第5話 お仕事始めます
ゾロゾロと連れ立って青年たちは歩いていた。
有事の際はともかく、通常時に予告なく行動を別々にすると、食事を用意する者の手を煩わせる。そういった他者への気遣いは、自覚さえあれば息をするようにできるのである。
食堂に入ってくるなり、おお! と派手な歓声が上がった。
「いつもの茶色い食卓と違って、なんだかまぶしいぞ」
そんな感嘆の声がもれている。
ミレーヌが持って現れた焼き立てのパンに、勢ぞろいしていた双剣の使徒たちは、普通の青年のように瞳を輝かせていた。
「素晴らしくいい匂いがする」
「これはカナル風の料理なのか?」
「食堂でも簡単にはお目にかかれないぞ」
嬉しいらしく浮き立つように喜んで、とにかく騒然としている。
「まぁ、どうぞ席にお着きになって」
驚きのあまりか立ったままなので、ミレーヌは朗らかに笑ってうながした。
「わたくし、料理が一番得意ですのよ?」
そう、ミレーヌは非常に料理が上手だった。
のんびりおっとりした雰囲気を裏切って、家事全般において右に出るものは少ない。
正式に就職できる十六歳の仮成人になった時には、既にベテラン家政婦よりも仕事ができると評判だった。
なにしろ両親のいない、下街暮らしである。
治安のいい王都でも、それほど楽な暮らし向きではなかった。
物心ついたときから子供でもできる下働きなどをして、十歳を過ぎると食堂も兼ねた旅館の賄いもやっていたのだ。
家政婦業は毎日のこととはいえ、大型の食堂の厨房に比べたら、こんな宿舎の切り盛りなど大した手間ではなかった。
前から通っている年配の家政婦はライナという名で、歳のせいか力のいるフライパンをふる作業などにそうとう苦労していたらしい。
サリと比べたら年下であったが、ミレーヌは孫と変わらぬ年代だ。
フライパンを振り続けるには体力も続かず、大鍋の煮込みを持ち運ぶにも腕力が足りない。
青年たちは夜市や食堂を利用してライナたちの負担を減らしてはいたが、毎日のこととなるとなんのための家政婦かわからなくなってくる。
巡る悪循環から、ライナにとって大人数の食事を作る作業はかなり重労働だったらしく、ミレーヌが挨拶をすると感激されてしまった。
ほんのりと涙がにじんでいたので、一人でのまかないはかなり負担がかかって心細かったらしい。
ミレーヌは幸いなことにライナと意気投合することができたし、下ごしらえなどの補助に回ってくれたので自身の負担も減り、同じ台所にいても仲良くやれそうだった。
老女らしくゆったりと行動するので語れるほどの手際の良さはないが、小さなことにもありがとうを言うおとなしい人だった。
ライナから話を聞くところによると、人材不足はデュランの冗談ではなかったようだ。
雇い主としては人柄も待遇も申し分のない職場ではあるが、とにかく人が来ない。
他に二人いる契約の家政婦も老女ばかり。
今まで家政婦として紹介された働き盛りの者たちは、六人もその日のうちに逃げてしまったらしい。
まぁ、最初にあのおどろおどろしい汚部屋状態のホールを見たなら、当然の反応かもしれない。
魔界とまでは表現しないが似たようなものだ。
まずはアレをどうにかして、意識の変換が必要である。
魔法街の一角にあるうさんくさい場所ならともかく、このままでは王都での暮らしなど絶対にできない。
流派の長の邸宅であれば騎士団や王城の使いも来るはずなので、このままでいいはずがないのだ。
「お口にあって何よりですわ」
胸の内の悶々とした思いを隠して、ミレーヌはほがらかに笑った。
「おかわりもありますわよ」
騒然としながらも食べ始めた武人十人から、食堂よりもうまいとこぞって褒められた。
「素晴らしい!」
そんな声が一斉にあがった。
ちょうど都合よく自分に注目が向いているので、パンを配りながらなんでもない事のようにミレーヌは口を開いた。
「そうそう、皆様にお知らせが。あの汚らしい玄関や廊下を片づけますので、大切な物は食後にすぐさま移動させてくださいね」
は? とか、へ? とか妙に反応が薄かったが、まぁそんなものだろうとミレーヌは思った。
今言ったセリフも、食べ終わる頃には忘れているに違いない。
アレを薄汚いと思う感性がないから、目に見える場所にド~ンと積んであるのだ。
ただ、ずっと女手がなくて困っていたのは本当のようだった。
働く気になった娘がいるなど珍しい事で、食事をする双剣使いたちは普通の青年のように気が緩んでいる。
そのせいか武人らしい風貌なのに、気安い口調で話しかけると気さくに返事が返った。
おしゃべりではないが打てば響くようで気持ちがよく、無骨な風体の割に全員が朗らかなのだ。
食堂で働いた時も厨房だったので、下街暮らしで家政婦のミレーヌには武人なんて馴染みのない存在だった。
東流派だの双剣も未知の世界だ。
ギルドがあるので傭兵も王都に多く訪れるが、直接会話を交わすことなどほとんどない。
剣を帯びている人間で、日常的に一般市民と関わるのは騎士団だけだ。
彼らは総じて品が良く市民への対応も丁寧だ。
同じ武にかかわる者なのに持つ雰囲気は、流派の使徒とは対極に当たるかもしれない。
勤め先の知識がないと不手際に繋がるだろう。
流派の内情などまるで知らなかったミレーヌは、ちょうどいい機会だとばかりに色々と話を聞いてみる。
青年たちが気前よく話してくれた内容からわかったことは、王都で暮らすのは困難な集団ということだった。
放っておけば王都でのまともな生活は、絶対に成り立たない。
キャラバンのように隊列を組んで旅の生活をする経験はあっても、家で暮らしたことのない者ばかりが集まっていた。
おまけに全員の仲がよさそうに見えているが、こうして集まって顔を合わせたのもつい最近らしい。
魔物討伐を得意とする戦闘プロ集団。
この連中、定住者の日常生活など知識でしか知らない。
日常が特殊事情の宝庫だから、薄汚い事に気がつかないわけだ。
利便性を優先したあの汚部屋を、便利だからで流す神経は伊達ではなかった。
退魔のために編み出された技を、流派と呼ぶ。
そのため、世界に散らばる流派の使徒は、国の制約を受けていない。
流派に属してさえいれば、通行手形も必要なく、世界中のどこにでも行けるのだ。
流派の技さえ覚えれば、人種の制限もない。
それを身につけることは、並大抵のことではないのだが。
「この東の国では双剣を持つ方が多いですわね」
何の気なしにもらすと、男たちは顔を見合わせた。
流派の内情まで一般市民が知らないことを、いまさら思い出したようだった。
そうか、と男たちはうなずいた。
「まずはそこからだな」
食事の手を止めて、居住まいを正した。
ここはガラルドの私宅になる。
おまけに東流派を担う若手が集まった、新たな双剣持ちの要にもなる場所なのだ。
自国・異国を問わず、王侯貴族から一般市民までが出入りする。
「この先は双剣持ちや他流派の使者も客として来るから覚えてください」
「大陸にあるのは四つの国だと知っているね?」
問われて、そのぐらいでしたらと応えた。
思わずミレーヌは身構えてしまう。
流派は世界の成り立ちから始まったので、国よりも古い存在だと教えられた。
ソコから滔々と流れる大河のような知識の奔流が与えられ、ミレーヌは学びの必要な場についたことがないので、えぇぇ? と眉根を寄せてしまった。
いきなり講義のような会話が始まるとは思わなかった。
情報量の多さに、知らず顔が引きつってしまう。
しかし、重要なことだからと言われてしまい、ミレーヌはかしこまって聞いた。
この世界は四つの力に満ちている。
創世の御使いが四人だからとも言われる。
炎の精霊、雷の精霊、水の精霊、大地の精霊。
その全ての力がこの世界を支えていた。
世界に誇る始原の武術も四流派だった。
カナルディア国の東流派は双剣。
サラディン国の西流派は棒術。
スカルロード合衆国の南流派は飛刀術。
ヴィゼラル帝国の北流派は徒手拳。
国ができて流派を護ったのか、流派を名乗る者の元に国ができたのか、どちらが先なのかは定かではない。
しかし現在では王侯貴族の出現により、流派は国の施政から手を引いていた。
なぜならば、国益と退魔を生業とする流派の狙いは、相反する面が強い。
特に東の国において双方の関係は、長期に渡りあまり良くない物だった。
だが、現国王のジャスティと流派の長ガラルドが友人関係を得たことで、共闘の体制を作る動きが出ている。
その影響もあり、ガラルドの直属の部隊を王都に置くことになったのだ。
本音を言えば定住する現状は双剣持ちにとって不自由でしかない。
だが王都を拠点に情報網を発達させれば、辺境での魔物の情報収集や遠征などの即時対応がたやすくなるとの判断もあった。
それに加えて、創世のときより数千年を経た現在。
世界に満ちていた力が減少している。
「古い血」と呼ばれる原始の人々と同じ高い身体能力を持つ者も減り、今ではどの流派も奥義継承者を得ることが難しくなっていた。
東流派の奥義も、このままでは南の飛刀術のように絶えてしまうのは想像に難くない。
そのため、ガラルドの軍を作るとの名目で優秀な人材を集めるのも目的にあったりする。
現在、東流派の使徒で最終奥義を身につけているのは、長であるガラルド唯一人である。
歴代の奥義継承者の中でも、その能力が飛び抜けていた。
双剣の盾、東の剣豪と偉大な呼び名も持つ。
二つの名を得た者は、長い流派の歴史の中にも前例がないのだ。
生きた英雄として数々の偉大な逸話や伝説を持っている、偉大な存在なのは間違いない。
ただ、天は二物を与えなかった。
このガラルドは本能で突き進む男で、次代を担う者を育てるような性格ではなかった。
常日頃から豪快さと大雑把が紙一重な行動をとるうえ、短気で堅苦しいことが大嫌いなのだ。
英雄と呼ばれる男は、どこまでも常識からかけ離れている。
そんなことを長々と説明した後で、思い出したように双剣持ちとしての自己紹介が始まった。
スカーフェイスのサガン。
ケットシーのデュラン。
バラクーダのキサル。
ケルベロスのラクシ。
フェニックスのラルゴ。
ミレーヌはまったく知らなかったが、戦いを生業にするなら誰もがその名に憧れるほど、それぞれが大きな逸話を持っている。
東流派の双剣を担うだけでなく、世界の要の補佐をする者たちだった。
もちろん初めの5人に続いて、次々と名乗りを上げた他の五人も似たような連中ばかりである。
まだ名前も決まらぬガラルドの隊にいるのは、古い血も濃く傭兵として世界に名をはせている者ばかりなのだ。
「腕試しなんてやってくる者がいたら詰所に案内してくれ」
どうやらそれなりに物騒なこともあるらしい。
ミレーヌは馴染みのないその話に、口を挟むこともできなかった。
話の速度が早いし情報量が多いので、目を白黒させるばかりだ。
どんなに説明されても異国の話を聞くようで、その全ては理解できなかった。
だが、この人たちの仕事は人間だけでなく、この世界に生きる全てのものに関わっていることだけは深く感じ取った。
「まぁ! 流派のお仕事って、本当にすごいんですのね」
ミレーヌが感心して目を丸くしていたら、ラルゴが爆笑した。
昨日の魔物に襲われた恐怖を、ミレーヌがすでに忘れていると気付いたのだ。
惨劇もコロッと忘れ、流派の話も「すごいんですのね」で流して終わり、純粋に感動している様は、実に図太い。
「ほらな。このお嬢さんは昨日の今日でこれだぞ、打たれ強い。それに何かに似ているだろう?」
「お前もそう思うか?」
「そうなんだよなぁ、なんだったかなぁ?」
「確かにどこかで見たことがあるんだが……」
そう、可愛らしいような、愛嬌があるような。
それでも年頃の娘に向かって、気軽に言うのは少々ためらう部類の動物に似ている。
う~んと頭を悩ませたけど、東の国の動物ではないとしか思い出せない。
考えてもピンとこないので、とりあえず気を取り直すと思考を切り替えた。
「我々は戦うことのプロですからこれからは任せなさい」
「昨日のようなことがあってもあんな無茶はいけませんよ」
自分で戦うなどいただけないと口々に言われて、ミレーヌは素直にうなずいた。
ただの家政婦なのだ。
昨日は無我夢中だったけれど、王都内の穏やかな暮らしが一番気に入っている。
バザールに出向く商家に勤めたからたまたま商隊の一員になったけれど、それは本当にたまたまなのだ。
よほどのことがなければ他の町や国に行く機会もないだろう。
当たり前だが、ちょっと手伝ってくれと頼まれても、魔物だの無頼者だのの側には行きたくない。
「おいおい、それほど難しい顔をしなさんな」
「流派に関わる仕事のこと以外は、あなたの好きにしていいよ」
鷹揚なのか豪快なのかわからない言葉で慰められた。
しかし、キラッとミレーヌは目を輝かせた。
「あら? 本当に好きにしてかまいませんの?」
「そのためにあんたを雇ったんだから、王都流に頼むよ」
「そうそう、ミレーヌさんが一番王都に詳しいんだからな」
地に根を下ろす生活をしたことがない傭兵らしい感覚で保証をされた。
食事が高品質だったことも手伝い、生活のプロとしての能力は高く買われているらしい。
今しかない、とミレーヌは思った。
ここいる男たちは家を持つことも王都にとどまることすら初めてなのだから、自分の肩に全てがかかっている。
「わかりましたわ! 剣を持つ方ですもの、二言はありませんよね? 好きにさせていただきます」
脱・汚部屋!
「わたくし、皆様が立派な王都の民として暮らせるよう、生活のプロとして努力いたしますから! すべてお任せ下さい」
なにしろ、世界の英雄だの東流派の有名人だのの集まりだから、誰がどこから見ても尊敬できるような存在にしてみせるわ。
握りこぶしに力を込めると、ハイハイとみんなそろって「お任せするよ」と笑った。
だから、ミレーヌの固めているちょっとずれた決意に、誰も気がつかなかった。
「何事も最初が肝心ですものね~自分の好きにとりかかれるなんて、これほど素晴らしい仕事はありませんわ」
まさか自分と同年代や年長の者に定住心得などの生活指導をするとは思わなかったけれど。
ビシビシしつけなければ!
おまけに、しつけは得意な分野だった。
のんきな性格からは想像もつかないだろうが、子守としても家政婦としてもギルドの中では最上級の実力がある。
自由にしていいし協力だってすると約束されたものだから、ミレーヌは鼻歌交じりで非常に機嫌がよかった。
「邸内のルールを自ら作れるなら、これほどよい職場はありませんもの」
その台詞が何を意味しているか、男たちは誰も気付かない。
中肉中背で少々ふっくらしたミレーヌがずっとニコニコと笑っているので、何も考えないままの男たちはひどく気が休まった。
動物でもなにかに似ていると微笑ましく思うぐらいだ。
どこかで見たようなイメージだが、どうにも思い出せないと皆で首をかしげた。
働き者であることと、荒っぽい輩が出入りしてもおびえたりしない性格であることは、昼食の短い時間だけでよくわかった。
調理や給仕の手際は非常に手早いのに、物腰や語り口調はほんわりおっとりしている。
よかったよかったと笑っている豪胆な武人たちが、ミレーヌの台詞の意味を知って蒼白になるのは、この後すぐのことである。
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