第6話 何か問題がありまして?
ガシャン、と重い音がした。
王都にはふさわしくない乱雑な騒音だった。
「ん? なんの音だ?」
首を傾げたけれど想像がつかず頭を悩ませている間も、ドサドサと投げだされる威勢のいい音が続いている。
詰所の窓からヒョイと顔を出したキサルが、驚愕の表情で「うお!」と声を上げた。
「どうした?」
顔を出したサガンやデュランも、ポカンと口を開ける。
常日頃から動じにくい者たちが、次々と硬直していく。
なんだ? と次々に窓から顔を出した全員が驚きの表情で動きを止めた。
玄関ホールに積まれていた荷物が、ものすごい勢いで窓からポイポイと投げだされていたのだ。
大通りに面した窓ではなく、詰所側から見える窓からであることに、なけなしの気遣いを感じる。
「キャ!」とか「ヒッ!」とか悲鳴じみた声がたまに混じっているが、ドッシャンガッシャンと投げ出されていく荷物の勢いはまったく止まらなかった。
「せぇの!」
気合を入れた声と共にマキビシなどを詰めた箱が投げられ、綺麗に弧を描く。
大きな音をたてて地面に激突した箱の蓋が壊れ、バラバラと一帯に散らばったのを見て、硬直していった武人たちはようやく事態を把握する。
玄関付近に積まれていた重要物が、問答無用で撤去されようとしていた。
退魔用の特殊な品がほとんどで、普通の傭兵でさえ怯える荷物の山のはずだった。
一応触れても害のない処理はしてあるが、見てくれは凶悪である。
まさか、魔物捕獲用におどろおどろしい物が置いてあったのに、当たり前に触れる勇気ある女がいるとは。
これは想定外である。
サァーッと全身から血の気が引いて行った。
「まずい、まずいぞ、これは!」
「あのお嬢さん、本気で片付ける気だ!」
「あそこには貴重品まで置いてあるぞ!」
「冗談じゃないぞ! いくらすると思ってんだ?」
「みんな来い!」
ものすごい勢いで母屋に行き、玄関を開ける。
そこではミレーヌが手袋をはめ、タオルで頭と口元を完全武装して、せっせと撤去に動き回っていた。
自分なりの判断で置かれた荷物を仕分けしているようだ。
武具だの武器だのあきらかな武人の道具は、遠慮なく窓から放り出している。
その行動は威勢がよく、投げ捨てるどころか、破壊も辞さない勢いだった。
詰所か中庭ある物置や倉庫にも入れるつもりらしいが、丈夫そうに見えて繊細な武器・道具もある。
トウッと気合とともに、また一つ荷袋が空を飛んだ。
ガッシャン。
ありゃ半分ぐらい壊れたなと皆は思ったが、呆然としていたから止めることができなかった。
だが、見ている場合ではない。
コホン、と咳を一つして、気を取り直したキサルが問いかけた。
「つかぬことを聞くが、ここに置いていた服は?」
まぁ顔色が悪い、と思いながらミレーヌはエプロンの埃をはらいながら答えた。
「あら、汚れ物はライナさんに洗っていただいてますの。ボロはそちらの袋ですわ」
やられた! と青ざめてそれぞれが叫ぶ。
ライナも優れた特技を持っている。
料理は不得手だが、洗濯業者に勤めていた経験がある。
強烈な汚れものでも間違いなく新品同様に洗いあげてしまうのだ。
変装用の旅装束や浮浪者の服を洗ったなら、再び汚すのはかなり大変な作業だった。
身ぎれいな格好では変装が成り立たない。
「ここにあった、仕掛けは?」
震える指先で床の一部を指さした。
とってもおぞましい物だったはずだが、ない。
汚れているものの冷たい大理石が顔をのぞかせていた。
「あら、生ゴミでしょう? とっても臭いんですもの。革袋に詰めて裏に。業者に引き取ってもらわなくてはいけませんわね」
魔物をおびき寄せる品だと聞いて、ミレーヌは目をパチクリさせる。
気持ちは悪かったけれどポンと放り投げてあるのだから、そこまで恐ろしいものだと感じていなかった。
妙なキノコだのカビだのも繁殖していたし、火バシでつまむだけで溶ける物体まであって驚いたと、朗らかにホホホと笑う。
アレを片づけて笑えるかと皆が表情を消した。
「いや、気持ちはわかるが、このままにしておくのが一番だ。便利で手っ取り早くて……」
あら? とミレーヌは小首をかしげた。
「生活に関わることはわたくしに一任すると、流派を担う方が剣に誓いましたのに。命と同じ誓いを、剣士がほごにするんですの?」
シレッと返す。
確かに「剣に誓って」と冗談交じりに宣言しているので、一同はそろって言葉に詰まった。
「ここは人が暮らす場ですのよ? 仕事の道具は、ほら、そちらの詰所や物置もありますし、大切な物はとっくに移動してくださってますよね?」
ウフフとミレーヌは笑いながら、当たり前に掃除を続けていた。
「剣の誓いとは違いますけれど、お約束は果たしますわ。わたくし、全力で皆さまに正当な市民生活を叩きこんで差し上げますから! 安心なさってくださいね」
そんな脅しめいた台詞をのんきな口調で告げるから白々しい。
話している間も手を止めることなく、山の中から怪しい物体を発掘していた。
「これは何かしら?」と餌につかう動物の毛皮を不気味そうに指でつまんでいる。
「ああ! それは!」
悲鳴じみた声が上がった。
滅多に手に入らない貴重な動物の皮で、魔物捕獲用の仕掛けの一部である。
ちなみに、金額だけを言えば親指大の真珠と同等の価値がある。
「これは俺が」
横からサガンが奪い取る。
「では、わたくしはこちらを」
ぐっしょりと湿っていて呪符を何枚も貼られた汚い袋にミレーヌが手をかけると、ウワァ!と悲鳴が上がった。
中身は海獣のうろこだが、かけられた呪が解けると砂になって消えてしまうのだ。
適当に置いてあるように見えて、それなりに配置も扱いも考えているのに。
サッと荷物の前に立ちふさがり、全員で壁になる。
厳つい顔の男たちが「頼む!」とこぞって頭を下げた。
「一日! いや、半日! せめて一時間でもいいから、時間をくれ!」
「頼む! とにかく詰所や倉庫に移動させる」
これ以上の被害はごめんこうむりたい。
強面の連中からペコペコと頭を下げられて、白々しい調子で「まぁ!」とミレーヌは手のひらを合わせた。
「それでしたら、わたくし、二階を……」
チラッと視線を天井にはしらせる。
「あの汚らしい廊下を磨いて、ベッドに奇妙な虫などが湧いていたら困るし、皆さんのシーツを代えなくては!」
ウフフと機嫌良く笑っているので、恐ろしい、と全員が思った。
魔物を怖がらないだけではなかったのだ。
一応、流派の要として存在している男たちである。
実際の年齢は、確かに若い。
ただ、にじみ出る気配や威圧感が並外れているので、普通なら目があっただけで相手は居住まいを正す。
一般人が相手なら、ちょっと目を合わせて強気で押せば、このぐらいなんてことはないのだ。
そのはずなのに。
まったく自分たちを恐れないどころか、笑顔で脅しまでかけるとは。
ミレーヌは並みの神経ではなかった。
剣の誓いまで利用するとは、なんとたくましい精神の持ち主なのか。
忙しいわ~などとほうきやモップを手に移動するミレーヌの前に、ものすごい勢いでデュランとキサルが立ちふさがった。
このまま二階に行かせる訳にはいかない。
自室に入られるなどもってのほかだ。
若い娘さんに見られたくない物ほど、寝台あたりに隠してある。
「わかりました! 他の階にあふれてる物も撤去するから! 俺たちに時間をくれ!」
「私室の方は、とにかく明日まで待ってくれ! ベッドメイクをしにあなたが入っても、大丈夫な程度には片づけるから。今日だけは我慢してくれ!」
頼む! と決死の表情である。
自室で失われるに違いないなけなしの名誉を死守するため、ドラゴンを倒す時よりも真剣な表情だったかもしれない。
鷹揚にミレーヌはため息をついた。
どうやら、やる気を出してくれたらしい。
脱・汚部屋の最初の一歩は踏み出せたようだ。
「まぁ、それなら仕方ありませんわねぇ」
わざとらしくほっかむりとエプロンを外し、パタパタと服についた埃を軽く払った。
「では、わたくし、夕食の買い出しに行ってまいりますわ。その間に片付けてくださいます? そうそう、集団生活に必要なルールも、代筆屋に頼まなくては。みなさん立派な都民ですもの」
集団生活のルール?
なんだそれは? と聞き慣れない言葉に思考が停止する。
ただ、嫌~な予感がしたものだから、顔色が青から白く変化していく。
どんな決まりが必要かしらと、ミレーヌは既に思考を巡らせているようで、本気だと男たちは怯えた。
もう反論する勇気も出なかった。
「わかりました。わかりましたから、代筆屋に行かなくても、我々がそのルールとやらも書きましょう!そのぐらいの道具はある」
「なんでもお望みのままだ。そういう約束だしな」
「だから、俺たちに時間だけは与えてくれ」
「まぁ! 素敵! では、頑張ってくださいね」
ホホホとミレーヌはほがらかに笑った。
お財布お財布~と機嫌良く軽やかに台所へと向かうミレーヌの背中に、ふうっと大きなため息がいくつももれた。
えらいことになってしまった。
やれやれと思ったものの、すぐにピンと背筋を伸ばす。
大きな買い物かごを下げてミレーヌがすぐに戻ってきたのだ。
大切な物品をかばう形で、そろって男たちは道を開ける。
「少し出てきますので、頑張ってくださいね!」
ニッコリと最上の笑顔をミレーヌは見せた。
邪気のない笑顔がこれほど恐ろしいとは。
「お望みのままに」
「ああ、できるだけ急ぎで片付けるさ」
「よろしくお願いしますわ」
愛想のよい笑顔を残し、ミレーヌの背中が遠ざかっていく。
見送る者たちは、乾いた笑みで手を振ることしかできなかった。
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