転生したらバブるスライムだった

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プロローグ

  人が一番安心できる居場所はどこか、知っているだろうか?


 実家と答える。それは正しい! 日本のスラングには、実家のような安心感というものがある。実家では誰しも子供に戻って、くつろげるだろう。3時にはおやつだって出てくるかもしれない。


 愛する人の隣と答える。エクセレント! やはり正しい! この世でただ一人、唯一選んだ生涯のパートナー。暖かな温もりを惜しみなく与えてくれる人の隣こそ、人生の墓場に据えるべき場所だ。


 あるいは一人で、自分の部屋の中。孤独が人を癒すこともあるだろう。

 あるいは図書館。本の匂いに囲まれて過ごすのが好き?

 あるいは愛犬愛猫を膝に乗せて。いつだって動物は人類のよきパートナーだ。


 みんな違ってみんないい。人それぞれなのだから、一つに絞ることなどする必要はない。けれど、郷間晃示ごうまこうじはそのうちの一つに真理を見出した。

 それは答え。そう言えるものかもしれない。


 その答えが、母親。母親の子宮なか


 人には誰しも故郷がある。スポーン地点。生まれる場所。出発点。そここそが、人の最も安心できる場所。

 安心のない場所に誕生はない。逆に言えば、誕生あるところに安心あり、だ。

 そして、一番安心できる場所はどこかと問われれば、晃示は間違いなくそう答える。


「ここはまるで、子宮の中の羊水のようだ……」


 だから晃示は、今の自分の置かれた状況をそう評した。評せざるをえなかった。

 眼球だけになっているかのような感覚……しかし浮遊感や酩酊感はない。むしろ心地いい……仮にここが地獄だと言われたら、マジ? なら天国ってどんだけ幸せいっぱいなの? というレベルだ。


 全身を包み込む心地よさにぼうっとした頭だが、ある一つの事実を思い出しかけてきた。

 それは自分がこんな状態になる直前の出来事。すなわち……


「そうだ、俺は仕事帰りに、黒塗りのトラックに……」


 成田空港からタクシーでの帰宅途中。突然真っ黒な……黒塗りのトラックという不可解な存在が、真正面から突っ込んできたのである。夜暗かったからとかそういうレベルではなく、真っ黒だった。ライトも付けていなかった。無灯火走行は立派な道路交通法違反である。

 それをトラックと認識できたのは、ひとえに目の前まで迫っていたからに他ならない。あんだけ近付きゃトラックだと猿でもわかる。


 すさまじい衝撃と、音。一瞬の浮遊感。そのあとの記憶は、彼にはもうなかった。冷静に考えればそこで気を失ったか、死んでいたのだろう。


「タクシーの運転手さん、無事だといいが……」


 咄嗟にかばったものの、自分が死んでしまったのなら望み薄ではあると思いつつも、晃示は彼の無事を願う。


「しかしこの空間はなんだ? 死後の世界っていうのは、こんなふわふわした感じなのか?」


 晃示は不安はないながらも、困惑する。今の自分の置かれた状況があまりにも意味不明すぎる。人の死後がこれだと神様でも登場して、ドッキリのようにババーンと宣言してくれれば、納得もできるだろうが。


「選びなさい」


「!? 誰だ?」


 その時、どこからともなく声が降ってきた。女性の声だ。彼女は繰り返す。


「選びなさい」


「選ぶだと?」


「抗うか。受け入れるか」


「どういう意味だ? 一体何に対してだ?」


「抗うか。受け入れるか」


「意味がわからん……」


「選びなさい」


 声は選びなさい、と機械的に繰り返すだけだ。同じ質問を壊れたラジカセのように繰り返すだけだ。

 それ以上は求めないし、問わない。晃示は少し頭を抱えた。


 主語がないため、答えるに答えられない。質問が漠然としすぎており、どう答えるのが正解か考える余地もない。


 ただ、彼には一つだけ、わかっていることがあった。


「質問は機械的だが……この声の持ち主にはなんというか……愛がある……」


 その声には温かみがある。晃示はそう感じた。声色が特別優しいからというわけではない。彼の直感が、本能のようなものが、この声の持ち主に安心感を抱いていた。


 そう、理屈ではない。本能なのだ。赤子が母親に抱かれれば安心して寝息をたてるように、この謎の女性の声に包まれると、否応なしに安心感を感じるのだ。


「そうだ……この声の持ち主は、とてもあたたかな気持ちの女性に違いない……例えるなら、そう……ママだ」


 そして辿り着いた答えが、これだった。


「厳しくも優しい母親のような……あたたかな安心感のある……包容力の化身……そんな気持ちの女性だ……」


 自分に安心感と安らぎを与えてくれ、時には厳しく導いてくれる……そんな女性は晃示にとっては、母親しかいない。だから晃示は、この声の持ち主をだと悟った。

 答えはそこにしかなかったのだ。


「あなたを受け入れるかどうかならば受け入れよう……」


 晃示は静かに言った。あるのかはわからないが、目を閉じ、呼吸を整え、いたわるように、そっと。


 彼女が、晃示が受け入れるべき理想の女性……ママであるのならば、それは喜ばしいことであり、抗うか受け入れるかと問われれば、受け入れる道しかないだろう。


「しかし、それでも俺は……抗うことを選択するであろう」


「抗うか」


 だがしかし、晃示は抗うことを選んだ。なぜか?

 

「安心……安全……安定感……それは素晴らしいものだ。受け入れてよいものだ」


 人は誰しも安心を得るために生きている。お金を稼ぐのも、友人や恋人を作るのも。食べていくため、自分を認めてもらうため。

 すべては自分の価値観のもと、自分なりの安心を得るための行動だ。


 安心は、生物の最も忌避するものから自分を遠ざける手段だ。


 それは、死。


 いつかは訪れる死から目を逸らすため、一時の安心を求め、平穏を追い、目を逸らす。直視するのを嫌う。

 それは、生き物の能力の中で最も必要な能力であり、なくてはならないものである。


「全ての生物は、死から逃げる能力がある。だが他の生物にはなく、人間にだけ許された能力がたったひとつだけ……ある。それは、。逃げるだけではなく、抗う能力だ」


 だから晃示はノーと言った。ノーと言うのだ。


「逃げるのではなく、直視し、そして抗い乗り越える……抗った先に光があると信じる心こそ、人の強さそのものだからだ。人はそれを勇気と呼ぶ。

 勇気に溢れた人生こそ、人の道だと、俺は思っている」


 安心は堕落の最初の一歩となる。

 安全は停滞の始まりとなる。

 安定は慢心の母となる。


 刺激のない、乗り越えるべき壁のない人生など、食われるために存在しているだけの家畜の一生と大差ないのだ。


「だから俺は抗う。真実に向かってあがき続ける。例え女神に否定されたとしても――」


「勇士と認めよう。あなたはこれより――――」


 そこで声は途切れた。

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