第14話 帰り道

日本で初めて販売されたアイスは1869年にアイスクリームの父と言われた町田(まちだ) 房蔵(ふさぞう)がアメリカ帰りの出島(でじま) 松蔵(まつぞう)から教わった製法を用いて、横浜馬車道の氷水屋で牛乳、砂糖、卵黄を原料として作った『あいすくりん』である。


販売価格は当時の大工の日当の倍、女工の月給の半分である金二分と高価であったため、なかなか民衆に浸透しなかった。町田は勝 海舟に私淑(ししゅく)し、他にもマッチ、石鹸、造船用鋲などの製造にも関係したと言われている。


因みに、日本アイスクリーム協会の前身である東京アイスクリーム協会では、アイスクリームの一層の消費拡大を願って東京オリンピック開催年の1964年にシーズンインとなる連休明けの5月9日に記念事業を開催し、様々な施設へアイスクリームをプレゼントし、『アイスクリームの日』としている。


「そう言えば最近ガリガリ君っていうのが流行ってるよね?50円で食べられて、私よく買うんだ」秋奈は楽しげに話している。

「なんか水色のやつだよな。美味そうだとは思ったんだけど、俺はまだ食ったことねえな」男として『金が無くて買えなかった』とは、口が裂けても言えなかった。


差し詰め武士は食わねど高楊枝といったところであろうか。アイスのソーダ水は本来無色透明だが、昭和の時代には何か色が付いていないと価値がないと思われていた。

その為、見栄えを良くするようにと、空と海に共通した色である水色が採用された。海の色は空の色を反射しているため、実質ソーダ水の色は空の色と言える。


また、ソーダと言えば、昭和の子供の代表的なオモチャであるB玉は、ラムネのソーダ水を入れている瓶の口を塞ぐ玉のことをA玉と言ったことから、B級品であるためそう名付けられた。


「そのアイスなんか綿菓子みたいだな。入道雲に見えるぜ」

「うん。柔らかいから食べやすいよ~。ソフトクリームの方にして良かった」


秋奈は甘いものが好きなのだろう。2分程前に食べ始めたアイスは、もう3分の1程しか残っていない。ソフトクリームとアイスクリームの違いはその硬さであり、ソフトクリームはマイナス5~マイナス7度、アイスクリームはマイナス18度でちょうど良い味となる。


また、アイスクリームは空気の混入率である『オーバーラン』が60%とシェイクの30~40%などに比べて高い数値となっており、そのことがあの柔らかさを生み出している理由であると言える。


そして、アイスクリームには賞味期限がなく、適切に管理すればいつまででも食べることが可能である。マイナス18度以下の温度で保存すれば味自体は落ちず、細菌も増えないからである。


「すげえ良い音するんだな、それ」

明は飲み終わった紅茶の缶を、5メートル先のゴミ箱に投げ捨てながらそう言った。

「そうそう、このコーンが美味しいんだよね。考えた人ほんと凄いと思う」


秋奈は音がするように、力を込めて大袈裟に齧(かじ)って見せた。アイスクリームコーン誕生のキッカケとしては、1904年アメリカのセントルイスで行われた万博でアイスクリーム屋が用意していた紙皿が無くなり、隣にいたウェハース屋の店主がアイスクリームを載せることを提案したことで生まれた。アイスクリームの人気に起因する、偶然の産物なのである。



その後も暫く話を続けた後、二人は漸く重い腰を上げた。因みにこれらは、日、暫時、暫く、氵、漸次、漸くで『日差し差せよ』とすると覚えやすい。明がもう一度滑りに行くか聞いてみると、気が済んだのであろう、秋奈から返って来たのは「もう帰ろっか」という答えであった。エントランスへ行き、揃って靴を返して帰路に就く。


「けど、ローラースケートって難しいよね。片足ずつだから体重移動が上手くできなくて。二つを同時にできたらいいのに」


 秋奈は動作を交えながら、一生懸命その思いを表現しようとしている。

「それもそうだな――ん?」明は何か閃いたように、感嘆の語を発する。

「どうしたの?何かいい方法でもあるの?」

 秋奈は不思議そうに、その真意を探ろうとしている。


「ああ、思いついたぜ。『取って置き』をな」明は自信に満ちた表情でそう答えた。

「凄いじゃん。どんな滑り方なの?」

「ローラースケートの話じゃねえよ。まあ見てなって、必ず度肝抜かしてやるよ」

「やったじゃん、楽しみにしとくね」


笑いながらそう言った秋奈には、聞かなくても何のことだか分かっていた。

「ああ、ありがとよ」明は嬉しそうに声を弾ませて言った。

「できればお兄ちゃんにも見せてあげたいな。五十嵐の叔父さんの試合も、引退してから全然見に来ないんだよね」秋奈は悲しそうな表情を隠すかのようにして俯いた。


「兄貴の気持ち、分かる気がするな。行けないんだよな、見に行きたくても。失ったものが羨ましくてさ。俺も中退してから友達の集まりとか行き辛くなっちまってよ。損だよな、頑固な性格。――そういや、兄貴はなんて名前なんだ?秋夫とかか?」

明は秋奈の気分を変えようと、慣れないことをしてみる。


「そんな似たような名前な訳ないじゃん。お兄ちゃんは春に生まれたから、春彦。私は秋に生まれたから秋奈。分かり易いでしょ」

秋奈は元気を取り戻して、楽しそうに話している。


「名前に季節が入ってんのは風流だな。そう言えば、おっさんは俺に兄貴の『姿』を重ねてんのかもな。兄貴をチャンプにしてやれなかった分、俺には何としてでも世界を取らそうとしてくれてるような気がする。最近やたら練習が厳しくなってきたと思うし、期待に応えられてんのかな、俺」

明はなるべく辛さを見せないように、明るい口調で話している。


「五十嵐の叔父さんは明くんのことを認めてると思うよ。拳を縦に並べるスタイルを普通だったら止めさせているけど、続けさせてもらえてるんだもん」

心根は理解している。今度は秋奈が明を励ますようにして話す。

「そうなのかな。まあ、それなら嬉しいんだけどよ」

和やかな雰囲気に、自然と二人とも笑顔になる。


「なんかいつもと違った感じがするね」

 激しい闘いの合間での戦士の休息。それを秋奈も分かってくれているのであろう。

 非日常的な風景に二人とも安心しきっていた。だが、明は先程から何かソワソワしたような感じだ。


 “ああ今チャンスだったのに。なんで勇気が出ねえんだよ。こんなんでビビってちゃ、おっさんに笑われちまわーな”タイミングを伺おうと何でもないのに深呼吸してみたりする。


「寒いね~」

「そうだな、そろそろ冬も終わったと思ってたんだけどな」

「なんか考え事してない?」

「そんなことねえよ。ちょっと疲れただけだ」


緊張がピークに達したのか、微かに物が二重に見える程である。それから、どちらともなく手が触れ、そっと手を握った。秋奈は少し顔が赤く、下を向いて目を合わそうとしない。明は心臓の鼓動が、秋奈に聞こえないか心配になる程だ。他愛もない会話を続けて行くが、内容が頭に入って来ない。明がぎゅっと握ったら、秋奈もぎゅっと握り返して来る。


「なんか、帰りたくないなぁ」俯いた秋奈は寂しそうに呟いた。

夕暮れに揺れた二つの影は、心なしか大人びて見えた。


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