第2話 幼少期Ⅱ

*初めての入院の話


 4歳になってからのある日ぼくは高熱が出たため、母に連れられて近所にある共済病院に診察に行った。すると、なんと髄膜炎という病気にかかっており、それからしばらく入院することになってしまった。


両親は妹が生まれてせっかく家族4人で暮らせるようになったのにと嘆いていたのだが、ぼくはなんだか遠足に来ているみたいで、そこまで悲観的にはなっていなかった。


だが、ぼくには一つ嫌なことがあって、それは毎日行われる手の甲に刺す点滴であった。交互に左右の手に刺していたのだが、これが結構痛く、看護婦さんから泣かないことを褒められて嬉しかったのをよく覚えている。


ぼくはこの頃ちょっと舌足らずだったのか発音が悪かったのか、看護婦さんが上手く言えず『監獄さん』と言ってしまっており、それを初めて聞いた人に笑われたりもしていた。


幸いぼくは良性で2週間ほど入院すれば退院できるということだったのだが、中には悪性の子もいて病状が悪化して歩けなくなったり、時には亡くなってしまったりしていた。ぼくはたまたま治る方の側になれただけで、立場が違えば自分もそうなってしまっていたということを幼いながらに強く噛み締めていた。



*幻の入学の話


 ぼくが広島の呉市に住んでいた時には、小学校からかなり近い所に住んでいた。ぼくの家のマンションの前の道を200mほど上がって行くと、もう小学校に着いてしまうくらいで、幼稚園年中の時に一度、校庭に行ってサッカーのドリブルの練習をして帰ったことがある。その頃はまだ足元がおぼつかない頃で、ドリブルをしながらサッカーボールにつまづいて、2回もこけてしまったことがある。


この時、自分は“サッカーに向いていないのかな?”と思い、それから千葉に引っ越したこともあってボールを蹴るのはやめてしまった。“もしあの時からサッカーを続けていたら“とふと思うことはあるが、当時はサッカーがそれほど好きでもなかったので、多分それはなかったのかなと考えたりもする。ぼくのサッカー人生は小学校入学と共に幻となってしまった。



*トラックに撥ねられたらしい話


ぼくは1歳の時に母の運転する自転車が信号待ちしていた時にトラックに当たられて頭を強く地面に打ち付け、頭蓋骨にびっしりヒビが入ったことがあったらしい。


ぼくの記憶は2歳から始まっているのでこの時の痛みや恐怖はないのだが、運ばれた病院の医者にそのままでも骨がくっつくと言われて経過観察と診断されたそうだ。


だが、ぼくは記憶に難があり“この時に左脳を打ったからではないか?“という疑念が大人になった今でも拭えずにいる。


このことを通してぼくが言いたいこととしては、子供を自転車に乗せる際には多少忙しくても、お金がなくても『ヘルメットを着用させる』ようにしてほしいということだ。後悔先に立たず、事故というのは不意に起こり予期できないものなのである。



*千葉の幼稚園の話


 幼稚園年長の1年だけ父の仕事の関係で転勤があったことで、千葉市緑区あすみが丘の幼稚園に通っていた。その時には、いつもバスが迎えに来てくれて、家の前でそれに乗って通園していた。その中にめぐみちゃんという子がいて、この子とは二人でやった思い出の遊びがある。


「ねえねえ、『セミの目』やってよ」

「うん、いいよ~やったげる」

「うわ~やっぱりおもしろい!」


「そうなんだ。ぼく、自分じゃ見えないからよく分かんないんだよね」

「そうだよね。けど、すっごくおもしろいんだよ」

「そっかー。じゃあ、また見たくなったら言ってよね」

「ありがとう。そうするね」


という具合で話していた。この『セミの目』とはまぶたを裏返して固定してから閉じる目で、その名の通りセミの目に形がそっくりだそうで、これをやるとめぐみちゃんはすごく喜んでくれた。ただ、めぐみちゃんに頼まれて他の子に見せても、


「う、うん。おもしろいね」といったような微妙な反応が返って来るのであった。

また、バスの中では『肝油』というものが配られていて、みんなで何かいいことをするとご褒美に一人一つもらえるのであった。これはアメのようなグミで、ゼラチンに砂糖をまぶしてある、とてつもなくおいしい食べ物であった。もともとは戦後に食べ物が少なかった頃、子供たちが栄養を補うために作られた商品で、簡素なものながらよくできたものであった。


 それと、支度が間に合わずバスに乗れなかった子は車で送ってもらうことが多かったのだが、送り迎えの時に母が車のドアをちゃんと閉めていなかったことで、ドアが開いてしまったことがあった。母はかなり焦って叫んでいたが、後ろに乗っていた僕がドアを閉めると、お礼を言ったあと落ち着きを取り戻して、その異様な光景にかなり笑ってしまったことがあった。



*友達100人できるかな?の話


ぼくの通っていた千葉の幼稚園は家からちょっと離れた所にあったため、小学校に入学すると全く知らない人だけの中に放り込まれることになっていた。ぼくは元来人見知りしない性格であったので、ますみくんを始めとして友達作りには不自由していなかった。


日本では『1年生~になったら♪1年生~になったら♪友達100人できるかな?』という歌がよく知られていて、卒業するまでにそれを実現できたらいいなと考えていた。果たしてぼくは100人以上友達を作ることができるのだろうか?


不安と期待が入り混じった思いを抱きながら、ぼくは4月8日の入学式に備えるのであった。



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