花街も華やかで、東にある高級娼館が立ち並ぶだけでなく、一般市民向けの西の娼館もきらびやかで活気があった。

 金さえあれば選び放題で遊びも際限がないのである。


「東だろうが西だろうが花街はなぁ」

「どうする?」

「どうとは?」

「ミレーヌさんだよ。仕事で行っても、軽蔑されるんだろうなぁ。情報を買うだけと説明しても、信じてもらえんぞ」


 鋭いデュランの突っ込みに、ウッとその場にいた全員が言葉に詰まった。

 武人との距離の取り方は身についていても、内情をミレーヌは知らない。

 それは確かだ。

 そして、普通の暮らしをしているお嬢さんなので、潔癖なところもある。


 しかし自分たちを振り返れば、仕事がら日常的に花街に出入りする事になる。

 花街には隠れた商売があって、色だけではなく情報を扱う場所なのだ。

 虚偽か真実か理解しがたいほど雑多な噂や、流している相手の思惑の見え隠れする情報が飛び交っている。

 まともに筋の通った情報を買うには、信用のおける馴染みの女を作るのはあたりまえで、やることはやっていた。

 そもそも、やることをやらなければ、仕事に支障をきたす。


 馴染みと信頼をつなぐには、情報を買わない時の対応こそ重要だ。

 適当な扱いをしていると、こちらの情報を他に売られてしまう。

 花街は楽しい場所ではなく、甘言と頭脳戦を繰り広げる戦いの場で、ちっとも心安らがないものだった。


 それをわかって出入りしている傭兵や上流階級などの感覚とは違って、必要だからやっちゃいました! というのは下街娘のミレーヌには理解しがたい事態だろう。

 どうしたものかと眉根を寄せ、普通の青年の顔に戻ってしまった。


 どんなに言葉をつくしても、買っているのは情報だけではない。

 遊びではなく仕事だからと言っても、疑いの眼差しを消せないだろう。

 かといって身請けするとか、そういう話には絶対ならない。

 弁解すればするほどドツボにはまりそうだ。


 行ってきました~なんてあけすけに話してもいいのだが、クリクリした愛嬌のある顔を想像すると言葉に詰まった。

「花街だなんて不潔ですわ!」

 なんて正直な言葉で軽蔑されると、精神的にかなりこたえてしまうだろう。


 嫌われたくないな、と口をそろえた。

 単なる想像なのに、気持ちがなえてしまう。

 しばらく無言になった。


「なぁ、そろそろ大将が帰ってくるぞ」

 ポツン、とサガンが呟いた。


 ガラルドは二十五歳。

 サガンと同じ歳で、二十歳のデュランやラクシよりも年上だが、日常の思考は十歳の子供よりも自分本位だった。

 そう、英雄らしい威風堂々とした姿でいるのは現場だけなのだ。


「見に行くか?」

「行くべきだな」

「二階の書庫、覗くにはちょうどいいぞ」

「あの小窓か?」

「なるほどな、玄関に行くのはまずいだろうし」

「おもしろそうだ」


 ゾロゾロと二階へと移動を開始した。

 気配を殺して見物できるし、危ないと思えば助けに行くのもたやすい。


 ガラルドには困ったクセがあった。

 それを見逃すようなミレーヌではないだろう。

 ミレーヌは二十歳と若い娘でも苦労してきた節がある。

 既に女主人のような貫録があるから、初対戦になるかもしれない。

 ワクワクしながらも、皆が同じ決意を固めていた。


 もしも諍いが起こるなら、ガラルドではなくミレーヌの味方をするのだ。

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