第21話 初めての親友
*たっちゃんとの話
3年生になって初めてのクラス替えの後、高宮雄彦くんという子と仲良くなった。3年生になってからは、ほとんどその子と遊んでおり、彼の家に行って『ヨッシーアイランド』という本来は一人用のスーパーファミコンのゲームを交互にやったりしていた。
また、その子の家には『プレステーション』があったので、『クラッシュバンディクー』や『ファイナルファンタジー7』を彼の姉がやっているのを見たりしていた。2番目のお姉ちゃんがプレステの『メモリーカード』を買いに行く時に貸してもらったことがあったのだが、当時まだ新しかった3Dの画面を見て凄く感動したのをよく覚えている。
あと、たっちゃんは何かの病気で脚が悪かったようで、今までに2回『右足のすねの部分』を手術していて、今後もう一回手術を受けないといけないと言っていた。
手術の時に看護婦さんから、「痛いのに泣かないで偉いね」と言われたらしく、そのことをたまに嬉しそうに話してくれていた。このちょっとした自慢話を聞く度に、ぼくが幼少期に看護婦さんを監獄さんと言って、入院していた際に笑いを取っていたことを思い出したりもしていた。
たっちゃんは背の順では真ん中くらいだったのだが、前の方の子と仲が良かった他の子と密約して場所を代わってもらい、ぼくの前に来るようにして、いつもいろいろしゃべっていた。しゃべり方がかわらしい感じで、怒るといつも口で
「ピキっ」
と頭の血管が切れるような効果音を言っていた。今までの友達も仲が良かったのだが、ぼくにとって初めて『親友』と言えるような友達であった。
*たっちゃんの弟の話
たっちゃんの家は6人家族で、お父さんとお母さん、姉が二人、弟が一人いるという家族構成だった。その中でも印象に残っているのが、弟のたつひろくんで、その子はいわゆる知的障碍者の子で、家に遊びに行った時にビデオテープを巻き戻して何回も同じシーンを見ていたのをよく覚えている。ぼくは一度、
「これって何やってるの?」とたっちゃんに聞いてみたことがあったのだが、
「いっつもこうやって見てるんだ。同じところを100回くらいずっと。たつひろにはこれが楽しいみたい」
少し悲しい表情だったが、彼の家族は皆、たつひろくんを優しく見守っているようだった。身近にそういう子がいなかったので少し珍しいと感じたが、ぼくらが子供の頃にはいわゆる『差別意識』というものをむしろ嫌悪するようになっていたので、他の子と同じように接することができていた。
*やべくんとのゲームの話
3年生の矢部くんという子とたまに遊んでいた。この子はたっちゃんの次に仲が良く、お互いの家に遊びに行ってテレビゲームをやることが多かった。やべくんは冬になるとイソジンでうがいをしていて、
「これは上級者向けだから、飲んだら危ない、よその子には使わせちゃダメだって親から言われている」
と言ってぼくには使わせてくれなかった。だけど、それはぼくを嫌ってのことではなく、本心からぼくを気遣ってくれてのことだと分かっていたので嫌な気はしていなかった。
この子と遊んで一番楽しかったのは、修行と称して『がんばれゴエモンキラキラ道中(がんばれゴエモン4)』を二人で協力して一日で80%のところまでクリアしたことだった。うちの親は本当に厳しかったので、ゲームは1日1時間までと固く決められており、それを破ることは基本的には許してくれなかった。
だが、この日は『途中で休憩して15分遠くを見る』、『明日は一切ゲームをしない』という条件で1時間だけ延長させてもらえた。初めて2時間もゲームができたというのと、友達と協力していつもより早く進められたというのが凄く嬉しかった。
ただ、母がよくおやつに出していたポテトチップスを食べた手で、コントローラーを触るのが本当は嫌だったのだが、やべくんに気を遣って言い出せなかった。
この話を通して知ってほしいこととしては、ポテトチップスはなるべく『箸を使って』食べるようにしてほしいということだ。ぼくは電車のつり革に対して目を凝らすと、菌が見えるというほどの潔癖症ではないのだが、トイレに行ったら手を洗うなどの最低限のことは守ってほしいと考えている。
基本的に“スーパーファミコンのコントローラーやテレビのリモコン、携帯電話などの電子機器には汚い手で触ってほしくない“と考えており、手づかみでものを食べるというのは、ぼくの中ではご法度となっているのだ。
あと、このゲームには狸に化かされそうになるステージがあって、彼の出す二択の質問にどんどん答えて行くのだが、最後の質問で、
「夢と現実の世界どっちがいい?」と聞かれ、そこで夢を選ぶと砂漠に行き左右どちらから出ても街の向こう側へ行けないのだが、正解の現実を選ぶと狸から、
「楽しい夢の世界でなら、ずっと幸せでいられるのにかい?」と聞かれゴエモンが
「ああ、それでも俺は現実を選ぶぜ」と答えると狸から、
「気に入った!お前なら通してやってもいいぜ!」と言われて通過できるのであった。
この話は当時から凄く印象に残っていて、幼いながらに今生の厳しさと、人の強さというものを知ることができたのであった。
人生は魂の修業であり、それを怠れば忽ち精神が奈落の底へ転落してしまう。人生の意味は自分に課せられた使命を全うすることにあり、己の道が何たるかを考え、それを邁進するのが生きるということであると言えるのではないだろうか。
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