第25話 明の決意
「俺、ロビンソンに挑戦するよ」
ロビンソンとの試合後、歓応(かんのう)私塾(しじゅく)大学附属病院で目を覚ました五十嵐に、明は当然のようにそう伝えた。酷い昏睡状態が続き、一週間ぶりに五十嵐が意識を取り戻してからは、多少の動揺と気遣いがあったものの、やはり明に率直な気持ちを抑えることは難しかったようだ。
止める理由なんてない、だが本当に今の段階で明をロビンソンと『ぶつけてしまって』良いものなのだろうか。明のことを一番良く分かっているのは自分だ。それは間違いない。
しかし、可愛い教え子を千尋の谷に突き落とすようなことをしたい者などいるのだろうか。ボクシングに100%はない。それでも実力の劣る明をロビンソンと闘わせるのは『無謀』の一言に尽きる。だが、明の性格を考慮し、説得はしないでおいた。
「強さとは何か、見極めて来い」
これが五十嵐が課せる明への唯一の課題であった。乗るか反るか、勝つか負けるか、生きるか死ぬか。人生とは常に選択であり挑戦なのである。どんな結果でも必ず自分に振りかかって来る。
それを良くしたり、伸し掛かって来るものを軽くしてあげたいというのが、親心というものであろう。この歳まで結婚もせず子供も儲けなかった五十嵐が実の息子のように感じている明が、自分の限界を超えるために強敵と相見えるというのだ。止めようなどと思うものか。男にはやらねばならぬ時がある。
自分の敵を討とうと言う子心を踏みにじるような無粋な男に成り下がらなかったことを少し誇りに思う反面、経験を積む代償を払わせてしまうことに対して苦悩せずにはいられなかった。
そして、ロビンソンと対峙する際、五十嵐が陥っていた病状は深刻なものであった。
『パンチ・ドランカー』
症状としては、末端神経の麻痺、記憶の欠如、意識が途切れたり、不意に睡魔に襲われたりする。五十嵐の場合は、だいぶ症状が進行しており、所謂『再起不能』の状態まで追い込まれてしまっていた。
結局、試合から二週間経っても五十嵐は真っ直ぐ歩くことさえままならないほどであった。五十嵐のリハビリに付き添っている間、明と話しながら、秋奈はとても恨めしそうにしていた。
「叔父さん、本当、残念だったよね。あんなに練習したのに」
「それは向こうだって同じだ。努力の真価はただ結果のみに表れるからな。そこに才能や運があったとしても誰も文句は言えねえよ」
明は意外とリアリストであり、どこまでも現実をシビアに捉えているようだ。
「叔父さん言ってたんだよ。明くんのためにロビンソンだけは俺が倒しとかないといけないって。これが俺に出来る最後だって」
秋奈はこの二週間で人が変わったかと思うくらい笑わなくなった。昔のように笑ってほしい。五十嵐が元のように回復することも必要だが、自分には仇敵を討つことでしか、秋奈の心を晴らしてやれる方法はないと考えた。
「その想い確かに受け取ったぜ。大船に乗ったつもりでいろよ」
明は秋奈の目を真っ直ぐに見てそう言った。
「ごめんね、応援に行きたいんだけど、叔父さんを一人にする訳にもいかなくて」
秋奈はこれまでに見せたことのないくらい悲しそうな表情を見せた。
「俺なら大丈夫だよ。おっさんのベルト、絶対奪い返してやるからよ」
明はいつしか未だあどけなさの残る青年から、精悍な男の顔付きに変わっていた。
「うん、約束だよ。待ってるからね」
今にも泣きだしそうな秋奈の表情は、『行かないで』そう言っているように見えた。
明は試合を前にジムで練習して行く中で、妙な高揚感を覚えていた。世界チャンピオンに挑戦するというよりも『あの』五十嵐を倒した男と自分が試合をするということが素直に嬉しかった。試合を前に米原は、盤石の体制で挑むことのできない明を不憫に思いつつも、やれるだけのことはしてやろうと誓った。
「その意気だ。試合2日前まで毎日、二重跳び3000回のノルマを与えよう」
「しちめんどくせえな。まあ、勝つためってんならやったろうじゃねえか」
空元気といったところか、明は試合に臨むに当たって、恐怖心など噯(おくび)にも出さなかった。なんとか善戦させてやりたい。米原はそう思うことしかできなかった。
試合は1984年9月9日、東京都墨田区横綱一丁目にある両国国技館で行われる。選手紹介を受け、国歌斉唱後に開戦した。五十嵐と秋奈は、必死で不安を押し殺し、病院のテレビでこの試合を観戦することにした。
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