第46話 愛犬ピクルスくん

それから一週間ほど経ったある日、瑞希と昴は休みが合ったことでピクルスと遊んでいた。

「なんか最近ピクルスが言うこと聞いてくれなくってさ」

「そうなの?俺的にはそんなことないと思うけどな」

「呼んでも来ないんだよねー。ピクルス~、おいで~」


そう言って瑞希が呼んだものの、ピクルスはそっぽを向いて無視してしまった。

「ほら~。私、嫌われちゃってるのかな?」

「なんで来ないんだろ?ピクルス~」

昴が呼ぶと、ピクルスはしっぽを振りながら嬉しそうにに近づいてきた。


「ああっ、やっぱり~。嫌いなんだ~」

瑞希は少し不貞腐れたようにそう言った。

「信頼関係が築けてないんじゃね?ちょっと撫でてみて」

「う~ん、撫でさせてくれるかな~」


ピクルスは瑞希が触ろうとすると、背中や腹は撫でさせてくれるものの、頭や足は嫌がって離れようとした。

「愛情が足りないのかな~」

 瑞希はそう言うと、ゆっくりとピクルスの口に自分の口を近づけた。

「あっ、ストップ!無暗にキスとかはしちゃダメだね。感染症とかでペットとのふれあいはリスクが伴うものだから、過度のスキンシップはご法度なんだ。これだけは、飼い始めた時に言っとけばよかったな」


動物から人へと感染する『ズーノーシス』は、口腔内の細菌が移るパスツレラ症、排泄物から回虫の卵が経口感染するトキソカラ症、下痢が引き起されるアメーバ赤痢など犬を飼う時には、あくまでも人と動物であるということに留意しておくべきだ。


「そっかー。動物だもんね。これからは止めとこっと」

そう言うと瑞希は、側にあった固形のエサをピクルスにあげようとした。

「あっ、何もないのに食べさせちゃダメだよ!」

「えっ、なんで!?だってお腹空いてるんだよ」


「そうなんだけど、それだと言うことを聞かなくなっちゃうんだ」

「そうなんだ!なんでなの?」

「そうすると、自分が上だと思っちゃうからだね」

「上とか下とかなんか嫌だな。ペットは家族でしょ?」


「そうなんだけど、元は狼だからね。群れのボスには絶対服従ってのが犬なんだよ」

「そっかー、やっぱ詳しいんだね。それで、どうやって関係を構築するの?」

「主従関係を築くには要求を受け入れないことと、飼い主の指示に従わせることだね」

「ふんふん、それでそれで?」


「あとは常に平常心で居ることかな。頼りになるところを見せないとね」

「へえ~っ、そうなんだー。そういうとこなのかな?昴くんて頼りになるもんね」

「そうかな?ありがとう、それは素直に嬉しいよ」


昴は少し照れたように、頭の後ろを掻いた。

「なあ、今日公園行かない?ピクルスとボール遊びしたいんだ」

「いいね、そうしよっか」

二人はさっそくピクルスを連れて、近所の公園へ行って芝生の上で遊び始めた。


「ここでも何か気を付けることってあるの?」

「あるよ!ここでのポイントは必ず犬を勝たせずに最後にボールを取り上げて終わるってこと。あとは指示を出すときのアイコンタクトと、マズルコントロールかな」

「アイコンタクトか~。マズルコントロールってどうやるの?」


「口を手で覆うようにするんだ。信頼関係を築けてるかのチェックだね」

 そう言うと昴は、ピクルスの目をじっと見つめて口を抑えた。

「ほ~ら、ピクルス~」


昴が抱えて転がすと、ピクルスは嬉しそうにお腹を上に向け無防備な体勢になった。

「おお~!私にはそんな恰好することなかったのに」

「要は接し方なんだよ。原理が理解できれば従うようになるよ」

女の子と一緒だよと言おうかとも思ったが、余計なことは言わないことにした。


「こんなにも違うものなんだね」

「これができてないと『アルファシンドローム』って言って、犬の方が上だと思って言うことを聞かなくなっちゃうんだ。接し方を学ぶのは人でも犬でも大事なんだよ」

それから二人は家に帰ると一緒に夕飯を作り、ピクルスより先に食事を済ませた。


「必ず飼い主の方が先に食べること。リーダーであることを理解させるんだ」

そう言うと昴はお座りと言って、ピクルスを撫でた後でエサを与えた。

「あと、チョコとかタマネギは、中毒症状を引き起こすから食べさせちゃダメなんだ」

「そっか。そう言えば、レーズンとかキシリトールもダメって聞いたことある」


「そうそう。買う前に、食べられるかどうかの確認は必須だね」

「毎日の歯磨きはどうするの?」

「歯磨きシートとかガムを使うといいかな。ガムは硬すぎなくて、繊維質で嗜好性がいいものでないとね。上顎の奥の、前から4本目の歯を狙って噛ませるのがコツだね」

「そうなんだ~。なんか昴くん、博識じゃん」


「まあ結構勉強したからね。じゃちょっと上級編行ってみようか。ピクルス、伏せ!」

ピクルスは昴の指示を受けると、それから10分ほどその姿勢を保ち続けた。

「ちょっと長いんじゃない?辛くないのかなピクルス」

「犬はコレ大丈夫なものなんだ。もう10分したらOKだね」


それからピクルスは伏せの姿勢で待ち、昴の合図で姿勢を解き、ご褒美を貰った。

「おお~っ。すごい、完璧だね」

「あとは、1日1回コレを続ければ大丈夫だね。簡単だろ?」

「うん。接し方が分かると、案外悩むほどでもないのかもしれないね」


 その後で二人は一緒に風呂に入って、犬用のシャンプーでピクルスを洗ってあげた。

「お風呂から上がったら、耳に入った水は綿棒かタオルで出してあげるようにして、ドライヤーを当てる時には、温風と冷風を交互に当てるんだ。自然乾燥だと、湿気を好むマラセチア菌が繁殖して、皮膚の痒みとか臭いの原因になるから注意しないとね」


「よくそんなに知ってるね。どうやって調べたの?」

「トリマーの友達から習ったんだ。やっぱ人から習った方が早いよね。あとビーグルはシングルコートだから、ドライングする時には、特に注意しないといけないな」

「おおっ!なんか専門的だね。他にはどんな犬が居るの?」


「オーバーコートだけなのがシングルコートの犬で、アンダーコートと両方あるのがダブルコートの犬だね。春と秋に新しい毛に生え変わる換毛期があるのが特徴だよ」

「それも全然知らなかったな。ねえ、ノートに書いてよ!」

「え~っ。めんどくさいな~」

「いいじゃん。お願い、ねっ」


そう言って顔の前で手を合わせる瑞希を見て、昴は観念したようだ。

「分かったよ。今回だけだかんな」

「やったー。流石は昴くん」


 それから二人は歯磨きをしてベッドに行き、寝る準備を始めた。

「は~い、一緒に寝ましょうね~」

「あっ、それもダメだよ」


 昴は瑞希がピクルスを布団に引き入れようとしたので、慌てて止めに入った。

「なんで?ちゃんとお風呂に入ってキレイにしたんだからいいじゃん!」

「それだと同等と見做しちゃうんだ。辛いかもしれないけど、ハウスに寝かせよう」

「う~ん、そっかー。分かった、そうするね。他にダメなことってある?」


「あとはソファで寝かすのもダメだね。これも同じ理由で、寝ちゃったら優しく起こして、ハウスに移動させてあげた方がいいな。仔犬の頃にしっかり躾とかないとね」

「そうなんだ~。流石は飼ってただけのことはあるね」

「だろ?最初が肝心なんだよな、犬って」


一般的に犬を飼っている男の方がモテることが多いのは、この関係性の構築ができているからだと言える。女の子は自分より下だと認識した男とは『絶対に』付き合わないものなので、不用意に遠慮したり下手に出たりするのは今すぐ止めるべきである。 


それから昴は棚を見て思い出したのか、自らの行為を振り返って愚痴ってみせた。

「あああ~捨てなけりゃ良かったな~トロフィー。やっぱ思い入れあったんだよな~」

「それなんだけど――」瑞希は少し遠慮がちに話し始めた。


「実は後でそう言い出すかもしれないと思って、捨てずに取っといたんだ」

「えっ、マジで!?ありがとう!!さすがは瑞希ちゃん、頼りになるわ~」

「ふふっ。そうでしょ~」


この頃になると、二人は以前には信じられないほど穏やかになっていた。もうつまらないことでは喧嘩しない。そういった『信頼』が二人の間には存在していた。

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