第27話 開幕!AFC

10月に入ると、昴と瑞希は以前から参加することが決まっていた、AFC(アジア・フットサル・チャンピオンシップ)に出場する運びとなった。練習会場は、都内であることが殆どであり、今回は車を持っていない昴と瑞希のために、保が車を出して送ってくれた。練習場に到着し、他の選手たちと合流する前、保が昴を呼び止めた。


「友助はさ、ホントは代表に入りたかったんじゃないのか?5月の練習試合の時から、袴田のやつに勝ちたいって、そう言ってたんだろ」

「そうなのかな?最近よく分かんないんだよね。アイツの考え」


「それは理解しようとしてないからじゃないのか?分かり合おうとしてないだろ」

「う~ん、そうかもね。俺、そういうの苦手な質だし」


「なあ昴――これだけは覚えといてくれ。『人は変われる』昨日ダメだったからって、今日もそうだとは限らないんだよ。諦めたらできるもんもそうでなくなっちまうんだ。お前の一番もったいないのは、そこなんだよ」


「――ありがとう保さん。覚えとくよ」


 気持ちの籠った保の言葉に、昴は痛く感銘を受けたのであった。

そしてこの大会には、昴と同じく全国でも有数のプレーヤーが招集されいた。


神戸ストイックスの藪(やぶ) 敏樹(としき)、難波レクリエーションズの笑原(えばら) 拓人(たくと)、立川アルバトロスの躾(しつけ) 実成(みなり)、ズンダブロッカ仙台の馳川(はせがわ) 止(とめる)、


ベトナムのホーチミンサイゴンズでプレーする京都出身の嵐山(あらしやま) 大乗(だいじょう)、5月に行われた練習試合で死闘を演じた、アルフレッド新潟の袴田(はかまだ) 英輔(えいすけ)と、名古屋アレンジャーズの綴(つづり) 糺(ただし)、綻(ほころび) 絢(けん)だ。


代表候補が複数いたため全員を知っている訳ではなかったが、今回の練習に呼ばれた選手が正規メンバーとなるようであった。これまで何度か練習に参加していた昴も、初の全員参加とあっては緊張の色を隠しきれない。


出発を三週間後に控えた練習を前に、監督の猿渡(さるわたり) 修(おさむ)が檄を飛ばす。


「今回の目標はもちろん優勝だ。その意識のない者は去ってもらう」

「ポジションと背番号を発表するぞ。ピヴォは9番の金、6番の焔、12番の室井。

アラ7番の藪、8番の笑原、10番の林、11番の袴田、13番の綴、14番の綻。

フィクソは2番の嵐山、3番の港、4番の躾。ゴレイロは1番の硯、5番の馳川だ。アイツの居ないチームなんだ。状況に応じて違うポジションでの出場もあり得るから、各自気を抜かないように」

 話が終わってから昴は、金に気になった質問をぶつけてみる。


「金さん、アイツって誰のことですか?」

「前の大会まで居た雷句って奴がチームの中心選手の一人でさ。ソイツのことだよ」

「大会に来れなくなったって人ですよね?」


「そうそう、凄い選手だったんだけど、怪我でね」

それを聞いたキャプテンの林が、俄かに顔を顰める。


「怪我というには、あまりに無理がありますけどね」

「それってどういうことですか?」

「それは今に分かるよ」

そんな話をしていると、向こうで何やらモメているようだ。


「躾(しつけ)――」

「おう、笑原。お前も来てたのか」


「来てたのかや、あらへんやろ。俺はアイツと、この大会に出るのが夢やったんや。それを台無しにしくさってからに――」


「アイツが弱いから悪いんだよ。弱肉強食のこの世の中で、勝ち続けるのは常に強い者だけなんだ」


「黙れ!!アイツは俺の親友やった。ガキの頃から来る日も来る日も一緒にサッカーやって来たんや。お前だけは絶対に許さん」

「はっ、お前に何ができるんってんだよ?この腰抜けが」


この二人のやりとりは、これから同じチームで共闘するのが不安になる程であった。今回の代表には9月の段階で代表として出場予定であった、先程の会話にあった雷句、日程の都合により試合に参加できないHeY!Yo帯広の灰原、宮古スープレックスゴレイロの虹絵の代わりとして、昴と躾、ゴレイロの馳川が招集されてていた。


結局この日は、笑原と仲のいい藪、嵐山が彼を宥め、なんとか練習を終えることができた。そして、その後は週一で3回東京で汗を流した。


移動当日は東京国際空港、通称『羽田空港』から飛行機で会場があるインドネシアまで向かい、飛行機に乗り、インドネシアのスカルノ・ハッタ国際空港に着くと、ホテルに移動してチェックインした。昴は同室の金と硯と部屋に入る。


「金さんって凄く綺麗に服たたむんですね」

「ん、そうだな。昔からのクセで、こうしないと気が済まないんだ」

「几帳面なんですね」

「いや、この方が楽だからだね。この方が場所よく分かるんだ」


もちろんコレは謙遜であり、金にはキッチリと整理整頓するだけの知性が備わっていた。そんな話をしながら一晩明かし、それから更に調整のため1日練習日を挟み、いよいよ開会式を迎えた。


会場となる『ケオン・マス(金のカタツムリ)スタジアム』は金の外装で、その荘厳華麗な佇まいは、見るものを圧倒するだけの迫力があった。

厳かに開会式を終えると、幸運にも開幕一戦目は日本代表の試合である。


『パーパパパーパー、パーパパパパー』

聞きなれた曲が流れて日本代表は勢いよくピッチに躍り出た。この曲は『フィファ・アンセム』というタイトルで、ドイツ人の作曲家フランツ・ランベルトによって作曲され、94年のWCアメリカ大会で初めて使用された曲である。


子供の手を引きながら入場し、横に並んで開始の時を待った。この『エスコート・キッズ』はフェアプレー・チルドレンとも呼ばれ、今や当たり前となった彼らの存在は、恥ずべき行為を見せない、児童虐待防止の観点からも重要な存在である。


初戦の相手はオーストラリアであり、黄色のユニフォームは力強いイメージと合致して威圧感があった。一方日本代表はイタリアのアズーリ思わせる青のユニフォームで、見るものを虜にするだけの魅力があった。


今回は決勝トーナメントに向けてと言うことでベストメンバーではなく 試合に当たって人数が多く、互いに慣れているからと、様子見とばかりに静岡代表と名古屋代表の東海組で編成を組むこととなった。


焼津スコアラーズ焔、名古屋アレンジャーズ綴、綻、浜松テクニシャンズ港、磐田ブロッカーズ硯を据えるという布陣で、レギュラーメンバーは、様子見ということで温存となった。ここで同じ静岡の選手ということもあり、キャプテンの林が昴の緊張を和らげようと話し掛けてくれた。


「国際試合ともなると、俺たちにもファンがついてくれたりするから嬉しいよな」

「そうですね。これだけの人数が居ると、なんだかプレッシャー感じちゃいます」

「気にしなくても大丈夫さ。普段通りに、延び延びやったらいいんだよ」

「はい。そうさせてもらいます!」


 昴は多少内弁慶なところがあるため、慣れない場面では借りて来た猫のように大人しいのであった。果たして日本代表は、どのような活躍を見せてくれるのか?期待と不安に胸膨が膨らむ中、サポーターたちはメガホンを握りしめていた。

2002年10月22日、ジャパン・ハプロリーニス、いざ始動!!


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