フットモンキー ~FooT MoNKeY~

崗本 健太郎

第1話 始まり

もう殆ど何もかもが嫌だった。陰鬱な生活も、長すぎる労働も、抑圧された人生も何もかも。何のためにここに居るのか、何が正しくて何が悪いのか、それを何度考えたのかも分からない。夢とは何なのか、勝利とは一体どこにあるのか。大切なことはいつも自分で決めなくてはならない。行動には常に責任が伴う。


「はあ、はあ、うあああああ」

「また、『あの夢か』――」


あの夢とは、彼がまだ高校生であった頃、彼にとって忘れられない『ある出来事』があった日の夢だ。6月から始まる静岡県内フットサルリーグに向けての合宿が開始されるのを2時間後に控えた日の朝は、昴(すばる)にとって最悪の寝覚めとなった。


5人部屋で寝ていた彼は、自分の声で起こしてしまった周りの4人に謝罪しつつも、あと少し寝ようか、それとも起きようかと迷っていた。すると、ドンドンドンとドアを叩く音がして、鍵を開けるとチームメートが2人なだれ込んで来た。


「おい昴、大丈夫か?俺らの部屋まで声が響いてたぞ」

「そうですよ。今日から合宿が始まるっていうのに、どうしちゃったんですか?」

 そう言って声を掛けてきたのは同じチームのキャプテンである保(たもつ)と、少し頼りないが前向きで明るい後輩である蓮(れん)だ。


「ああ、大丈夫。ちょっと嫌な夢見ちゃってさ」

そうは言ったものの、確実に不安が残るような内容ではあった。


「それならいいんだけどよ。大事な大会前なんだし、あまり思い詰めんなよ」

「そうですよ!昴さんに何かあったら、僕らもうやって行けないんだから」

「悪りい悪りい。初日からこれじゃ、幸先悪すぎだよね」


皆はそれから朝食を食べ、すぐに準備をし、昴はいつものように怪我の予防のためのシンガードを着用すると、コートに出て軽くストレッチをした。

昴の所属している沼津バランサーズは、現在プレーヤー11名、マネージャー3名の総勢14名で、フットサルチームとしては比較的少なめの人数であった。


全員が社会人であるため試合の日と休みが合わないこともあり、毎日のお勤めが大変ではあるのだが、比較的休みが取りやすい公務員として勤務している面々が主力となっていた。


「おはよう、昴くん」

「ああ瑞希(みずき)!おはよう」

 声を掛けて来たのは昴の彼女で、付き合って8年になる瑞希である。瑞希は静岡市内のセレクトショップに勤めており、少し長めで綺麗な茶色い髪が自慢であった。


「マネージャーどうしたの?朝食の時に3人とも居なかったけど」

「ああ、美奈(みな)が昨日の夜遅かったから起きなくてーー」

「ははは、集合時間早かったもんね」

「そうそう。私と莉子(りこ)で揺すっても爆睡してるんだもん」


「入部1週間で寝坊って大物だな」

「ほんとそうだよね。あれっ、そう言えば中(あたり)くんは?」

「ああ、今回は仕事があるからパスだってさ」

「そっかー。仕事大変だもんね」


「偉いよな。障碍者枠でも働けるってのに」

「まああの知能を無駄にするのは勿体ないからね」

「そうだよね。よくやってるよ本当に。まあ人数少ないから助かるんだけど」

 それから瑞希と談笑していると、選手たちがちらほらと出て来たようだ。



 本作の主役である沼津バランサーズは、白と黒の縦縞のユニフォームが秀逸なチームで既婚者が多く、夕方に練習を行い、試合に出ているのはほとんどが固定のメンバーであり、技術のバラつきが顕著であるのを補うため、レギュラーメンバーに補欠の選手を一人加えて出場させるといったスタイルのチームである。


本日2002年5月3日から4日の間、名古屋市常滑市にある『りんくうビーチ』で合宿を行うことになっており、初日の今日は10時からの2部練となっている。全員がビーチに出揃ってストレッチをしている中、キャプテンである保が皆に檄(げき)を飛ばす。


「皆知っての通り、今日から静岡リーグに向けての合宿だ。初日は個人戦術、2日目は連携戦術、3日目は対人戦術、最終日はレクリエーションとビーチサッカーをやるから気合い入れて行くぞ!」

「おっしゃー!!」


勢い余って一人だけ声を発した蓮は、少しバツが悪そうに周りを見渡した。それからアップとして5分間のランニングをし、入念に20分間のストレッチを行った。

「あれっ、今日は長ランやんないの?」

「ああ、今回は特別なんだよ」


昴の問いかけにそう答えると、保は選手たちに向かって呼びかけた。

「それじゃあチーム分けするぞ」

「チーム分け?今回はそういう感じなの?」

「時間と道具の数の都合だ。効率よくやった方が皆のためだろ?」


「それはそうだね。じゃあソレで行こう。で、どう分けんの?」

「もう決めてあるんだ。昨日の部屋割り、アレが今回のチームだ」

「ああ、そういうことか。なんか変な分け方だなと思ったら」

「同じ部屋の方が話し合いがしやすくて都合がいいだろ?」

「それはそうだね。いろいろ考えてくれてんだね、保さん」


そしてこのチーム分けの結果、A班は塩皮(しおかわ)、保、甘利(あまり)、辛損(からそん)、味蕾(みらい)、B班は昴、蓮、苦氏(にがし)、別記(べっき)、酸堂(さんどう)となっており、レギュラーと補欠が半々というような状況であった。

「よっしゃ、それじゃラントレやるぞ!!」

 保は今回の合宿では、午前中は徹底的に走力を鍛えることにしていた。


「ボールを持ったまま50mを25本、100mを15本走るぞ。それぞれ最初と最後のタイムに一番開きがあったヤツがペナルティとしてもう3本追加だ。それを知ってるからって手を抜いてるヤツは、俺が自主的に走らせるからな」


それから一同は、早速50mダッシュのトレーニングに移った。いつも楽しむことを念頭に練習しているためか、味蕾はすぐに辛く感じ始めたようだ。

「うえーしんどいなーコレ。なんか高校生みたいだ」

「体が痛くなるくらいでちょうどいい。日頃たるんでる自分への罰だよ」


普段は練習中に甘さがある保だが、今回は厳しく当たるようにしたようだ。そうは言ったものの、結局味蕾は昴に次いで全体としては2番で走破できており、結局2つとも蓮がビリとなってペナルティダッシュを行った。


「ああーキツい。けど、これなら体力付きそうですね」

「そうだろ?蓮のその前向きなのは凄く良いところだ。明日からは皆に勝てよ」

「はい、勝てるように気合い入れて走ります!」


 けど結局、その後の3日間で蓮はこの練習において勝つことはできなかった。だが、彼のその直向きな姿勢を見ていたからこそ、保はただの一度も蓮を叱ることはなかった。

日頃の行いというものは、軽いことのようで案外みんな見てくれているものであり、頑張っていれば、思わぬチャンスが舞い込んできたりもするものなのである。

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