今日も黒熊日和 ~ 英雄たちの還る場所

真朱マロ

「英雄のしつけかた」 

プロローグ・なれそめは惨劇でした

第1話 惨劇 

 それはホカホカと日差しもやわらかく、旅するにはちょうど良いのどかな日。

 鼻歌交じりに小道を進むのは小さな商隊だった。

 片手の数ほどの護衛に囲まれて、荷運びと簡単な居住も兼ねたホロ付きの荷馬車が数台連なっている。

 荷馬車の中に居る店主の子供が歌う調子っぱずれの歌も愛らしく、旅行気分の従業員たちだけではなくいかつい顔の護衛まで表情がやわらげていた。

 大街道を外れてしまうと陽の高い時間でも魔物の姿を見かけると不穏な噂はあったものの、小鳥もさえずり平和そのものの情景だった。


 この小さな商隊は《世界の十字路》と呼ばれる最大の自由市場であるバザールでの商売を終え、街道を東へと王都カナルへ向かっているところだった。

 その途中で店主の親族が暮らす村へ足を延ばしたため、警備隊の常駐する大街道から外れたので、今は正規の道へと向かっていた。

 とはいえ大街道に近い村や宿場町に向かう道も整えられているので、穏やかな風に後押しをされながら馬車を進めていたのに。


 災厄に襲われたのは、一瞬のことだった。


 咆哮とともに突如現れた魔物の群れに、あっという間に囲まれてしまう。

 前後に分かれていた護衛数名では、長く伸びた隊列の側面から襲われれば対処しきれない。

 このところ昼でも魔物が出没するという噂が真実だと知った時には隊列は分断され、既に魔物に囲まれて逃げようがなかった。


 乱れる隊列。

 響き渡る悲鳴。

 恐怖におののきながら男たちは剣を手にしたが、戦い慣れていない者が倒せる訳もなかった。

 女子供は震えながら荷馬車の中に隠れていたが、大型の魔獣に側面から体当たりでひっくり返されて、荷物と共に地面に投げ出された。

 そして瓦礫と化した馬車の残骸の隙間から、混乱を極める惨劇を目にすることになる。

 千切れとんだ木片の中で、荒れ狂う魔物に人が喰われていた。


 恐ろしい。

 恐怖だけに支配され、声も出せない。

 そこに居合わせた者は、生れて初めてしびれるほどの恐怖を知った。


 運よく魔物から離れた繁みまで飛ばされた若い女は、その場から即座に逃げることもできたのに、近くに倒れている婦人のところまで中腰で移動した。

 まだあどけない娘のような顔立ちだが、気丈にもキッと眼差しを強めている。


「奥様しっかり」


 声をかけながら女はにじり寄り、蒼白になり身動きも取れない婦人の手を引いた。

 婦人は商家の女主人だったが、幼い子供を胸に抱いたまま、正気をなくしたようにわなわなと震えるばかりだ。

 色も声も失った婦人から子供を奪うように腕に抱えて、泣き叫ぶ子供に向かって「少しだけ静かに」としかりつける。


 キュッと唇を噛んではいたが、娘の瞳に絶望はなかった。

 地面を這うほど低く身をかがめて、一刻も早くこの場を離れることだけ考えていた。

 魔物たちが商隊の中心あたりに群がっている今ならば、逃げられるかもしれない。


 しかし。

 淡い希望を打ち砕くように、ガツンと目の前を塞いだ赤茶色の足に悲鳴を上げた。

 見上げれば人と同じ二本足で立つ魔物が、肉食獣の顔のまま赤い目で娘を捕らえて大きく吠えた。

 恐怖のあまり婦人と幼子は意識を飛ばして倒れこむ。

 ビリビリと空気まで震えるその咆哮にも、気丈な娘は腰を抜かさなかった。

 忙しく目を左右にやりながら、魔物を警戒しつつ動くべき方向を探していた。


 幸いと言うべきか魔物は活きのいい獲物に興味を持たなかった。

 魔物が半分正気を失った婦人の細い腕をつかむ。

 ズルリと抵抗なく引きずられていく様に、とっさに娘は近くにあった棒を握って打ちかかる。


「この、おはなし!」


 かたい剛毛の生えた腕に二・三度当たると、頼りない棒はあっさりと折れてしまう。

 魔物が娘を見た。

 ラン、と赤い眼が輝く。

 太い腕が振りあげられ長い爪が陽光に白く光る。


 ああ、このまま。

 死ぬのかな、と娘が思った時。


 ボッと音を立てて魔物の頭が紛失した。

 遅れて、噴水のように赤い液体が吹き上がる。

 だが、血が降り注ぐことはなかった。

 魔物の身体は、瞬きする間もなく霧散したのだ。


 黒い影が横からかすめ、気がつくと魔物のいた場所に大柄な男が立っていた。

 両手に剣を携えている。


 驚愕に娘は目を見開くばかりだ。

 魔物を消滅させたのはこの男だろうと思う間もなかった。

 ポイポイと軽い荷物に似た調子で婦人と子供が側に投げられ、よく通る太い声が「伏せていろ」と尊大に告げる。


 え? と思ったが、その時にはバサリと布が頭からかぶせられた。

 つい先ほどまで着ていたとわかる人間の匂いに包まれ、娘は混乱する。

 ありふれた傭兵のコートなのに、なぜか青白い燐光を布地が放っていた。

 次に聞こえたのは、ビリビリと空気を揺るがす怒号だった。


「下がれ!」


 刹那、ゴオォォッと鋭い空気の渦巻く音もして、バラバラと飛び散った何かが激しくぶつかっている。


 嵐でも起こっているのだろうか?

 娘は首をかしげた。


 それでも男のコートはめくれあがることすらない。

 放たれる燐光が膜のように暴風を防いでいた。

 布一枚が静かな空間を生み出し、外から届く荒れ狂う大気の唸りを裏切っていた。


 不思議だとは思ったけれど、コートの中はひたすら安全だと理解はした。

 だからといって緊張と恐怖が消えるわけではなく、気を失っている婦人や子供に危険がおよばないようにと祈りながら、娘は二人の上にじっと覆いかぶさっていた。


 全ての音が途絶えた頃。

 ヒョイとコートが取り去られ、いきなり襲ってきたまぶしさに娘は目を細めた。

 そして、茫然とする。

 馬車一台がやっとの細い街道で、道の両側には木々がうっそうとしていたのに。


 自分たちを中心に半径一〇メートルほどの円を描いて、道も木も馬車も魔物も消失していた。

 ただ赤黒い土と岩がえぐれるようにむき出しになっていて、その荒れた光景に驚きを隠せない。


 わずかに残った緑は、男のコートに護られていた自分たちの足元だけだ。

 なにが起こったのかわからなくて、何度もまばたきをして目をこすった。

 魔物の脅威は去ったようだが、とても人の所業とは思えない。


 側に立っている男にノロノロと視線を向ける。

 そして、男の風貌に目を奪われた。

 身長は二メートルを超すほど大柄で、まだ若い精悍な男だった。


 くすんだ黒髪に、濃い茶の瞳、厳しい表情。

 そのいでたちは、あきらかに戦う者だった。

 腰に帯びた双剣が、東流派の使徒であることを示している。


 チラ、と視線が向けられて、一瞬だけ目があった。

 いまだかつて見たことのない、強い瞳だった。

 美しい、と娘は思った。

 まるでおとぎ話にいる聖獣のようだ。


 戦いの後で高ぶっている気配に、普通ならば恐ろしいと思うだろう。

 それでもその力ある魂の輝きを、娘は美しいと思った。

 使いこまれ薄汚れた戦装束でも、武神に劣らぬ風格がみなぎっていた。


 男の眼差しは無関心の光を湛えていて、すぐに遠くへと向く。

 娘にも、隣で倒れている婦人や子供にも、二度と目をやることはなかった。


「デュラン、息がある。送ってやれ」


 はなから興味がないとでもいうように、ぞんざいな口調だった。

 ヒュッと風を巻くようにして、中肉中背の青年が目の前に現れた。

 走り来たとは思えぬほど、すみやかな登場だった。


「どうでもいいが、ちょっとは手加減をしようとは思わないのか? 誰が道を直すんだい?」


 こちらも傭兵のようないでたちをしていたが、にこやかな表情や物腰がどこか商家に通じるものがあり、娘は少しだけホッとした。

 そもそも武人とは日常でかかわることが少なく、存在そのものに慣れていない。

 デュランと呼ばれた人物は、双剣持ちでも人らしく会話ができそうだった。


「街道は国の管轄だ。ジャスティにでも言っておく。俺が動けばその程度の不具合は覚悟しているはずだしな。気にするな」


 大柄な男はそう言って、なにもなかったようにスタスタと去っていく。

 普通に歩いているようにしか見えないのに、あっという間にその姿は小さくなって消えた。

 いったいどんな速度なのかと、娘は自分の目を疑いたくなってまたたくばかりだ。


「バカ野郎、少しは気にしろよ。工事は国王の手駒でも、今の応急処置は俺たちだ」


 聞こえないぐらい軽くぼやいて、デュランは肩をすくめた。

 魔物を討伐するより、街道の修理は厄介だし専門外なのだ。

 出来ないとまでは言わないが、面倒事ばかり増やしやがって……と口の中でブツブツと文句を並べている。

 ふと自分に向けられた視線に気付いたのか、娘に近づくと側に膝を落とした。


「お嬢さん、よく一人で耐えたね。私はデュラン。東流派の使徒だ。国王からの依頼を受けてきたのだが、一足遅かった。申し訳ない」


 いいえ、と答えながら娘は居住まいを正した。

 座り込んだままだったけれど、腰を抜かしている場合ではなかったと、いまさらながら気がついたのだ。

 それに、つい先ほど聞いた名前に覚えがあった。


「ジャスティ王の依頼で、流派の方が?」


 この東のカナルディアの国王を当たり前に呼ぶなんて、この人たちは東流派の中でもかなり上位の人たちではないのかと首をかしげる。

「まぁね」とどうでも良さ気に返事をすると、デュランは立ち上がった。


 せっかく生き残った娘なのだ。

 無駄話ができるぐらいピンピンしているなら、それでいいと思った。

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