第17話 ファイティングスピリット

両者コーナーへ戻りセコンドの指示を仰ぐ。

「おっさんとやりあった時以来だな。こんなに追い詰められんのは」

「まさかこの試合のためにあんな作戦を仕込んで来るとはな。市川会長は相当な策士と見える」


「次はどうするかな」

「コークスクリューはどうだ?相手が右手でジャブを打って来るなら、左手側に隙ができる。そこを突かない手はないだろう」

「そうだな。狙えるようなら狙ってみるよ」


明は米原にセコンドについてもらってから半年ほどであったが、もう何年も連れ添っているかのような安心感があった。

「もうそろそろ時間だな。安ずるな、行ってこい!」

けたたましくゴングが鳴り、猛獣たちはゆっくりと歩み寄った。


強烈なオーラを放ち、安威川は明に歩み寄って来る。

“まったく、嫌な野郎だぜ”恐らく安威川も同じことを感じているだろう。

二人ともまだ経験はなかったが、世界戦のような『プレッシャー』がそこにはあった。ジャブが重なり合い、いつも以上にストレートを気にするこの二人のせめぎ合いは、見ている方も息を飲むような攻防であった。


“パワー、スピード、テクニック共に申し分ないな。敬造がもし、先に安威川と出会っていたら奴の指導を買って出ただろうな”

米原はそんなことを思いながらも、明を応援せずにはいられなかった。ボディ狙いの安威川と顔面狙いの明。互いの強打は先程忘れ難いほど鮮明に記憶されたわけだが、それを恐れては真の強者にはなれない。


先に動いたのは明だった。ジャブの嵐を掻(か)い潜(くぐ)り、強烈な一撃を相手にブチ込んだ。だが、渾身のコークスクリューは外れてしまった。この隙を安威川が見逃す筈がない。鞭のように撓(しな)らせた強烈な左フックが明の顎を捕らえる。


そこからのパンチの応酬は凄まじいものであった。7秒間に28発もの連打で、まるで今、試合が始まったかのような動きで明をマットに沈めにかかる。明の顔は風船のように腫れ上がり、額が切れて血が吹き出して来た。崩れ落ちる明。


レフェリーが素早くカウントを始めるが全く起きる気配がない。最早これまでか。

3、4、5――。無情にも時は過ぎ去って行く。誰もが安威川の勝ちを確信し始めていた。


「明くん立って!!」

観客が一斉に見る程の声で、秋奈が明に呼びかける。

6、7、8――。その声援が通じたのか、ゆっくりとではあるが明が身体を起こし立ち上がって来た。目が眩み、身体が鉛のように重い。安威川が3人見え、慌てて頭を振って視力を取り戻す。


“負けられねえ。俺は絶対コイツに勝つんだ”燦々と輝いた明の瞳は、闘志を忘れてはいなかった。10秒後、このラウンドはゴングに救われる形となった。

1分間のレストを挟んでの第4ラウンド。流れに乗っている安威川は、強烈な『エルボーブロック』で、明のアッパーを防いだ。


“鉛のように重いパンチだな”安威川にそう思わせたこの攻防は痛み分けとなり、骨が割れそうな程の衝撃が、両者の腕に襲い掛かった。息つく間もなく、残像が見えそうな勢いで、拳を繰り出して来る安威川。


“体力持つのかコイツ?まあ、そんなバカな訳ねえよな”明がそう考えている間にも、安威川は手を休める様子はない。

“思い付きで行動しよるけど、その全てが当たってる。勘の鋭い奴やな”対する安威川は、攻めあぐねながらそう考えていた。


“足が止まり易い野郎だな”そう感じた明は、ここで一発『クロスカウンター』を決め、ダウンは奪えなかったものの、主導権を握った。

二人の実力はほぼ互角。いざという時は『地が出る』ものであり、日頃どれだけ鍛錬を積めているかの差が如実に現れる。安威川の体重が右に傾き、追い打ちを掛けるように明は攻勢に転じた。


しかし、安威川は得意の『エルボーブロック』で明の『コークスクリュー』を防ぐ。そこでできた僅かな隙を突き、明は左ストレートを炸裂させた。だが、故意ではなかったものの、足を踏んでしまっていたため、1点の減点となってしまった。倒れ掛かる安威川。絶好のチャンスだが、ゴングまで後20秒もあったにも関わらず、明は手を出さなかった。


 不良時代には考えられなかった。卑怯なマネをして相手を倒しても、それは真の勝利ではない。そう考え、ゴングが鳴るまでの間、己の『武士道』を貫くことを止めなかった。


「おめえ、見上げた根性じゃねえか。日本チャンプ相手にフェアプレーを貫くとはよ」米原は心底感心したといった様子だ。 

「正々堂々と闘わないのはスポーツマンじゃないぜ。皆藤兄弟と闘って、そう思ったんだ。それより、どうも相手のパンチと噛み合わねえんだ。上手く誘導されてるような――なんかこう相手のパンチを空かすような方法はねえもんかな?」


米原は少し考えた後、閃いたように僅かに口元を緩めた。

「それなら身体を左に傾けてみろ。右手のジャブも左手のストレートも避けやすくなる筈だ」


明は目から鱗が落ちたと言わんばかりに5回ほど首を縦に振ってみせた。ゴングが鳴り、第5ラウンドが開始されると、安威川のジャブを例の『傾き戦法』で封じにかかる。


「くっ」

自慢のジャブを無駄のない動きでひらりと躱され、安威川の気持ちが思わず声に出る。

“すげえな、伊達に世界チャンピオンのセコンドやってる訳じゃねぇぜ”明は米原の実力を改めて認識し直した。先程、門前の虎のように見えていた安威川も、今の明には借りて来た猫のようにさえ見える。


タイミングをズラし、安威川が左ストレートを繰り出して来ても、暖簾に腕押し、柳に風、今までのことが嘘のように簡単に躱せてしまうのだ。明は安威川の攻撃を何度か躱した後、ジャブを合わせ、右ストレートを放った。これがクリーンヒットとなり、安威川はこの試合初めてのダウンを奪われてしまう。


“このまま起きて来ないでくれ”明は心底そう願っていたが、ラスト2カウントを残して安威川はゆっくりと身体を起こし、立ち上がって見せた。ファイテイングポーズをとった安威川のグローブをレフェリーが丁寧に拭き、試合を再開させた。


刹那、明が気を抜きかけていたのを安威川に勘づかれ、強烈なアッパーを食らってしまった。蹌踉めいた明に、安威川が猛威を振るおうと距離を詰めた瞬間、第5ラウンド終了を告げるゴングが鳴り響いた。

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