1章 王都で暮らしましょう
第3話 家政婦をお求めですか?
朝が来た。
上手く眠れなかったから朝日がまぶしい。
昨日の出来事を現実だとまだ受け止めきていないミレーヌは、確かめるために今まで勤めていた商家に足を伸ばしたが、堅く門が閉ざされていた。
すべてがバザールへの商いに旅立った日のままだ。
家の中は人の気配がなく、シンと静まり返っていた。
やっぱりあれは夢ではなかったのだわ。
フウッとため息を吐きだした。
重い現実に気が沈む。
気がついた婦人とは互いの無事を喜んだが、さすがに家族を失ったために意気消沈していた。
この先はどうなるかわからないし、災禍のため急で申し訳ないけれどと解雇を言い渡され、とりあえず今までの賃金も払ってくれた。
村まで遺体を届けると出立したばかりの身内の無残な姿に、さすがに親族は泣き叫ぶ恐慌状態になったので、報告だけして早々にミレーヌたちはその場を辞退した。
奥さまと坊ちゃまは無事だったけれど、しばらくは村に身を寄せると言っていたし……この先、この店はどうなるだろう。
知り合いの災禍にミレーヌは暗い気持ちになりながら、その足で王都の東部にある家政婦ギルドに向かって、新しい職探しの申請をした。
とにかく、長い間勤めていた安定した職を失ってしまった事実は消せない。
本当に良い職場だったのだ。
朝から夕食後の片付けまでの子守で収まる割のいい仕事なんて、そうそう見つからないだろう。
バザールの様子を商売を継ぐ子供たちに見せたいからと、王都から旅立つような手伝いを請われるのも初めての試みで、宿代や食事代にプラスして特別手当も支払ってくれる気前の良さがあった。
住み込みならばまだしも、祖母と暮らしているから通いが望ましい。
もういい年だから祖母の身体もすっかり弱ってしまい、医者代だっている。
下街の女にぼやぼやしている暇はないのだ。
次の仕事が決まるまで日雇いでも良いから、仕立屋の下請けや、食堂の手伝いにでももぐりこめないかしら? などと現実的なことを考えながら、家に帰った。
見慣れた古い長屋の入口に、馬がいた。
洒落た物がこんな下街に来ているのねぇ、などと珍しいからジロジロと見てしまう。
おとなしくつながれているが大柄で足も太く、鞍も使いこまれていて軍馬のようだった。
馬の毛色は違ったけれど昨日のことを思い出してしまい、はぁとミレーヌはため息をつきながら通り過ぎる。
確か、昨日はここまでデュランが送ってくれた。
初めて乗った馬の背は高くて心地よかったけれど、血なまぐさい惨劇とセットの記憶なのでいい思い出とは言い難かった。
「ただいま」と鍵を取り出して自宅の扉を開けたが、ミレーヌは「間違えました」とすぐに閉める。
ん? と首をかしげて周りを見回し、疑問符で頭の中がいっぱいになった。
どこからどう見ても自分の家なのにねぇといぶかしむ。
なんだか不似合いな者が、家の中にいた。
高貴な武人としか思えない服を着た、若そうな男の背中が見えた気がする。
白が基調の騎士団ならば、落し物を届けたり警邏の聞きこみの可能性もあるが、紺地なので服の色がまったく違う。
騎士団以外の者で、長屋に入り込むような高貴な武人などおかしな話だ。
祖母と二人暮らしで、訪ねてくるのは近所の御婦人ぐらいしか心当たりはないのだけれど。
ゴシゴシと目をこすり、再び鍵を合わせて間違いなく自分の家だと確認して、ミレーヌはおそるおそる扉を開けた。
台所も居間も寝室も兼ねている部屋の中央に置いたテーブルに、祖母が茶を出していた。
「やぁ、どうも」
その横にニコニコと笑って立っているのは、デュランだった。
傭兵然とした格好と違い、こうしてみると騎士にも劣らぬ品格ある偉丈夫に見える。
着ている服が違うとたいそう印象が違うものだから、あら? と声を上げたものの、ミレーヌは中に入って小首をかしげた。
「昨日はお世話になりましたわ。デュラン様、どうかなさいまして?」
「なに、ちょっとしたお願いが。長くなるかもしれないので、座って話しませんか?」
気安くイスを勧められた。
自分の家なのに主人が交代したみたいで変な感じだわと思いながら、デュランの正面にミレーヌはとりあえず座る。
ひたと眼差しに見つめられると値踏みされているみたいで、座ってみたものの実に落ち着かない。
「今、人を探していましてね」
ニコリと微笑みが浮かぶと同時に、そう切りだされた。
「まぁ、迷子ですの?」
口元を押さえ、「それは大変だわ」と早合点してミレーヌは声を落とす。
まさか、とデュランは朗らかに笑った。
ミレーヌが一生けん命どうすればいいのか考えている様子を、面白がっているようだった。
そんな内容の探し物なら流派の絆に勝るものはないと丁寧に説明し、人材を探しているが正しい表現だと訂正して、背筋をピンと伸ばすと居住まいを正す。
「ミレーヌさんは失業中でしょう? 仕事が欲しいよね?」
わかりきったことを口にしたので、ええまぁ、としかミレーヌはうなずけない。
その件でギルドにも出向いて帰宅したばかりだし、昨日の成り行きを知っている者に事情を説明する必要はないだろう。
だいたい、助けてもらった身で不満を言うのもはばかられるが、職探しの話をつい口に出して、数人に寄ってたかって大笑いされたことも記憶に新しい。
「我らが長殿は、このたび王都に新しく自分の隊を持つ決定を下したんですよ。突然のことだし、宿舎や家を切り盛りする者がいなくて、実に困っていましてね。ミレーヌさん、ちょうどと言ってはなんだがうちで働いてみないか?」
返事をする前に、賃金だの休暇だの細やかな条件の一切合財を川が氾濫する勢いで語られ、ミレーヌは目を白黒させた。
それほど頭の回転が速くないので、一度に語られると何が何だかわからない。
「あの、もっと分かりやすく言っていただけませんの? 早すぎて何が何だか……」
「住み込みの家政婦が一人は欲しいんだが、なかなかの難題で。もちろん、祖母殿もご一緒にどうぞ。通いの人間でさえ、なかなかいないぐらいだ。我々の目つきが悪いだの怖いだの、そういう理由で面通しだけで全てパァ」
困ったものだと本気でぼやかれて、確かに厳しい武人らしい眼差しや表情をしていたとミレーヌは思い出した。
でも顔を見ただけで逃げられるほど凶悪な面相はしていない気がして内心いぶかしむ。
本当にそれだけかしら? と内心では思いつつ、王都に定住する傭兵や流派はいないので、慣れていない者は怖がるかもしれないとなんとなく納得する。
自覚はあってもさすがに顔は変えられないだろう? と力をこめられて、まぁそうですわね、とミレーヌはとりあえずうなずいた。
「だから、あなたしかいない」
頼む、と頭を下げられて、はぁ? と思ったもののおいしい話ではあった。
路頭に迷わなくてすむし、住み込みならば家賃も払わなくていいから、暮らしが楽になる。
東流派の長に関わる仕事であれば、理由のない解雇や賃金の不払いなどのトラブルも絶対にない。
「本当に祖母も一緒でよろしいの?」
目も耳もおぼろですのに、と言うとそのぐらいでちょうどいいのだとデュランは請け負った。
だいたい目や耳がいいから人がいつかないので、今現在、通っている三人の賄いもすべて老女だと腕を組んでいる。
仕事は確かだしよく働いてくれるが、老女だと毎日の労働はかなりこたえるのでローテーションを組むのも実に大変だと、思い出したのかデュランは眉根を寄せていた。
それからちょっと言いにくそうにはにかんで、頭をかいた。
「まぁそれに若い男ばかりなんで、祖母殿には一緒に来ていただいた方が都合もいいんだな。間違いを起こす者はいないが、世間体もある」
ホイホイ流れて歩く我々と違ってあなたの名誉にもかかわる、とあたりまえにつけ足した。
普通の青年みたいな顔をして、若い娘さんへの誘い文句にしてはあけすけな自覚はあるので、ちょっぴり恥じらっている。
まぁ! とミレーヌは口元を押さえた。
どうやら、年頃の女扱いされている。
衝撃の事実であった。
そういえば婚姻適齢期まっただ中の娘だったと、ミレーヌはいまさら思いだしていた。
働くのに忙しすぎて、すっかり自分の歳を忘れていた。
愛嬌はあると言われても美人ではないし、女として口説かれた経験がないので、冗談としか思えない。
それなのに、名誉とか、世間体とか、そんな言葉をかけられたのは初めてだ。
自分にはあんまり不似合いなので、思わずコロコロと笑いだした。
「よくわかりませんけど、流派を担う方がそんなつまらないマネをする訳がありませんのに」
ひとしきり笑った後で、ミレーヌは立ち上がった。
「家政婦ギルドに求職を申請したばかりだから取り下げなくてはいけませんわね」
いつからですの? と既にやる気満々の顔に、デュランも声をたてて笑った。
「では、正式にギルドも通すことにしよう。契約前に我々の家を見ておかなくて平気かい?」
住居を見てから気が変わっても遅いしねぇなどと、デュランが再び頭を悩ませているので、ミレーヌははじけるように笑いだす。
「必要ありませんわ! これも何かの導きでしょう? わたくし、そういう縁は信じますの」
なにしろ、助けてもらった命の恩を返すだけでなく、生活まで保証してもらえるのだ。
これを運命と呼ばなくてなんなのだろう。
きっと素晴らしい事が待っているに違いないと、ミレーヌはすっかり夢見る乙女だった。
「なんて素敵なんでしょう! これから何が起こるのかしら?」
指を組むうっとりした表情に、デュランは「なにもないさ」と苦笑した。
昨日の一件でしっかりした気丈な娘だと思っていたが、実際はのんきで夢見がちな性格であるらしい。
愚かではないが、賢くもない。
中流の商家の中でも、王宮には上がらない家庭に雇われていた、普通の下街娘なのだ。
まぁ、家政婦を雇うのも七人目なので、うまくいついてくれればもうけものだ。
前向きで陽気なのだから、それで充分だろう。
「では、明日にでも迎えに来るよ。家財道具はそろっているから必要ないけれど、引っ越しの荷物をまとめておいてほしい」
そしてデュランは、ニコニコしながらずっと座っている老女の手を取った。
今の話もすべては聞きとれぬほど耳が弱っているのは理解していたが、不思議と会話が成り立つ老女だった。
ミレーヌを待つ間の雑談で頭は非常にしっかりしていたので、ちゃんと伝わればいいと思いながらソッと語りかける。
「急な話だが、サリ殿。お孫さんと一緒に来ていただくことになった。しばらく不自由をかけるが、明日からよろしく頼みますよ」
「ハイハイ、いいですよ。お若い方、おかわりはいかがですか?」
お茶を勧める祖母に、絶対にわかっていないなぁとミレーヌは思いながらも、年長者への敬意のあるデュランの仕草に感謝の念を抱いた。
傭兵稼業もするのだと言いながら、物腰が賢人のようだ。
この人たちは、ただの双剣の使徒ではない。
英雄と共にいるだけのことはあって、世界の要となる人たちに違いない。
そう思った。
大丈夫、きっとうまくやっていける。
自分が少しでも力になれるなら、それはきっと世界を動かすに等しい僥倖に違いない。
ミレーヌは期待に胸を膨らませた。
「わたくし、精いっぱい努めますわ」
ふんっと気合を入れるミレーヌに、デュランはフッと表情を緩める。
前向きな姿勢を好ましいと思いながら、翌日の迎えに来る時間などに齟齬がないことを再度確認した。
ギルドへの手続きはこちらでやっておくと確約して、では、と左肩に右手を当てると、剣士の正規の礼を取ってデュランは出ていった。
その背中を玄関で見送って、ミレーヌは袖をまくりあげた。
すでに今月の家賃は払っている。
けれど、とにかく荷物をまとめて、明日からの仕事に専念できる体制を作っておこうと思った。
「おばあちゃん、がんばろうね」
片付けを始めた孫の姿に、「ハイハイ明日はいい天気だろうね」とサリはニコニコと笑っていた。
「いいことばかりがあるはずよ」と、ミレーヌもつられて笑った。
きっと亡くなった父さんと母さんが見守ってくれているのね、と心の中でつぶやいた。
二人のことは覚えていないけれど。
だって、こうして笑って生きていられるから。
この世界に産まれただけで幸せだった。
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